7-71 こいつが魔王ですか!? いいえ、我が家の愛犬でございます♪

「よくも、よくもこんな真似を!」



 知恵が回るだけの人間かと思いきや、よもやの隠し玉である。アスティコスとしてはまんまとしてやられたという感じであったが、もはやどうにもならないことも理解していた。


 目の前の黒犬つくもんは圧倒的な実力を持っており、とてもではないが太刀打ちはできない。


 どうやってこんな存在を使役できているのかは不明であるが、ヒサコがただの人間ではないことだけは嫌でも理解できた。



「まあまあ、そんなに力まないでいいわよ。あたしは心優しい誠実なお嬢様よ~。そう、“敵対しない限り”は、別に噛みついたりしないから」



 なお、消したい相手は煽って敵対するように仕向けることもあるので、とんだ大噓付きでもあった。


 そのとき、控えていた黒犬がゆっくりと進み出て、ペッと何かを吐き出した。それはアスティコスの方へと放り込まれ、何かを確認しないままに掴んでしまった。


 そして、それは更なる絶望を呼び込んだ。



「あああああああああああああ!」



 投げ込まれた“それ”を確認するなり、アスティコスはこれまでにない叫び声を発した。


 恐怖と、絶望と、後悔が混じり合い、彼女を支配した。慌てて“それ”を放り投げ、再び尻もちをついた。


 “それ”とは他でもない、プロトスの、アスティコスの父親の首であった。



「こら、黒犬つくもん! 娘さんに父親の首を届けるのはいいにしても、そんな粗雑に扱っちゃダメでしょ!」



「クゥ~ン」



 主人からの叱責を受け、黒犬つくもんの耳は垂れ下がり、しょぼ~んとした表情になっていた。



「まったく、礼儀も作法もあったものじゃないわね」



 ヒサコは転がり落ちたプロトスの首を拾い上げると、付着している血や泥を手拭いで丁寧に拭いて、奇麗にしていった。


 その姿は神々しくも禍々しく、それを見上げるアスティコスは腰を抜かしたままであった。



「な、なんでよ。なんで父さんがそんな姿に!?」



「そりゃ死んだからでしょ。黒犬つくもんがやって、首だけは持ち帰った。それだけ」



 平然と答えるヒサコであったが、自分が暗殺したことは伏せておいた。下手な反発を生むより、黒犬つくもんへの恐怖心を増大させておいた方が得策と判断したためだ。



「嘘だ! 父さんが死ぬわけない。悠久の時代を生き続け、絶大な魔力を有する術士であり、優れた技巧を持つ技術者でもある。それが!」



「でも、首だけになって動き回れる生き物なんていないんだし、現実を受け入れなさいな」



 奇麗になったプロトスの首をこれでもかと見せつけ、さらに黒犬つくもんがアスティコスに近寄り、その体躯に似合う大きな舌でペロリと小さな顔を嘗めた。


 もはや悲鳴を上げることすらできず、ただただ震えてヒサコと黒犬つくもんを見上げることしかできなかった。


 これは何かの悪い夢なのだろうか、そうとしか思えないほどの非現実な現実を突き付けられ、アスティコスは混乱した。


 自然と涙が零れてきた。ほんの少し前までは、何十年、何百年、変わる事のない静かで平和なエルフの里がここには存在した。


 だが、ほんのささやかな“異物”の侵入が、そのすべてを崩壊させた。


 今、聖域より少し離れた里は、燃え上がっている。耳をすませば、住人の悲鳴や断末魔、あるいは怪物モンスターの叫び声が律義に耳へと届けられてくる。


 噴き上がる煙は、さながら戦場の狼煙のようであった。


 そして、エルフの叡智の結晶たる里長のプロトスは、哀れにも首だけの姿になって、娘に晒されている。それを握っている人間の女と、犬の姿をした魔王のなんとおぞましい事か。


 アスティコスは失われつつあったなけなしの勇気を振り絞り、怒りと悲しみの感情任せに叫んだ。



「あなたが、あなたがここに来なければ! あなたが私の前に現れなければ!」



「でも、里にあたしをご招待したのは、あ・な・た。その点は忘れないようにね」



「あの場で殺しておけば良かったわよ!」



「ええ、里の事を思うのであれば、そうすべきだったと思うわ。怪しげ異物はさっさと排除。うん、実に正しい対応だわ。でも、それをしなかった。つまり、ああなったのはあなたのせい」


 ヒサコの見つめる先には炎と煙が天高く舞い上がっており、里の惨状が目に浮かぶと言うものであった。


 どことなく哀愁を漂わせているが、だからと言って罪悪感は一切ない。交渉に交渉を重ねた結果であるのだから、何も気に病むことなどないのだ。



「ヒサコ、あなたが、あなたが“魔王”なのね!」



「残念、それはハズレよ。“今日”の魔王はこっち、黒犬つくもんが魔王役なのよ。まあ、一日限定だけどね」



「ワォン!」



 ヒサコは黒犬つくもんの頬を撫で回した。公爵令嬢とその愛犬の他愛無いひととき、そう思えなくもない光景だ。 


 少なくとも、黒犬つくもんの巨躯と、ヒサコが抱える生首がなければ、誰しもがそう思うであろう。


 だが、目の前の現実は残酷であった。燃え盛る里、悲鳴を上げながら逃げ回るエルフの住人、首だけになった父親、すべてが現実なのだ。


 それもこれも、たった一人の人間の女が成した。現実とは思えない悪夢のような現実を、たった一人で考え、準備し、形として成してしまった。


 こんな理不尽を“神”が許しておくと言うのか!



「あなたは、あなたはいったい何者なの!?」



 アスティコスの目には、ヒサコの姿は人間のそれにしか見えない。だが、明らかに何かが違う。別の何かがいる。そうとしか考えられなかった。


 そんな怯えるアスティコスにヒサコはそっと歩み寄り、まだ尻もちをついている小柄なエルフの横に立膝を突いた。


 左脇に生首を抱えつつ、そっと右手でアスティコスの頬を撫でた。


 生首を掴んでいた手、“魔王”である黒犬つくもんを撫でていた手、それが今、自分の頬に添えられている。もう何も考えられないほど、恐怖と混乱が頭も体も縛り上げていた。


 そして、ヒサコは口をつり上げ、ニヤリと笑った。



「私の名はヒサコ。ヒサコ=ディ=シガラ=ニンナ、カンバー王国所属の公爵家当主ヒーサの妹。お兄様の命により、悪のすべてを担う者。謀略と暗殺を司り、お兄様のためだけに作られた人の型を成した殺人人形キリングドール。闇に生き、影と共にひた走り、悪であることを宿命づけられし者、すなわち“悪役令嬢”なり!」

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