10-33 再婚!? こうして夫婦は元の鞘に戻った!

「よくもそんなことを平然と吐ける!」



 激高したのは、マークであった。


 マークはとうとう我慢できなくなったのか、怒りを爆発させてヒーサに近付き、そして、その襟首を掴んで捻り上げた。


 身長差があるため、ヒーサが座っていなければできない事であったが、従者が公爵相手にするには文句なしの無礼な行動だ。


 知己のヒーサでなければ、即斬り捨てられてもおかしくない振る舞いであるが、そこまで頭が回らないほどにマークは怒り狂っていた。



「ほ~う、マークよ、お前はこちらの提案に反対かね?」



「賛成する理由がどこにあるというのですか!? ナル姉様を殺しておいて、よくもまあ、そんな図々しい提案ができるな!」



 口調も貴人に対するそれではない。マークは怒りによって、被っていた少年従者の仮面を外し、ただ一人の男になっていた。


 義姉ナルの殺されて怒る、ただの一人の人間だ。


 その怒りを理解できるからこそ、ヒーサは無礼を流した。


 それどころか、マークにまでティースのように囁くのであった。



「図々しいと言うのは間違いだぞ。伯爵家に対しても、相応の報酬を約束しているのだ。王家乗っ取りによる払い戻し、決して悪い取引ではないはずだ。現に、ティースも悩んでいる」



「んな!?」



 実際、ヒーサの言う通り、ティースは思案に耽っているのが見て取れた。


 ティースにしてみれば、伯爵家の再興を当主としてまず考えねばならないのだ。


 ナルを失うと言う大損害を被ったが、その代わりにヒーサが提案してきたのは再興の道を保証する魅力的な提案であった。


 感情を抜きにすれば、この追い詰められた状況からの一発逆転を狙える、実に画期的な提案と言える。


 しかも、ヒーサ、ヒサコともティースに対して、絶対に裏切れない秘密を互いに握るという、保険も利いている状態であった。


 目の前の男は信用できないし、ナルの事を思うと、一発お見舞いしてやりたい気分であったが、激情に駆られて身を滅ぼすなどあってはならないことだ。


 それこそナルの死が無駄に終わってしまうというものだ。



「ティース様、まさかお引き受けになるので?」



「……マーク、あなたの気持ちは痛いほど分かる。叶うのならば、今すぐにでも目の前の男をボコボコにしてやりたいわよ。でも、シガラ公爵家にかけられた呪縛を解こうとすれば、ヒーサとヒサコを同時に消さないと、残った方から反撃を受けてしまう状況なの。これをどうこうする手段は、ナルがいなくなった以上、もうないわ」



 ティースには信用の置ける臣下は、ナルとマークのたった二人しかいなかった。


 その片割れが落ちた以上、もう打てる手段がない。


 ちなみに、ヒーサとヒサコは“一心異体”の存在で、どちらかを消せばもう片方も死んでしまうのだが、そこの情報封鎖はしっかりと成されており、ティースの想像の及ぶところではなかった。


 結局のところ、ヒサコの正体、裏事情を暴かれた点はヒーサの失策であったが、最終的には入念な準備と情報の量でヒーサがティースを圧倒しており、相手を封じ込める事に成功した。


 ティースへの提案も、圧倒的勝者による余裕の表れと言ってもよい。


 そして、ヒーサは打ちひしがれるティースに更なる一撃を加えた。



「まあ、そう気落ちするな。ここにナルからの遺言もある。これを見てから判断するのだな」



 そう言って差し出された一枚の手紙。もちろん、これは嘘だ。


 ナルからの遺言など、何もない。


 それはティースに一つの方向性を示すものであり、それを期待してのヒーサの策だ。


 受け取ったそれを恐る恐る広げるティースであったが、その手紙の内容は意外であり、信じられない内容であった。



「……ヒーサ、これを信じろと、そう言うのですか? ナルからの遺言である、と」



「信じる信じないかは、それはお前の自由だ。ナルの死を無駄にしたいのであれば、遺言状は破り捨ててしまえ。私は一向にかまわん。ヒサコの件は、私が内々に処理するし、お前は何も見なかった事にすればいい」



 ヒーサはどこまでも冷たく、そして、突き放すような態度だ。


 ティースにしても、こんな内容の遺言など、あり得ようはずはないと思ってしまうほどに、突飛なものであった。


 しかし、“万が一”にもこの遺言が本物であり、ナルが命を賭して伝えてきたものだと考えてしまうと、破り捨ててしまうのは論外であるとも考えてしまった。


 少なくとも、頭の片隅にでも、書き留めておかねばならない、と。


 そして、意を決してマークの方に視線を向けた。

 


「マーク、こんなバカな主人を見限って出て行ってもらってもいいわ」



「何をバカな事を仰られますか! ティース様を放り出して出て行ったら、あの世でナル姉様に八つ裂きにされてしまいます!」



「ごめんなさい。あなた達にはいつも苦労をかけさせてしまうわね」



 ティースはマークを宥め、改めてヒーサの方を振り向いた。



「分かりました、あなたの提案を受け入れます。この子は……、諦めます」



 ティースにとっては苦渋の決断ではあったが、他にとるべき選択肢はなかった。


 なにしろ、これを選択しなかった場合は、確実な“死”が待っているだけだ。


 ヒーサには情に訴えかけると言う手段が一切通用しない。頭の中が利益と打算のみで埋め尽くされており、有益ならば確保を、害悪ならば身内であっても切り捨てる。


 そういう冷徹さが徹底していた。


 協力を拒めば、子供を産んだ瞬間に奪われて殺されるし、それ以前に逃亡しようにも、身重では動きに制限があるからまず不可能だ。


 しかも、助けてくれるのはマーク一人。これでは逃げたり、身を隠すのも不可能だ。


 選択肢を奪った上で、選択を迫ってくるやり方に、ティースは憤りを覚えていたが、それでも目の前の男に抱かれなければ、一切の未来すら望めぬ状況だ。


 人間として、母親として、外道に落ちる選択だと自覚していても、未来を繋ぐためにはこれ以外にない選択であると、ティースはヒーサを受け入れる事とした。



「うむ、理解してもらった上での協力感謝するぞ、ティース。これで私とティースは一蓮托生。本当の意味において、夫婦となったのかもしれんな」



「勘違いしないで。私は納得して、あなたと協力するのではないからね。他に手段がないから、やむを得ずそうするだけ。それだけは覚えておいて」



「そうなると、他に良い手段を見つけたときは、真っ先に私の首を取りに来ると言うわけか。おお、怖い怖い!」



 ヒーサはわざとらしく肩をすくめた後、ティースの頬に手を添えた。


 少し嫌そうな顔をしたが、明確な拒絶はしなかった。


 その反応を確認した後、ヒーサはティースと口付けを交わした。


 何の味もしない、実に冷たい接吻だ。


 取りあえず引っ付いて、徐々に仲睦まじくなり、幸せを感じるようになるも、全てが演技だと知って絶望し、敵意剥き出しで殺しにかかるも跳ね返され、また引っ付くという、なんとも言い表し難い二人の歩みではあるが、一応これで収まりは付いた。


 愛情など一欠片もない、完全に冷めきった夫婦ではあるが、これからはもう裏切られることはない。


 我が子を生贄に捧げる、というとんでもない秘密を共有することにより、二人は再び夫婦となった。


 それが幸か不幸かはこれからの状況次第ではあるが、ヒーサは大いに満足しており、口付けを交わしながらついつい笑みがこぼれるのであった。

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