10-31 悪魔の計画! 簒奪とはこうやるのだ!

 目の前の男が恐ろしい。夫と呼ぶべき男が、何よりも恐ろしい。


 ティースとしては、必死で虚勢を張るのが限度ではあるが、肩の震えはその意志に反して体が反応している証であった。


 そして、悪魔の笑みを見せていたヒーサの顔は、急に穏やかなそれに変じた。


 この変わり身の早さこそ、ある意味で最も恐ろしいとティースは感じた。



「前にな、ナルに尋ねた事がある。『お前の願いはなんなのか?』とな。そしたら、こう答えた。“ティースの幸せ”と“カウラ伯爵家の再興”だと」



「ナル……」



 ティースはもはやこの世の人ではない、かけがえのない従者の顔を思い浮かべた。


 どこまでも忠義を尽くし、主人と主家のために戦い続けたナルの事を考えると、それを他らしくも思い、同時にそれを嘲るかのごときヒーサの言動に苛立ちを覚えた。



「だが、お前個人の幸せは、もう望むべくもない。折角、こちらが用意した夢見心地な夫婦生活も、復讐の業火で焼き尽くしたのだからな」



「その火元は誰が生み出したのか、分かって言っているの!?」



「無論だ。しかし、鎮火したというのに、無理やり火をつけ直したのは、ティース、お前だぞ。目を瞑り、耳を塞いでいれば、あのまま公爵夫人として、裕福な暮らしをして過ごせた上に、子供にもいずれ伯爵領を継がせ、御家再興も叶ったと言うのに」



「抜け抜けと、よくまあ舌の回る事で!」



「まあまあ、そういきり立つな。お前自身の幸せは掴めずとも、伯爵家再興の道は、むしろ開けたと言ってもよいぞ」



「……え?」



 ティースはヒーサの不意な発言に目を丸くして驚いた。


 ここまで人生を滅茶苦茶にされたのであるから、もう個人の幸せなどティースは諦めていた。


 しかも、未来こどもさえ奪うと目の前の悪魔おっとのたまうのだ。


 これでどうやって伯爵家の再興など叶えると言うのか、不思議でならないのだ。



「まあ、そんなに難しく考える必要はない。今、“ヒサコの腹の中”には、アイクとヒサコの子供が入っている。無論、実体のない擬態ではあるが、それをこの腹の中の子供に入れ替えたらどうなるか? 表向きは“アイクとヒサコの子供”だが、その実態は“ヒーサとティースの子供”となる」



「まさか、それをダシにして、王位を簒奪する気!?」



「いかにも。今の所、王位継承権は現国王の次男であるジェイクが握っている。これは揺るがない。三男のサーディクはアーソの動乱で立場が怪しくなったため、王位継承には縁が遠くなったし、末子のアスプリクは庶子ということで、いまいち立場が弱い。もし、ここでジェイクが“不慮の事故”で亡くなったりしたら、どうなるだろうな?」



 とんでもない“悪魔の計画”を聞かされた気分に、ティースは襲われた。


 よくよく考えてみれば、シガラ公爵家が王家を乗っ取るための状況が、一つまた一つと積み上がって言っていることに気付かされた。



「で、でも、アイク殿下は王位継承権を放棄しているんだし、仮にヒサコとの間に子供が生まれたって」



「アイク殿下個人はそうかもしれんが、アイク殿下の子供に関しては、その限りではないぞ」



「じゃあ、サーディク殿下は!?」



「あれは無理だ。今、帝国との戦争の真っ最中で、その帝国に勢力を張る異端宗派『六星派シクスス』と通じていたセティ公爵家と、昵懇じっこんの間柄なのだぞ。帝国と通じるような奴を、誰が王として頂くと言うのか?」



 もちろん、アーソでの動乱と、黒衣の司祭リーベの件はヒーサの仕込みであるが、それを知る者は自分と女神と共犯者アスプリクだけである。


 表面的には、ヒーサの言葉が正しく、サーディクの立場は微妙であった。


 リーベはセティ公爵家の出身であり、サーディクの妻はセティ公爵家から嫁いできたのだ。


 疑念のある者を王位に就けるなど、今の戦時下では考えられなかった。



「一方、ヒサコの“表面”はどう映る? ティース、お前個人の感情を抜き去り、客観的な視点からヒサコを評価してみろ」



「……腹立たしいけど、今や押しも押されぬ大英雄だわ。帝国との戦争に際して、女性で、しかも身重でありながら軍を統率し、寡兵にて圧倒的な大軍の帝国軍に対して連戦連勝。前線の将兵からの信頼も厚く、しかも庶子と言う逆境を跳ね除けた希望の星でもある。教団改革を目指すとしても、これは格好の旗印となると思う」



