10-36 友好の使者! 分裂解消はお前次第だ!

 ヒサコの出産について任せれる人材を確保し、ひとまずはヒーサは安堵した。策を実行するに際して必須の事柄であったために、すんなり承諾を得られたのは幸いであった。


 だが、同時に相反する頼み事もせねばならず、今一度気を引き締め直した。



「なあアスプリクよ、いずれ芽が出る一手として、ヒサコの出産立ち会いが終わってから、ちょいと動いて欲しい事がある」



「うん、いいよ。どんな仕事だい?」



「無事出産が終わったら、それを報告すると言う体裁で、王都と聖山に出向いて欲しい」



 この言葉がヒーサの口から漏れ出た途端、アスプリクは一気に不機嫌になった。


 行きたくもない所に行って来いと言われたのであるから、無理もない反応であった。



「なんであんな薄汚れた場所に行かなきゃなんないのさ! いくらヒーサの頼みでも、嫌なものは嫌だからね!」



「まあ、そう言うだろうとは思っていた。だが、ヨハネスが法王になって、改革があちこちで進められている。風通しも以前よりかは良くなっていると、色々と報告が来ている。だが、それはあくまで表面的な話だ。“奥の院”を覗ける奴なんてのは、ごくごく限られているからな」



「……なるほど。その奥の院にいた僕に、正確な情報を探らせようってわけか。正確な変化を読み取れる奴なんて、実際にそこの空気を吸っていた奴にしか分からないことだし」

 


 事情はすぐに呑み込めたが、理解と承諾は別の問題だ。


 アスプリクとしては法衣を脱ぎ捨てた以上、教団側とはなるべく関わらないようにしていた。最低限、シガラ教区の神殿とは術士の管理運営に携わっている以上、色々とやり取りをする必要もあるため付き合いもあった。


 だが、よりにもよって一番腐りきっている教団本部に行けと言うのは、いくらヒーサからの要請だからと言っても、嫌なものは嫌なのだ。


 そんな不貞腐れた態度を示す少女に対し、ヒーサは席を立って近付き、その頭を撫でた。


 透き通るような銀色の髪を指で梳き、半妖精ハーフエルフの証でもある尖った耳を優しく摘まんでは撫でた。


 くすぐったいのか、あるいは気恥ずかしいのか、アスプリクは少しを顔を赤らめながら身をよじった。


 私の姪に何してくれてるのよと、隣のアスティコスから凄まじい剣幕で睨まれたが、ヒーサはもちろん無視して、アスプリクを執拗に、それでいて優しく撫で回した。



「いずれは飲み込むつもりでいる連中だが、今は表面的には友好関係を崩すわけにはいかない。それを演出できるのは、アスプリク、お前が最適なのだ」



「それは承知しているけど……」



「あそこの風通しが良くなっているのは事実だ。それを加速させる一手でもある。お前はここでの生活で変わったし、あちらも法王選挙コンカラーベを経て変わりつつある。かつてを知る者同士だからこそ、変わりゆく互いの姿を認識できるのだ」



「……うん、分かった」



 本心から言えば嫌なのだが、どうにもこうにも、恩義のあるヒーサにこうまで頼まれると、嫌とは言えないのがアスプリクであった。


 極端な話、何かあってヒーサに嫌われたくはない、のである。


 相手が既婚者であることは当然知ってはいるものの、それでも乙女が抱いた初恋の想いは膨張を続ける一方であった。


 この世に生を受けて、初めて知った人の温もり。それを与えてくれたのは、目の前の貴公子だ。


 誰も彼も自分を恐れて近寄らず、近寄る者は力を利用したいだけか、あるいは特異な容姿と高貴な血筋を“汚したい”という歪んだ情欲の持ち主ばかりだ。


 無論、目の前の男が不埒な事を考えている事を知っている。


 しかし、それをさらけ出し、共に手を携えて実行しようと誘ってくれた。


 ふざけた世界を変えてくれる。そんな希望を初めて抱かせてくれた。


 それがヒーサと言う男だ。


 だからこそ、アスプリクにはヒーサの提案を断る“勇気”がない。


 捨てられてしまう、という恐怖があるからだ。


 折角できた“共犯者おともだち”。それを失いたくはない。


 あわよくば、“その先”も望んでいたりする。


 不埒なのは自分自身も同じだと自覚する。


 自然とその白い手は、ヒーサの手を掴み、年相応の可愛らしい笑みを浮かべていた。



「うん、頑張ってみるよ」



 白無垢の聖女は、悪魔ヒーサの誘いを断れず、引き受けた。

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