10-37 和解せよ! 王族兄妹の関係は複雑怪奇!(1)

「うん。分かった。頑張ってみるよ」


 勇気を振り絞っての過去との決別。アスプリクの決意だ。


 決着をつけるには、まず“今”の相手の状況を知らねばならない。


 腐り切った聖なる山が、戴く主人を変えて、どのような変化が生じたのか、それを見極められるのは自分だけだと、アスプリクは自分に言い聞かせた。


 なお、ヒーサはそうした少女の葛藤を感じながらも、図々しく次の要求を繰り出した。



「それと、宰相閣下との仲直りも、そろそろ考えてはくれないか?」



「それも言ってくるか~」



「はっきり言えば、アスプリク自身のわだかまり以外、壁は存在しないわけだからな」



 だから関係を修復してくれと頼むヒーサであったが、アスプリクにはそれもきつい事であった。


 アスプリクは宰相たる兄ジェイクを嫌っていた。


 三人の兄がいるのだが、いずれもアスプリクの扱いを煙たがっている。


 距離を取る態度が多かったのだが、長兄アイクはあの性格と体調があるので、芸術に没頭してアスプリクとの関係は希薄であり、三兄サーディクも自己鍛錬に熱を入れ、アスプリクとは付き合わないようにしていた。


 そのため、アスプリクに関する件は、ほぼジェイク任せであったのが王家の内情だ。



「ヒーサ、僕がジェイク兄を嫌っている理由、知ってて言ってるよね?」



「政治のために、妹の身に降りかかる事を、敢えて無視した。政治家としてはやむなき部分もあるが、兄妹の情としては最低だな」



 ヒーサの回答に対し、アスプリクは無言で頷いた。


 しかし、その顔は嫌悪をあらわにしており、かつての嫌な記憶がよみがえっているのが見て取れた。


 アスプリクは類まれなる術士としての才覚があったため、十歳になる頃には神殿に身を置いて修行に励むこととなった。


 教団総本部である『星聖山モンス・オウン』は部外者の立ち入りを拒む『不入の地』であり、王国宰相と言えどもその例に漏れなかった。


 参拝できる表の神殿ならともかく、教団の心臓部である『奥の院』を除くのはほぼ不可能であった。


 宰相と言えども表面的な事ならばいざ知らず、『奥の院』での出来事は知らない事の方が多かったほどだ。


 しかし、ジェイクは妹の身を案じて、密かに諜報員を潜り込ませ、その動向を探った。


 結果は、最低を通り越して、最悪と呼ぶべきものであった。


 修行とかこつけて、幹部の幾人かが幼いアスプリクに対して、淫らな行為に及んでいることを掴んだ。


 これにはジェイクも憤激するも、教団側との軋轢が生じるのを恐れ、この件を黙殺することにしてしまったのだ。


 しかも間が悪い事に、間諜の存在をアスプリクが気付き、ジェイクが今の自分の境遇を知っていながら、何も手を打たなかったことに勘付いてしまった。


 結果、アスプリクは他人に対してますます心を閉ざし、特に兄ジェイクに対しては多少は兄妹の情が働いていたこともあって、その裏切りに対する怒りが一入ひとしおとなった。



「ジェイク兄は国家の安定のため、僕を切り捨てた。妹を変態共の饗応品にしたんだ。誰も助けてくれないし、それどころか見て見ぬふりをしたのが、今、宰相府でふんぞり返っているそこの主だ。あんな薄情な奴と、にこやかに握手しろっていうのかい!?」



 思ったことをそのまま吐き出すアスプリクに、ヒーサは落ち着けと言わんばかりに肩を何度か叩いた。


 実際、アスプリクの言葉は真実であり、それをダシにジェイクを批判したこともあるヒーサも承知するところであった。


 妹の件を放置するのであれば、いずれこの件を公表し、堂々を謀反をするとまで宣言もした。


 ゆえに、ジェイクも焦りを覚え、煮え切らなかった宗教改革に遅まきながら乗り出したのだ。


 アスプリクへの対応が酷かった事はジェイク自身も自覚しており、何もしなかった自分を責め、同時に妹の関係修復に動いてはいたのだが、アスプリクはそれをことごとく拒絶した。


 やむなくジェイクはアスプリクとの関係が良好なヒーサを頼り、仲立ちを依頼して現在に至っているのであった。


 ヒーサがこうしてアスプリクに関係修復を促すのも、ジェイクの依頼をこなして歓心を買うことと、解決の目途が立ち、安堵したジェイクが隙を晒す瞬間を狙っての事だ。



(我ながら度し難いな~。右手で握手しながら、左手で刺し殺す準備をするか)