「そう、その通りだ。つまり、ここで“ヒサコとアイクの子供”が世に出れば、まさに王位を継ぐに相応しいという話も持ち上がる。王家の血をアイクから受け継ぎ、数々の名声を引っ提げた偉大なる母親からの薫陶を受ける。悪くない旗印に、王位を継ぐに相応しいと思わんか?」



 事も無げに言うヒーサであるが、よもやここまで悪辣であったとは、ティースの予想を遥かに超えていると言わざるを得なかった。


 なにしろ、今の今までの変事のすべてが、目の前の男の頭の中から生み出されていたと仮定した場合、その悪知恵は自分の及ぶべくものではない。


 どこまでも効率、利益を優先し、いかなる人倫も介さず、法や規則すら搔い潜る抜け目のなさまで持ち合わせているのだ。


 あまりに恐ろしさに、ティースは自然と体を震わせた。



「でも、実際は王家の血なんか引いてない。私とヒーサの子供なんだから」



「そうだ。だが、表面の情報しか見えなければ、紛れもなくアイクとヒサコの子供なのだ。たとえ、私とティースの子供であろうともな」



「そして、子供はいずれ王位をつける位置に立つ」



「そうなれば、私とティースの子供が至尊の冠を被り、王様になれるのだ。そして、私は幼い王を補佐するために“摂政大公”となり、ヒサコは国王の生母として“王太后”だ。ティース、お前は“摂政夫人”だな。悪い立場ではなかろう?」



 王家を乗っ取り、王位を簒奪する。王家の血が入っていないのに、入っていると錯覚させ、すべてを飲み込もうと言うのだ。


 どこまでも底なしの欲望で、それでいて用意周到ときた。


 ティースもまた、その恩恵に浴しても良いと言うのだ。グラグラと欲が刺激され、醜い感情が動き回っている自分に気付き、ティースは愕然とした。


 一皮むけば、自分もまた欲深い人間の一人だと気付かされた。


 強弱にこそ違いはあるが、目の前の男と同類なのだ、と。



「ああ、気にするな。“今回”の子供を、実子とするのを諦めるだけでいいのだ。“次回”以降の子供に期待すればいい。私もティースも、ほんの十八歳だ。まだまだ子供を望める年齢であるし、私も励まさせていただくよ」



「つまり、夫婦を続けると?」



「当然であろう? 挙式したその日から、今日と言う日まで夫婦であった。そして、これからも夫婦であり続ける。何の不思議もない」



 言っていることは正しかろうと、これまでのやりようを考えると、どこをどう信用すればいいのか、ティースには分からない。


 瞳に映る男の温かな笑みや、あるいは耳に届く心地の良い囁きは、まさに悪魔のそれである。


 悪魔は抗い難い提案をしてくる。相手の真に欲するものを、よくよく理解しているからだ。


 今、ヒーサの提案に乗れば、伯爵家の再興の道が開け、一気に前途は明るくなる。


 だが、そのためには、腹の中の子供を生贄に捧げなくてはならない。


 人間として、あるいは一人の母親として、それが許される事なのか、不安で仕方がないのだ。


 いずれ天の咎を受け、悲惨な最期を遂げるかもしれないと考えると、その一歩が踏み出せないでいるティースであった。


 そんな揺れ動くティースに対して、ヒーサはさらに前のめりに迫った。



「なあ、ティースよ、これからもっと“仲良く”なろうではないか。次を望むのであれば、畑を耕し、種を付ければ、芽吹かぬのは道理だぞ」



 なお身を寄せてくるヒーサに、ティースは逃れようとするが、すでに掴まれている身であり、それはできなかった。


 しかも、ヒーサの提案が心に浸透し、欲望を刺激しているのを感じており、同時に恐怖が体を縛っているのも自覚していた。


 どう足掻こうとも逃れる事はできず、すでに定められた道を進むよりない。無理に外せば、容赦なく刈り取られるだけであった。


 そう、ティースの進むべき道は、すでにヒーサの手によって定められていた。

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