8-45 逸脱! この際、兵法の常道は外してしまえ!

「公爵様、逆侵攻をかけるとして、アーソにはいかほどの兵員がいるのでしょうか?」



 尋ねたのはルルであった。


 アーソの出身者だけに、現地がいよいよ大規模戦争に巻き込まれることを危惧しているのは、態度や声色からすぐに察することができた。



「今、アーソには元からの現地兵、シガラからの派遣兵、宰相閣下が用意した派遣兵、以上の三部隊が存在する。これらを全部合わせると、五千を少し超える程度にはなるそうだ。で、ヒサコはその内の五千を率いると言っている」



「十万に対して五千だけ!? いくらなんでもきついよ。僕くらいの術士が数十人はいる!」



「そんなものがいるわけないだろ、アスプリク」



 アスプリクは国一番の術士であり、その凄まじい威力をヒーサはアーソでの戦闘の際にしっかりと見せてもらっていた。


 もし、アスプリク級の術士が二、三十人でもいれば、戦局はもっと楽になるだろうが、そんな都合よく強力な術士を揃えられるわけではないのだ。



「だからこそ、ヒサコはあえて術士なしでの編成を試みているのだ。術士なしでも帝国軍と戦えるというのであれば、一般の兵士の士気も上がる。今後の展開が有利に進むと言うものだ」



「言うは易し、の典型ではございませんか? 十万の相手に対して、五千をぶつけて勝とうなど、机上の空論に過ぎませんわ」



 辛辣な意見はティースより発せられた。


 ティースも武芸を磨き、兵法書を読み解き、割と軍事には明るかった。だからこそ、戦における“数的有利”というものを理解していた。


 数で押すのが常道であり、いかに多くの戦力を集め、数で圧倒するのがよいかを知っていた。


 ヒサコの行動はその常道を外すものであり、到底理解できないことであった。



「まあ、“まとも”な性格をしていれば、ティースの判断はその通りだ。だが、今回はその限りではないと言うのが、ヒサコの意見なのだ」



「何を根拠として?」



「装備の質と、兵の練度、これで圧倒するのだそうだ」



 相手の数的有利を質で補う、それがヒサコの意見であった。



「十万と五千、この差を埋めれるほどの質が、アーソの兵員にあると? それこそ、アスプリクが何十人でもいないと不可能では?」



「ティース、話を聞いていなかったのか? “十万”ではない、“一万”だ」



「…………! では逆侵攻を企図したのは、集結前の敵を叩くためだと?」



「今の段階で、差は倍。集結には時間がかかると偵察隊からの報告もあり、ヒサコが攻め込むくらいのときは、三倍か四倍くらいにはなるだろう」



「それでも勝てると?」



 ティースに限らず、敵地での野戦で四倍からの戦力差で勝てるなどというのは、あまりに無謀だと誰もが考えた。


 だが、話すヒーサは余裕の態度を崩さなかった。



「ヒサコの勝算はな、相手を実際に見た、と言うものが大きい。エルフの里においてな、小鬼ゴブリンの大軍に襲われたそうだ。その時、連中の装備を見たのだ。実際現場にいたアスティコス、説明してやってくれ」



 ヒーサの言葉に、アスティコスはビクリと肩を震わせた。


 なにしろ、その小鬼ゴブリン軍団を操っていたのが、ヒサコなのを知っていた。里を焼き払い、エルフを皆殺しにしたのが、あの“悪役令嬢”なのだ。


 思い出す度に恐怖で震え上がるが、説明しないわけにはいかない。なにしろ、それをヒサコと共になした黒犬がすぐ側にいて、しかも今はこちらを脅すかのように、隣に座るアスプリクの周りをウロウロしているからだ。


 下手な事をしたら姪を始末する、そう言いたげな行動であった。


 なお、アスプリクはヒサコや黒犬つくもんの“裏”のことも知っており、そこから叔母が怖がる理由も察していたが、ヒーサから特に何も指示がないため、黙って見守ることにしていた。



「あのときは、千とも二千とも言える軍団でしたが、そのすべてが貧弱な装備でした。防具は革製か、手入れの行き届いていない寂びた鎧。手に持つ武器は、これもなまくらな剣や斧、棍棒程度。数や俊敏さは問題となるでしょうが、装備はボロボロです」



「そう。で、対するアーソの兵員は、槍兵と銃兵だ。飛竜ワイバーンなどの飛行能力持ちの相手も想定して大弩ウィンドラス・ボウも編成に組み込んである。騎兵も当然いる。近接戦しかできぬ部隊、まともに機能していない指揮統制、相手がこれで負けるとでも?」



 そこまでひどい状態なのかと、全員が絶句した。


 アスプリクもティースもそれを踏まえて、脳内演習を試みたが、結果はアーソ側有利と判断した。いくらなんでも、銃どころか弓も騎馬もない部隊が、整然と並ぶ銃列や槍衾に突っ込んだらどうなるのか、想像するのも難くないのだ。



「しかし、そうだとしても、兵数の多寡を軽視してはいませんか?」



 ティースはここで最大の懸案事項を口にした。


 装備や兵の練度の差は理解したが、やはり数の差は大きい。数的有利を以て押し込まれたらば、苦戦は必至と言えた。



「だからこそ、だ。敵の集結を待っていたら、それこそ数で押し込まれる。まずはこちらが突き、相手の出鼻を挫いた上で、籠城戦に移行する。防衛線を固守するだけでは、戦は勝てんぞ」



 ヒーサの意志は固い。しかも周囲も同調する空気で満ちており、意見の変更は不可能だと、ティースは悟った。


 もし、ヒサコが帝国戦線に出ないのであれば、暗殺すら考えていたが、この状況下で仕掛けてしまった場合、前線の指揮系統が崩壊しかねない。そうなっては帝国軍が王国領内になだれ込み、その被害は目を覆いたくなるほどになるだろう。



(ああ、もう! ヒサコを始末したいのに、始末できる機会がない!)



 復讐は果たすつもりでいるティースであるが、世界の滅びは許容しない理性的な一面があり、それが最後の抑止力として彼女を押し留めていた。


 そんな歯痒く思うティースをヒーサは眺め、密やかにニヤリと笑った。



(ティース、悪いがヒサコを暗殺させる隙は与えんぞ。お前は激情家に見えて、その実は冷静な視野を持ち合わせている。勢い任せに突っ込んでくるような猪武者ではない。せいぜい、時間を稼がせてもらうぞ。全てが片付くか、ナルやマークを返り討ちにできる準備が整うまでな)



 帝国の侵攻に備えつつ、国内の政敵達にも目を配り、嫁との化かし合いにまで興じる。


 なんとも忙しない事だと思いつつも、この状況を楽しんでいる自分がいることも自覚しており、ヒーサは自身の度し難い感性を笑い飛ばすのであった。

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