11-16 訪問! 宰相の邸宅にお邪魔します!(2)

 二人は日没とほぼ同時にジェイクの住む屋敷に到着した。


 馬車でも用意しましょうかというゼクトの申し出を断り、歩きでの訪問だ。


 事前に話しが通してあったのか、門を警備していた衛兵は二人をすんなり中へと通し、客間へと案内された。


 実のところ、ジェイクの屋敷に入ったのは、アスプリクにとって初めてであった。そもそも幼少期の自分の住居は王宮で、十歳からは神殿暮らしであり、ここへ来たことがなかった。


 また、ジェイクもジェイクで王宮内の居住区と、城下の屋敷を使い分ける生活をしており、どちらを使うかはその日の予定次第であった。


 アスプリクとの会見の場を屋敷に指定したのは、王宮は居ずらいとは判断したのと、“密談”するのによいと考えたからだ。


 豪華な造りの客間に少し落ち着かない二人であったが、そこへ一人の貴婦人がやって来た。



「お久しぶりですね、アスプリク」



義姉上あねうえもお元気そうで」



 アスプリクが丁寧にお辞儀をしたのは、ジェイクの妻でアスプリクにとっては義理の姉にあたるクレミアであった。


 黒目黒髪の美しい女性で、物腰穏やかでありながら芯の強そうな顔をしており、アスプリクも悪い印象を持っていなかった。


 兄ジェイクとは疎遠であるものの、クレミアは何かとアスプリクを気遣って神殿に足を運んでは話し相手や、あるいは差し入れをしたりと面倒見が良かった。



(今にして思えば、随分と失礼な態度だったな~)



 義姉との挨拶で、なんとなしにそう感じて若干気恥ずかしくなるアスプリクであった。


 仕事で忙しい夫に変わり、義妹の様子をそれとなく見てくれていたのだろうが、当時のアスプリクにはそれを洞察する余裕もなく、ジェイクへの敵愾心もあって、クレミアに対しても素っ気ない態度で通していた。


 出産してからはさすがに育児に追われて会う機会も減ったが、出来る限り時間を作って足を運んでくれたのは、その人柄ゆえであろう。


 自分がいかに狭量であったのかを、今更ながらに感じていた。



「お子さんはよろしかったので?」



「ええ。王宮の乳母に任せておりますので、今夜はちゃんと空けておきました。急なお話でしたけど、アスプリクが来るからと、夫もちゃっちゃと仕事を終わらせると意気込んでおりましたよ」



「その割には、まだ帰宅していないようですが?」



「……陛下の容体が芳しくないので、そちらを見舞ってくると使いが参りましたし、少し遅くなるかもしれませんわ」



 話題に“父”が出てきたので、アスプリクの表情は少々渋くなった。


 血は受け継いでいるが、実子とは認めてもらえず、王女と言うのも形式的な、何の実態もない仮初の肩書なのだ。あくまで便宜上そう呼ぶのであって、正式なお姫様ではないのがアスプリクという少女だ。


 笑顔を向けられたこともなければ、頭を撫でられたことも、あるいは叱られたこともない。ただただ避けられてきた。


 十歳になって神殿で暮らすようになってからはますます疎遠になり、前に会ったのはいつだったか思い出せないほどだ。


 不機嫌さを隠さないアスプリクに、横に座っていたアスティコスはポンとその肩に手を置いた



「アスプリク、素直に言えば? とっととくたばってしまえって」



「叔母上、やめてくれ。その発言はさすがにまずい」



 仮にも国王に対しての不敬な発言であり、咎められてもやむない程の暴言であった。


 だが、アスティコスは悪びれもせず、鼻息を荒くするだけであった。



「こんな可愛い子を、娘として認めないなんて、頭か目のどっちかが重篤な病気だわ。さっさと次に譲った方がいいってもんよ」



「叔母上、本当にやめてくれ」



「アスプリクもさ、遠慮せずに言ってやればいいのよ。なんなら、今から王宮に殴り込んで、『娘に対して愛情の一つでも向けなさい』って私が言ってこようか?」



「過激だね、叔母上は。まあ、気持ちだけいただいておくよ」



 実際にされたら大事であるが、口上だけの冗談で済まさねばならなかった。二人きりの時ならともかく、他人の目がある場所ではさすがにまずいと思ったのだ。


 だが、クレミアの反応は思いの外に薄い。と言うより、納得している感すら出していた。



「……義姉上?」



「差し出がましいとは思いましたが、その旨は陛下に私が申し上げておきました」



「な……。それじゃ、義姉上は僕の事を!?」



「ええ。あの当時は知りませんでしたが、今は存じ上げておりますよ」



 神殿に入ってから“奥の院”での出来事は、クレミアに一切話していない。兄に失望し、その上で虚勢を張り、投げやりになっていたのがかつての自分であった。


 クレミアに対しても疑心を抱いていたというのもあるが、結局どうにもならないと諦めていたのだ。



「まあ、私が知ったのは夫が聖山で教団の幹部のお歴々に、直談判した後の事ではありましたが。あなたがああまで自身の父や兄を毛嫌いしていたのか、その時に知りました。怒って当然ですわね」



