8-5 教育的指導!? 女エルフ、教師になる!

 皇帝の事は気になる。


 だが、それ以上に重要な案件も控えていた。



「まあ、それにさぁ。アスティコスには公爵領で、是非ともやって欲しい事があるのよ」



 ヒサコはさらに体をアスティコスに寄せ、その手を握った。


 アスティコスは思わず、ヒィッと悲鳴を上げて体をのけ反らせたが、強引に引っ張り寄せられ、ヒサコの顔と自分の顔が接触しそうなほどに近付いた。



「なななな、なんですか!? あ、あれ、卑猥な事とかなら、お断りですからね!」



「それはお兄様の気分次第ね」



「気分次第で、私、襲われちゃうの!?」



 やはり危険だと感じ、アスティコスは逃げようとしたが、手を掴まれたままなのでその動作は徒労に終わった。


 また引っ張られ、ギュッと手を握られた。


 緊迫した沈黙、そして、間近にあるヒサコの笑顔。獲物を見定めたようなその眼差しは、アスティコスを怯えさせるのに十分であったが、それは完全なる杞憂に終わる事となる。



「実はね、あなたには箸の指南役になって欲しいの!」



「はへ?」



 あまりに想定外な依頼に、アスティコスの頭の処理が追い付かず、ただただ茫然とした。



「て言うか、それ、まだやる気だったの!?」



 御者台のテアも思わず振り向き、呆れたと言わんばかりの視線をヒサコに向けた。



「当然! 食事の作法がなっていないのは、前々からの改善必須案件だからね! こうして、エルフを招き入れたんだし、いよいよ本格始動よ!」



 ヒサコはやる気満々であった。


 カンバー王国では食事道具カトラリーが未発達であり、貴族の食事ですら未だに素手で食しているほどであった。食卓上にある道具と言えば、汁物のためのスプーンや、肉塊を切り取るために無造作にぶっ刺さったナイフくらいだ。


 作法マナーも何もあったものではない。



「アスティコス、あなた、味噌の製法もしているわよね?」



「え、あ、まあ、一通りの事は覚えているわよ」



「よし。なら、帰ったら早速、味噌作りを始めるわよ。赤味噌は時間がかかるけど、白味噌なら短い時間でいけるし、そう遠くないうちに食卓に味噌の味が入るわね」



「く、詳しいわね。まあ、牢屋に入れてた時に、両方の味噌汁は出してたけどさ」



「うん、どっちも美味しかったわよ。まあ、あたしの好みで言えば、白味噌派だけどね。とにかく! アスティコス、あなたには料理と作法の指導をお願いするから、公爵領の習慣を一掃して、エルフ式に改めさせるから、そのつもりでいて!」



「は、はひぃい!」



 欲望丸出しのヒサコに気圧され、アスティコスは思わず首を縦に振り、引き受けることとなった。



「それにさ、アスプリクからも注文入っているのよ」



「え? そうなの?」



「そうよ。『トーフ食べたい』ってね。まあ、あれは日持ちしないから持ち帰りは不可能だけど、こうしてエルフの職人を連れて帰れば万事解決! 食文化に新風を巻き起こすわよ!」



「作れはしますけど、材料あるの?」



「抜かりなく♪ シガラやカウラで大規模開墾を行って、農地は大幅に増えたからね。麦と大豆の生産量はどんどん上がっているから、味噌も豆腐も作り放題よ」



 なにしろ、現在のシガラ公爵領は他領からの流入が激増していた。


 ヒーサが打ちだした“術士による生産向上策”と“十分の一税廃止宣言”が、大きな効果を生み出していた。


 半ば強引に『五星教ファイブスターズ』の専権事項であった“術士の管理運営”を侵食し、公然とその利用を行っていた。


 教団側もこれには厳重な抗議を行っていたが、『アーソ辺境伯領の大逆事件』と呼ばれる事件において、教団の現役の司祭であったリーベが異端宗派『六星派シクスス』の暗黒司祭であることが発覚。教団の権威を大いに傷つけてしまった。


 一方で、ヒーサはその事件の解決やその後の後始末に尽力し、その名声は国中に轟いていた。


 そうした経緯があるため、術士の管理については強く出れない状況であり、結局、辺境伯領にいた隠れ里の術士はシガラ公爵領に移住し、“戦争に使わない”ことを条件に不問とする運びとなった。


