10-30 花嫁は気付く! すべての黒幕は目の前にいた!

 赤ん坊を差し出せと言う要求は、いくらなんでも即答しかねる要求であった。


 誰が好き好んで、まだ生まれてもいない赤ん坊を生贄に差し出す母親がいるというのか。


 当然、ティースも否定的な表情で睨み返し、膨らんだ腹に添えられたヒーサの手を、まるで汚物でも払いのけるかのように叩き落とした。


 ヒーサは当然の反応だと思いつつも、説得のために話しを続けた。



「実を言うとな、ヒサコが言うには、あちらの腹の中には何も入っていない。つまり、アイク殿下との間に子供ができた、というのは作り話だと言う事だ」



「だ、だから何だって言うんですか!? それが私の子供と、何の関係が!?」



「私とヒサコは兄妹であるからな。互いに顔も似ているし、生まれてくる子供も、私の顔に似ている可能性がある。そこらの赤ん坊を適当に連れて来て、自身の子供とするよりかは、余程偽装がしやすいということなのだろう」



「ど、どれだけ汚いのよ、あの女は!」



 つまり、あくまで自分の子供が欲しい。そうすれば、アイクとの子供ということにして、後々の布石にできるというのが、ヒサコの発想だ。


 そのために、より顔が似ているであろう、ヒーサとティースの間の子供を寄こせと言ってきたのだ。


 ティースにとっては、腹を痛めて産む子供を、よりにもよって悪魔のごとき義妹に生贄として差し出せと言う事である。


 到底、それは飲むことのできない案件であった。



「……断ったらどうします?」



「……拒絶できる状況だとでも? 片腕ナルを失った今のお前にできるか、ヒサコの要求と、“私”の考えを突っぱねる事が」



 ほんの僅かに見せた、乱世の梟雄“松永久秀”の素顔がそこにあった。


 血を分けた子や孫であろうと、容赦の欠片もない。ただただ利用できるかどうか、自分にとって利益となるかどうか、それだけを考える、人の皮を被った別の何かが、ティースの目の前にいた。



「ヒーサ……、あなたは一体何者なのですか?」



「質問の意味を理解しかねるな。私は私、それ以上でも以下でもない」



「では、今のような人とは思えぬ受け答えをしても、あなたは悪魔でないとでも?」



「当然だ。私は人間であり、人以外の存在ではないぞ。まあ、常人よりかは、ほんの少しばかり欲深いと言う自覚はあるがな」



 ヒーサはここぞとばかりに笑顔を作り、それをグイっとティースの顔に寄せた。


 人を人とも思わぬ言動の数々に、ティースはようやく合点がいった。毒殺事件から始まる数々の陰惨な陰謀劇、その首魁が目の前にいた、と言う事にようやく気付いたのだ。


 主犯はヒサコに非ず。目の前の夫と呼ぶべき存在こそ、全ての黒幕である、と。



「あなたが、あなたが全てやらかしたのね!? あのヒサコさえ、あなたの操り人形なのね!?」



「いかにもその通り。ようやく答えを見つけ出したか、我が麗しの花嫁よ」



「よくも……、よくも私をたばかり続けてくれたわね! よくも父を、兄を、ナルを、みんなみんな殺してくれたわね!」



「誤解するなよ。私は今お前が述べた者、誰一人として殺してはいない。この手は真っ白なままだ。他の誰かにらせていたからな」



 なにしろ、この世界に来てからというもの、スキル【大徳の威】を保持するために、“表向き”はずっと聡明な名君であり続けねばならず、汚れ仕事は全部他人任せにしてきた。


 おおよそヒサコに任せてはいたが、時に外法者アウトローをけしかけたり、あるいは黒犬つくもんに食べてもらったりと、とにかく直接手を下すことだけは避けてきた。


 今はその縛りが無くなったので、必要であればいつでも自身の手を血で染め上げることも辞さないが、まだ世間一般の評判では“聡明な名君”で通っているため、わざわざそれを壊すつもりはなかった。



「そこまで聞かされて、誰がこの子を渡すものですか!」



「健気な抵抗ではあるが、無意味な抵抗でもあるぞ。一体、誰がお前を守ると言うのかね? もう、頼りにしていたナルはいないのだぞ? マーク一人では、いささか荷が勝ち過ぎる」



 ヒーサとしても、ナルの存在は厄介であった。


 ナルは機転が利くし、性格も慎重そのもので、いざ行動を起こすと容赦がない。暗殺者や工作員としてはこれ以上に無い逸材であり、叶う事なら麾下に加えたいとも考えていたほどだ。


 だが、ナルはティースへの鋼の忠誠心があり、それ故に裏切ることなど決してなかったのだ。


 ヒーサが暗殺計画にかこつけてナルを消したのも、その能力が自身に向いており、隙あらば殺しに来ると感じたからだ。


 危険な奴はさっさと滅ぼす。ごくごくありきたりな“戦国の作法”に他ならない。



「お前はどう思っているか知らんが、私はこれでもお前には気を使っているのだぞ」



「どこがですか!? 家族を殺し、財産を奪い、領土を掠め、尊厳を踏み躙り、今また大事な臣下を殺めてなお、どこをどう捻ったらそのような言葉が出ると言うのですか!?」



「今お前がこうして生きて喋っている。それが気遣いの証拠だ。何かもをしゃぶりつくされ、それでもなお生きている。用なしであるならば、それこそお前を消しているはずだとは考えんのか?」



「どこまでも下劣な……!」



 自分はなんという失態を犯したのかと、ティースはかつての自分自身を張り飛ばしたくなった。


 なにしろ、自分は人の皮を被った悪魔に嫁いでいたのだと、ようやくにして気付かされた。


 おまけに雁字搦めにされ、逃げる事すら叶わず、頼りのナルも失い、もう相手に従うか、あるいは自死するかの二択しかない状況となっていた。


 ティースはそれを理解したからこそ、ヒーサから顔を背け、現実に存在する悪魔を見まいと、視線を外した。


 だが、ヒーサはそれすら認めず、顎を掴んで無理やり振り向かせた。



「ああ、ティースよ、そんなに怯える事はないぞ。何もこの“取引”はお前にとって悪い事ばかりではないのだからな」



「……なんなのですか!? 赤ん坊を生贄に捧げて、邪神でも呼び出しますか!?」



「まあ、そう感情的なるな。なにも幽世かくりよに属する話ではない。あくまで現実的な、人間の世界の、ほんのささやかな欲を満たすための話だ」



 ヒーサはそう言うと、両の手でティースの頬を掴み、優しく指で撫で回す様に指を走らせた。


 ティースにとってはまるで蛇にでも這われているかのような気持ち悪さを感じたが、今の自分は蛇の前の蛙に等しい矮小な存在であった。


 悪魔のごとき笑顔を向けるヒーサに、抗う術などすでに失われていた。

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