「そう言ってくれるだけで、今は嬉しいよ」



「夫はその件を本当に悔やんでいるのは間違いないわ。私に吐露した後、しっかり叱り飛ばしておきましたからね」



「ハハッ、義姉上らしい」



 ついついアスプリクから、笑みがこぼれ落ちた。意外なところに理解者がおり、しかも自分の事を全面的に擁護してくれているとは、思いもしなかったのだ。



「それと、陛下があなたに抱いた感情は、純然たる“恐怖”よ」



「……やっぱり、僕が母親を焼き殺したことかい?」



「ええ。愛する人が丸焦げにされたら、そりゃ怖がるのは当然でしょう」



 アスプリクは生まれ落ちた瞬間から、とんでもない業を背負わされた。火の神の片鱗とさえ称されるほどの術の才能を有し、赤ん坊ではそれを制御することができなかった。


 結果、生まれた瞬間に宿す炎の力を暴走させてしまい、母であるアスペトラを焼き殺してしまった。


 類稀なる才能を有していたことに、教団としては大いに喜んだが、血を分けた王家の人間からすれば厄介者でしかない。


 事実、術の制御がしっかりできるようになるまで、何度王宮が火事になった事か、その数は百を下る事はない程だ。


 そんなこともあって、家族はもちろん、王宮の宮仕えからも煙たがられており、幼い頃のアスプリクはそんな悪感情に晒されて生きてきた。



「そうだね。僕の部屋の中はいつでも火が消せるよう、わざわざ水槽まで用意されていたし、付いてくる侍女やなんかもバケツをいつも持ち歩いていた。異様な光景だろうね」



「そうね。私が嫁いで来たのも、あなたが神殿に入るか入らないかって時期だから、当時の事はあまり記憶にないけれど、色々と話は聞いていたわ」



「でも、義姉上は僕に構わず接してくれた」



「義理の妹ですからね。それに……」



「それに?」



「イルドの最後を看取ってくれた方ですからね、あなたは」



 悲しげに言い放つクレミアの言葉は、アスプリクの心を絞め付けた。


 イルドはクレミアの弟であり、彼が戦死した時にはそのすぐ近くにアスプリクがいた。


 三年前、アーソに小鬼ゴブリン族の大規模侵攻が発生し、たまたま前線視察に来ていた火の大司祭が敵中に取り残される事態となった。


 これに対処したのが、アスプリク、イルド、そして、アルベールとルルの父エヴァンの三人だった。


 砦に取り残された大司祭を救出すべく、千を超す小鬼ゴブリンの群れに三人は飛び込み、大司祭を無事に救出。さらに撤収の時間稼ぎまで行った。


 しかし、数が数だけに支え切れるものではなく、イルドとエヴァンは力尽きた。


 カインとヤノシュの援軍が到着した時には、すでに二人は惨殺された後であった。



「あの時は、その、何と言っていいか……」



「あなたのせいではないわ、アスプリク。それに、武門に生まれたからには、戦場に散るのは定めのようなもの。術の才能があったために神官になりましたが、イルドもまたその例に漏れず、勇敢に戦ったまでのことよ」



「義姉上……」



 その言葉は、アスプリクに救いを与えた。


 どれほど必死で戦っても救えない命があった。大司祭クズを救い出すために、可惜あたらに若者を散らせたと悔いたものだが、クレミアはそれを誉れとさえ考えていた。



(武門の生まれは、こうまで強いのか)



 アーソの地は帝国との最前線であり、そこで生まれ育ったクレミアもまた肝が据わっていた。


 そのことを思い知らされ、アスプリクは自身の弱さを改めて思い知らされた。


 そして、恥じ入っているときに、近侍がジェイクの帰宅を告げてきた。



「あら、帰ってきましたか。さあ、アスプリク、あなたが思っていることを全部吐き出して差し上げなさい。ウダウダ言うようでしたら、私が夫に平手打ちをお見舞いしますから」



 クレミアのこの言葉には、さすがのアスプリクも大笑いしてしまった。


 まさかこれほど頼もしい味方がいようとは、思ってもみなかったのだ。


 本当に何もかもが変わりつつある。白無垢の少女はそう強く感じるのであった。

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