 そこからが、ヒーサの本領発揮となった。


 術士を利用して、一大ブームを起こしている漆器の増産に励み、大きな財を成すと、それを元手に今度は大規模な開拓事業に乗り出した。


 すると、教団に隠れて暮らしていた隠遁者の術士が次々と公爵領に流入。これに加えて、使い潰しに近い待遇の悪さであった下級の神官までもが噂を聞きつけて、職場放棄をしてまで公爵領に向かう者が現れ始めたのだ。


 結果、公爵領内の術士の数が増大し、また農地を求めて入植者が、商売のために行商が、次々とシガラの地を目指して人も物も活発に集まるようになった。


 そこへ来て、教団の口やかましい説教を聞き飽きたヒーサが、とうとうシガラ教区のライタン上級司祭を焚きつけて、勝手に法王を名乗らせ、自らを『改革派リフォルマーズ』と名乗り、教団主流派との決別を宣言した。


 ここまでなら、教団側がシガラ公爵を叩き潰せば終わりであったが、それに先んじてヒーサは“十分の一税廃止宣言”を行い、国中を揺るがせた。


 “十分の一税”は教団の貴重な収入源であり、各地の領主から税収の十分の一を教団に収めることになっているため、これの廃止に飛びつく貴族が現れ始めたのだ。


 無論、教団からの圧力もあって、廃止宣言を撤回する弱小貴族も多いが、潜在的に教団への反発心を持つ貴族が多いことがあぶり出され、迂闊にシガラ公爵を責めれば、逆にそうした不穏な空気が大爆発を起こしかねないと見られるようになった。


 結果、シガラ公爵への圧力も中途半端に終わり、なし崩し的に教団始まって以来の二人の法王が並び立つ異常事態に陥っていた。


 こうした混乱の最中も待遇の良さに惹かれて公爵領への流入が止まらず、逆に農地不足に陥ったため、妻ティースの領地であるカウラ伯爵領にも開墾事業を取り入れ、そちらの生産力も向上していった。



「これから国内で、大規模な内戦が起きる可能性が高い。それを見越して財や、食料の確保に動いていると言うわけ。味噌は保存も利くし、生産しておきたいのよね」



「いやはや、食い意地張ってるとは思っていたけど、そこまでとはね」



「食い物の恨みは怖いのよ~。極端な話、一揆が起きる原因の多くは、食料に関することだからね。食うに困ってやむを得ずってやつ。結局のところ、治安が良くて、税金が高くなくて、食うに困っていなけりゃ、自分の上に立つ人間が誰だろうと構わない。そう考えている民衆がたくさんいるって事!」



 それができなかったからこそ、戦国の世は乱れに乱れていたのだと、ヒサコは考えていた。


 秩序もなく、奪い奪われ、そんな日々だからこそ安心して田畑を耕すこともできず、結果的に物が不足する。単純な話ではあるが、その当たり前の事すら満たせないのが乱世であり、それがこの世界でも目の前まで迫っていた。



(まあ、騒動の種を撒いたのは、あたしだけどね~♪)



 一年に満たない時間の中で、王家も教団も他の貴族も、大いに巻き込まれて損害を被っていた。


 ただ一人、シガラ公爵ヒーサだけは被害も少なく、むしろ事件の裏にある美味しい部分を掻っ攫っていき、実質一人勝ちに近い状態であった。



「うん、そんな小難しいこと言っても、私にはちんぷんかんぷんよ」



「でしょうね。他者との交流を拒んできたエルフの里だもの。せいぜい、千人程度の集落じゃ、里長の統治がしっかりしていた以上、問題らしい問題なんてないでしょうしね」



「そう、あなたが来るまでね」



 アスティコスとしては、ヒサコにぶつけれる最大限の嫌味であったが、ヒサコはニヤリと笑うだけで、特に取り合うこともなかった。



「とにかく、帝国が動き出したとなると、状況はややこしい方向に動く。予定外だけど、対処しないのは愚策。積極的に動いていくわ」



「はいはい。それじゃ、急いで戻りましょうね」



 テアは馬に鞭を入れ、その足を速めた。


 なんとも予定外の騒動が起こったとは言え、魔王を称するジルゴ帝国皇帝を無視することもできないのだ。


 さて、どう対処すべきか。ヒサコは荷台にゴロリと横になり、考えに耽るのであった。

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