 そう思わざるを得ないヒーサであった。


 王国の簒奪を狙う以上、有能な宰相などと言うのは邪魔でしかない。


 まして王位を争う相手ともなればなおさらだ。


 だが、暗殺を企てながら、同時に友好関係を築こうとしているのが今のヒーサだ。


 機を図り、ジェイクを暗殺するためだが、その“機”を見出すまでは健在でなくてはならない。


 王家の兄妹の関係修復など、それまでの時間稼ぎだ。


 あくまで自己の利益のためであり、そこに兄妹の情にほだされて、ということは一切ない。



「だがな、今こうして心のゆとりができた今、いつまでも対立しているわけにもいくまい? 次の国王は兄に決まっているようなものであるし、いつまでも喧嘩腰では都合が悪くなる。ジェイク自身はともかく、王の権威を傷つけるのか、と周囲の連中が騒ぎ立てていらぬ騒動を起こすやもしれん」



「それは分かってる……、分かってるんだ、ヒーサ。僕がやっているのは、子供じみた駄々だってことくらいはさ。表面だけでも、関係を良好にしておくべきだ。でも……、それでも、僕は拒む、ううん、拒みたいんだ」



 アスプリクは震えながらうつむき、その小さな体を震わせた。


 この小さな体は、ある意味、人間の悪意や歪みを凝縮させた存在だとも言えた。


 いつ終わるとも知れぬ闘いに駆り出された。


 そして、物珍しさから来る好奇心か、あるいは高貴な血筋を汚すと言うおぞましい感情ゆえか、半妖精ハーフエルフを貪る醜悪な存在になぶられた。


 その事実を知りながら、黙認したのがかつてのジェイクであった。それも一般庶民などではなく、王国宰相と言う国と最上位に位置する存在が、妹一人助けようともしなかったのだ。


 利害関係を照らし合わせれば、人一人のために国内最大組織である教団と事を構えるなど、慎重に慎重を期さねばならず、動きが鈍かった点も理解はできた。


 だが、当事者アスプリクからすれば、見捨てられたと判断するよりなく、成長した今となっては頭で分かっていても、感情が兄を拒絶し続けてしまうのであった。


 年齢こそ十四歳にはなっているが、その激しく揺れ動く感情は、十歳にも満たぬのではなかと、ヒーサは考えていた。


 ちゃんと面倒を見て、育てる者がいればこうまではならなかったであろうが、これについてはかつての周囲にいた大人達が悪いと断じることができる。



(まあ、だからこそ、こうして“ごく普通の優しい年配者”として振る舞っておけば、すんなりなびいてくれるのだがな)



 目の前の少女の境遇には同情を覚えるし、多少憤ることもあったが、それでもまず第一に利用することを考えてしまうのは、ある意味でかつての大人達以上に非道であるとも言えた。


 理解した上で騙し、利用するのは戦国の作法としては至極真っ当ではあるが、それでも目の前の少女に対してはいささか感情的になってしまうのは、“温くなった”と自分を嘲る気分になるのであった。


 なども悶々と考えながらも、ヒーサは少女の波打つ感情を宥めるため、その場に跪き、俯く少女の頬に手を添えて撫でた。



「政治とはそう言うものだ。例え足下で互いに踏みつけあったとしても、握手は交わしておかねばならん場面と言うのは、往々に存在する。それが分からぬほど、お前も聞き分けないと言うわけではあるまい?」



「うん、それは分かってる。妥協や忖度なんて、生きていたらいくらでもするんだもん」



「まあな。利益を優先するか、感情のままに進むのか、それはその人の判断次第だ」



 ヒーサの中身である松永久秀とて、戦国乱世を七十年生き抜いた経験がある。


 その間、幾度となく繰り広げたやり口であった。


 下げたくもない頭を下げたこともあれば、不本意な手打ちをしたこともあった。


 それもこれも、次なる一手のための、忍従であったと考えていた。


 その後の騙し討ちで見事に鬱憤を晴らしたこともあれば、そのままズルズル深みにハマったこともあった。


 しかし、決断をしない優柔不断な輩は、ドツボにハマり込んで、挽回できぬままに消えていったことも記憶していた。


 アスプリクも決断を下せないまま、ズルズルと進んで行ってしまう可能性が高く感じられるからこそ、ヒーサもそれを阻止するために動いていた。



(なにより、時間が無い。魔王に対抗するには挙国一致体制は必要不可欠だ。蒔いた自分が言うのもなんだが、騒動の種は一つでも減らしておかねばならん)



 今のアスプリクとジェイクの関係は、修復しておいた方が“自分にとって”は有益であると判断すればそこ、和解を勧めているのだ。


 兄妹仲良くあるべきだなどと、殊勝な心がけなど一切ない。あくまでも“自分のため”でしかない。


 今この場面は、心的障害トラウマを抱える少女を宥める年配の青年ではなく、その心の隙間に入り込むクソジジイなのであるが、それに気付いているのは、無言でじっとこれらを観察しているテアのみであった。


 何とかならんのかこの外道は、と考えつつも、静かなる観察者を続ける女神であった。

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