9ー15 激白! 赤ちゃんが出来ちゃいました!(嘘)

 アルベールはたぎっていた。


 彼には下がれない理由があった。


 遠く離れて暮らす妹ルルや他の領民の待遇を良くするためにも、武功を挙げて存在感を示しておかねばならなかった。


 何よりも、帝国の侵攻が迫ってきている以上、今回の逆侵攻によってできる限り損害を与えておかねば、領地領民に被害が及ぶのだ。


 無論、たかだか五千程度で帝国軍を壊滅させれるとは考えてはいないが、それでも敵を一人でも多く屠れば、それだけアーソへの圧が下がることを意味する。


 一人でも亜人の命を刈り取れ。それが強迫観念のように、頭の中で鳴り響いているのだ。


 それを汲み取るからこそ、また自分にとって都合がいいからこそ、ヒサコはアルベールの戦意の高さに称賛を示すのであった。


 そうなると、サームとしては戦闘継続に賛成せざるを得なかった。


 同じく手堅い用兵をするコルネスがいれば、おそらくは撤収を促すよう進言したであろうが、今は最前線で敵宿営地付近の警戒に当たっている。


 もしこの場にいれば、積極攻勢派と撤収派が拮抗状態を作り、引き揚げさせるよう説得できるかもしれなかったが、いない人間をあてにすることはできなかった。



「分かりました。予定通り前進いたしましょう。ですが、あくまで今回の逆侵攻の主目的は、威力偵察であることをお忘れなきようにお願いします」



「分かっていますよ。深入りするつもりはありません。敵の反応が鈍いうちに叩けるだけ叩き、それから悠々と引き揚げますとも。ええ、首級を一万ほど挙げてからね」



 ヒサコは先程のアルベールの言葉を拾い、闘志旺盛な態度をこれでもかと見せつけた。


 それは実に頼もしい姿であり、慎重なサームでさえその勢いに呑まれてしまいそうになるほどだ。


 だが、それもすぐに覆った。



「お二人とも、今一つ、伝えておかねばならないことがあります」



「なんでしょうか?」



赤子ややこができました」



 ヒサコの前にいる二人は、揃って思考が停止した。ヒサコの発した言葉があまりにも斜め上を駆け抜けていったので、言葉の意味を理解できなかったのだ。


 そんな困惑する二人の姿をよそに、ヒサコは自分の腹部を優しく撫で回した。


 そこで、正気に戻った。



「え、あ、ひ、ヒサコ様、本当ですか!?」



「はい。間違いないですわ」



 冗談を言っているようにも見えなかったので、サームは机に前のめりになりながら、ヒサコに向かって身を乗り出した。



「先程の言を即座に覆すことには気が引けますが、やはり言わせていただきます。撤収しましょう! お腹の御子のためにも!」



 サームとしては当然の反応であった。古今、女性が指揮官となって帝国に攻め込んだ例はなく、それだけでも心配であったのだ。


 もちろん、ヒサコの才覚を疑ってはいないのだが、それでも女性の指揮の下で戦うのは、何かと気を遣ってしまうものだ。


 まして、その女性が孕んでいるともなると、尚更であった。


 主家の御令嬢と、王子との間に儲けられた子供。もし、これに万が一の事があれば、責任の取りようがないため、サームとしてはさっさと下がってもらうよりないのだ。


 ちらりと先程まで積極論を述べていたアルベールに視線を向けると、こちらも何を言うべきか迷うほどに困惑しているのが見て取れた。


 いくらヒサコの才能を高く評価していると言っても、身重での指揮はさすがに無茶が過ぎた。


 だが、ヒサコは困惑する二人のことなど意にも解さず、ニヤリと笑った。



「残念ですが、下がる気はありませんよ。予定通り、このまま前進です」



「し、しかし……!」



「良いですか、サーム。夫の復讐に燃えているというのもありますが、それよりもこの子の未来のために、揺るぎない武功が必要なのです」



 ヒサコはゆっくりと椅子から立ち上がり、前のめりになっているサームに顔を寄せた。


 サームは慌てて一歩下がって姿勢を正した。



「夫が暗殺されたのは、あたしの不手際です。よもやこちらを狙わず、後方の夫を暗殺するとは、考えもしていませんでした。失策です。ゆえに、それを挽回できる武功を挙げねばならないのです。汚名を払拭するためにも!」


 ヒサコの鋭い視線が突き刺さり、二人は更に緊張の度合いを高めた。とても子供を身籠っているとは思えないほどの迫力であり、その知性や闘志が一切衰えていないことを示した。



「このまますごすご引き返したらば、ただ夫を無為に死なせた愚妻として、世間では言われる事でしょう。そうなれば私は“聖女”としての名声を失い、我が子の未来に影響します。しかし、赫々たる武勲を挙げて凱旋したらば、失点を補って余りある評価を受け、子も安泰というわけです」



「仰ることはわかりますが、それでも身重で指揮をなさり、それで万が一にもお体に障って、流れるようなことになったならば……」



「その時はその時です。流れてしまうような子であれば、神が子の誕生を望まなかったと言う事でございましょう。まあ、そうならないと信じればこそ、あたしは前に出るのです」



 なお、これは完全にお芝居であり、腹の中は空っぽである。


 いずれ掻っ攫ってくる赤ん坊を寝かせるための揺り籠を、事前に少しずつ形作って、時系列や振る舞いに違和感を感じさせないためだ。



「さあ、両将軍とも、今が踏ん張りどころです! 夫の仇討ちのため、こちらには下がるという選択肢はありません! 万の首を挙げ、初めて凱旋することができると心得なさい!」



「「ハッ!」」



 強引に押し切られる形で、二人はヒサコの残留と指揮権を認める事となった。


 本心で言えば、身重の女性に戦場をウロウロしてほしくはない。早く後方に下がって、ゆっくり安静にして欲しい。


 だが、下がる気配を一向に魅せず、そのまま身重で指揮を奮うと言うのだ。


 夫アイクの死が、そこまで彼女を狂わせたのだろうと、サームもアルベールも認識した。


 それが壮大な計画のために必要な、巨大な劇場の芝居であるとは、この二人には全く感じる事が出来なかった。


 戦争を続ける。ヒサコは望みが叶い、笑顔を見せながら腹をさするのであった。

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