9-5 出陣! 将なき兵を討ちに行く!
術士の運用改善にヨハネスが思いの外に前向きであった事は、ヒサコにとって好都合であった。
やはり
「猊下、特に、首脳部の刷新は急務です。今は大人しいですが、アスプリクがいずれ復讐してやると息巻いておりますので、その点だけは特に留意してください」
ちなみに、これは嘘である。
アスプリクは法衣を脱いだことにより、かつての事を忘れ去ろうとしていた。今の生活を楽しみ、年相応の暮らしを始めていると言ってもよかった。
叔母のアスティコスとも生活にも馴染んできており、“戦場”に出して戦わせる事などしなければ、血の気も完全に押さえ込めるだろうと踏んでいた。
(まあ、その戦場に出る事になるから、暴走をしそうな要因は極力消しておきたいのよね)
今回の逆侵攻は術士を使わないと決めた以上、アスプリクが戦場に出る事はない。
だが、皇帝との決戦時は確実に出てもらう事になるだろう。伝え聞く皇帝の実力が本物であるならば、王国側も最大戦力で臨まねばならず、その中にアスプリクは必要不可欠な要素として含まれていた。
当然、戦力の集結を図る以上、教団側の戦力も加えることになるし、それがアスプリクにとっては不快以外のなにものでもないのだ。
ヨハネスが選挙で勝利し、教団での改革が推し進められている、これを材料にアスプリクを納得させて、へそを曲げられるのを防がねばならなかった。
「ああ、分かっている。幸い、アスプリクに不埒な真似をした愚か者共は、ロドリゲスに肩入れしている。こちらが勝てば、半ば強引に引退を迫れる。あるいは、閑職や僻地に飛ばすと言う手段も取れる」
「それを聞いて安心しました」
「どのみち、あの娘に対して、教団側の負債が大きすぎる。宰相閣下にもその点は大きく釘を刺されているからな。その意味を理解していない者が、意外なほどに多いのだ」
「数年前までは、それが罷り通っていたということです。その変化に付いて来れていないだけです」
「その通り。特権は人を腐らせてしまう。私とて、元々はいいところのお坊ちゃんでしたからな。前線で現状を目の当たりにするまでは、その事に気付きもしなかった」
元々、ヨハネスは三大諸侯の一つビージェ公爵家の分家筋の人間であった。類まれな術の才能を有し、特に治癒の術式においては王国一と呼び声が高い。
そのため、若かりし頃は国境紛争があると前線に駆り出され、負傷者の治療に当たっていた。
現在では出世に出世を重ね、枢機卿まで上り詰めていたが、かつての前線勤務によって、他のふんぞり返っている“お貴族様出身”の高位聖職者とは、違う視点を持っているのだ。
「まあ、猊下ほどの広い視野と見識をお持ちの方であるならば、こちらとしても教団と和解を成し、手を取り合って進んで行けると思います。どうか、今後ともよしなに」
「うむ。今は表面的には対立しているが、互いの思惑通りに進めば、それも自然と解消しよう。こうして話し合いの場を持てているのが、その証拠と言える。ロドリゲスではこうはいかん」
「はい。まあ、兄嫁がかの御仁をボコボコにしばき倒してしまったのが、直接の原因ではありますが」
「ティース殿か。あれを聞いた時は最初は唖然としたものだ。公爵殿も随分とまあ苛烈な嫁御相手に、さぞや苦労としていることだろう」
「ええ、そりゃあもう」
なお、ヒサコの身バレもあって、今は夫婦仲が崩壊している状態であり、下手を打てばナルかマークが暗殺しに来るというかなり危険な状態になっている。
その誤魔化しに苦労しており、今回の逆侵攻の主要因にすらなっていた。
(国外に出て、ほとぼりを冷ます。功績を上げて、“名声”を盾にして殺しにくくさせる。身バレの件は本当に失策だったわ)
よもや“箸の使い方”で毒殺事件の裏に勘付かれるとは、ティースの鋭さを侮った予想外の出来事であった。
嫁の鋭さを見誤った結果であり、今後はより慎重な動きを求められることとなった。
「ああ、そう言えば、お兄様からの知らせなのでしたが、義姉上が懐妊なさったそうですよ」
「おお、それはめでたいことだ! お世継ぎが生まれれば、公爵家もますます安泰ですな」
「はい。その頃には産み月も近付いておりましょうが、
ヒサコの提案は貴族の常識と、政治案件を絡めた内容であった。
出産は何かと苦労を伴うし、母子ともに命がけの荒行である。そのため、万一に備えて、術士を出産立会人にして、もしもの時に控えておくということが、貴人の間では当たり前になっていた。
以前、ヒーサが領民の出産に立ち会い、麻酔なしの帝王切開に踏み切ったのも、マークと言う治癒術を習得している術士がいればこそである。
そして、目の前にいるヨハネスは、治癒術の第一人者であり、出産立会人としては最適であった。
また、“新法王”が“シガラ公爵家”の出産に立ち会うという事が、最大の成果とも言える。
絶賛対立中の教団と公爵家が互いに歩み寄ったと、周囲に認知させるのに大いに役立つ。生まれた子供に祝福を与え、以て両者の和解と成す、完全無欠の政治ショーと成り得た。
(ま、それ以上の事も計画に入れているけどね~)
ヒサコの頭の中には、さらに不埒な方法も考えていたが、教団との関係修復を優先した場合は、こちらの策を通し、状況次第ではより過激な“第二案”も用意していた。
生まれてすらいない自分の子供すら、すでに策の中に組み込む容赦のなさ。本当にろくな死に方はしないぁ~、自嘲するのであった。
「なるほど。悪くない話だ。こちらとしても申し分ない。是非にもそうなってほしいものだ」
「はい。そういう運びになりましたら、改めてお願いに参りますので、よろしくお願いいたします」
ヒサコは改めて頭を下げ、ヨハネスも了承したと頷いた。
「だが、それもこれも、すべてはヒサコ殿の働き如何だということだぞ。なにしろ、選挙の行く末は私の支持をどこまで伸ばせるかであり、その弾みをつけるために反発を承知で、こうして足を運んだのだ。そして、しっかりとした形を成すためには、戦での勝利が必要不可欠」
「心得ております。ですが、ご安心ください。このヒサコ、負ける戦はいたしませんし、ちゃんと勝算はございますよ」
そして、ヒサコは会心の笑みを浮かべた。
「戦慣れしている帝国の連中と言えど、一皮剥けば、年がら年中対立しているまとまりのない集団。個々の能力は高かろうとも、それが軍として機能しなければ、烏合の衆なのです。能力差を装備差で補い、まとまりのなさを策を以て増幅させ、バラバラにしてご覧に入れますよ」
その笑みは、前線経験もあるヨハネスすら戦慄させるのに十分であった。
まだ二十歳にすらなっていない若い女性が、なぜこうまで悪魔じみた笑みと百戦錬磨の雰囲気を出せるのか、それが不思議でならなかった。
「皇帝不在の軍であれば、倒すのは造作もない事。私は今から、将なき兵を討ちに行きます。こんなに楽しい事などございませんわ」
まるで地獄の底から漏れ出たような笑い声が部屋中に響いた。
それこそ、“帝国側”にとっての地獄が産み落とされる、開戦の鬨の声となるのであった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます