7-53 絡み付け! 梟雄は女エルフを縛る!

「なに? 小鬼ゴブリンの群れだと?」



 ヒサコとのやり取りの後、自宅に戻っていたプロトスは、武具の手入れをしていたところに、急を知らせる報告がもたらされた。



「それで、数はどの程度だ?」



「分かりません。ですが、これまでにない数です! 百や、二百はゆうに超えているはずです!」



 報告者の表情も切羽詰まっており、余程の重大な危機が迫っていることはすぐに察することができた。


 プロトスは意識を集中させ、その映像を頭に映し出した。いくつもの守護者を各所に配しており、その視界を借りてその場の状況を確認が取れた。


 そして、実際、小鬼ゴブリンがウジャウジャ現れており、現在配備している見張りの部隊だけではまず手が足りないことを認識した。



「これはいかんな。下手をすると、聖域が荒らされかねん。まったく、人間といい、妖魔といい、どうしてこう騒々しいのだ。静寂しじまの中に揺蕩たゆたう事の出来ぬ、神の恩寵薄き失敗作めが」



 プロトスは思うのであった。先程の人間との会話もそうであったが、欲望の塊のような精神をしていた。


 無論、欲望そのものを否定するつもりはない。空腹を覚え、何かを食べたいと思わねば、そのまま餓死してしまうし、その食べたいという感情が欲望であるのだから。


 欲望がないと言うことは、生きる必要もないということであり、生きると言うことは、欲望を満たすということでもある。


 だが、何事にも限度というものがある。


 過ぎたるは及ばざるがごとし。欲求を満たすにしても、ほどほどを心掛けねば自身の体も、あるいは他者の領域も損ないかねないのだ。



「まあ、考えるより先に、今は動かねばならんな。すぐに戦士団を組織し、現場に向かわせろ。私もすぐに現場に向かう。何が何でも打ち倒せ。聖域を汚らわしい連中に、土足で踏み荒らさせるような真似はさせるな」



「はい!」



 指示が飛ぶなり、エルフ達は外へ飛び出していった。


 しかし、プロトスの指示に従わず、その場に居座った者がいた。女エルフのアスティコスだ。


 何か言いにくそうにプロトスを見つめており、それを察したプロトスはため息を吐いた。



「アスティコスよ、あの人間が気になるか?」



 無論、あの人間とはヒサコの事だ。


 聖域に侵入し、捕縛して牢に入れてからというもの、その配膳をしていたのはアスティコスであった。


 配膳の度に、里を出ていった姉アスペトラの事や、あるいは姪のアスプリクの話を聞いたり、あるいは森の外の世界について質問してみたりと、“よくない”兆候が見られていた。


 おかげで“憧れ”という名の毒に犯され、外の世界に徐々にだが魅力を感じるという、度し難い変化が現れてきていた。


 ヒサコやテアの処遇について話し合う会議の席でも、明らかにヒサコを庇い立てするような発言も出ていた。


 ヒサコの放逐を決めたのも、これ以上、アスティコスを蝕む毒が進行しないようにするために他ならない。エルフは静かな森の中で暮らす、それが一番だと信じるがゆえの措置だ。



「ヒサコとか言う人間が、というより、姉さんの忘れ形見が、です」



「そちらか。たしか、アスプリクとか言ったな」



「なぜ、お迎えにならないのですか? 仮にも、あなたの孫なのですよ!?」



「血筋で言えばそうかもしれんが、会うべき理由が何一つない」



 きっぱりと言い切るプロトスに、アスティコスは愕然とした。こう答えるであろうことは予測していたが、目の前で言い放たれると、やはり想像以上に重たく感じてしまうものであった。



「長! いえ、父さん! あなたは姉さんが出ていった時もそうだった。どうしてそんな、血の繋がった家族にまで、冷淡でいられるのですか!?」



「そうする必要があるからだ」



 プロトスの目は本当に冷めきっていた。それはアスティコスに向けられているが、血を分け与えた娘に向けられるものではなかった。


 少なくとも、アスティコスにはそう感じられた。



「いいか、アスティコスよ。エルフという存在は、神が作りたもう数ある人型の種族の中でも、最も優れている存在だ。造形は非常に均整の取れた物であり、その動きは極めて俊敏だ。高い魔力を持ち、低めの腕力を補って余りある。何より長寿であり、英知と技術の習得に充てられる時間も得られると言うものだ。実に優れた種族であるが、一つ重大な欠点がある。それは繁殖力の低さだ」



 それはアスティコスも重々承知していた。


 人間ならば、年中子作りができる上に、生まれた子供は十五年もすれば大人と変わらぬ体格にまで成長する。


 今、里を襲撃している小鬼ゴブリンに至っては、多産な上に育成期間が更に短い。


 こうした種族の能力値と繁殖力が吟味され、世界の覇権のバランスが取られていると言ってもよい。


 特に人間種は繁殖力が旺盛な上に、能力値もそこそこ高く、地上の生物の中では不安定ではあるものの、覇権を握っていると言ってもよかった。


 もし、エルフが人間に近い繁殖力と成長速度があれば、あるいは覇権はエルフが握っていたとも考えられていた。


 実際、エルフの子作り周期は年に一度あるかないかだ。おまけに子供が大人になるまでには、百年近い月日が必要となる。


 こうした繫殖力という点でエルフは、人間や小鬼ゴブリンに到底及ばないのだ。



「エルフは個体数が少ない。種を撒き、芽吹かせられるのはほんの僅か。その僅かな芽も伸びるまでが遅い。苗木を育て、大樹になるまでじっくりと育てなくてはならない」



「それは承知しています。それが何の関係がありましょうか!?」



「そうしたゆっくりとした流れがあるからこそ、エルフはじっくりと子育てができるのだ。だが、他種族を見よ。なんと忙しないことか。結局、多年生の植物と、一年生の植物は共存できん。もし仮にだ、お前が人間に恋をしたとしよう。自分だけが変わらず、相手が老いて朽ちる様を見届けられる覚悟はあるか?」



「そ、それは……」



「即答できなかったな。それこそが、相互理解できない証なのだ」



 プロトスの意見は正論であった。寿命の長さが違い過ぎるからこそ、そこに悲劇が生まれ、引き裂かれる別離が生じるのだ。



「分かり合えただのなんだのと言っても、所詮は一時的なもの。人間なんぞは、ものの一年ですべてを忘れてしまえる軽薄な存在よ。私が外との交流を禁ずるのはそれだ。時間の流れという超えられぬ壁がある以上、無理に壊してしまう必要もないということだ」



「それで、姉さんすらも放逐したと!?」



「以前にも言ったはずだ。外のケガレを持ち込むなかれ、とな。一度外に出てしまった以上、それは部外者なのだ。森の中で暮らすエルフこそ同胞であり、森の外、まして人間の世界に飛び込んだ者など、それは同胞でもなんでもない。ケガレの証である、孫にも会う気にもなれん」



「そこまで言い切りますか……」



 あまりにも頑固であった。神が作りし完全に純なるエルフは、まるで一本の巨木のように動じることなく、ただ真っすぐに伸びていた。


 それを揺らすことすら叶わぬと、アスティコスは無念のほぞを噛んだ。


 姉との和解は不可能であるが、その娘とはせめて一目会って謝りたいと考えていたが、いよいよそれすら道を閉ざされたと、アスティコスは考えた。


 そんな打ちひしがれる娘に対して、父としてではなく、長として追い打ちをかけた。


 手入れが終わったばかりの弓を手に取り、矢筒を握り、それをアスティコスに差し出した。



「さあ、行ってこい。それでヒサコとか言う毒草を枯らしてくるのだ」



「え……?」



「ヒサコが言った。今回の小鬼ゴブリンの襲撃は、あやつの詐術トリックが原因だとな。さすがに今夜のような大規模攻勢まで、あのような小細工でできるとは考えておらんが、なにかしらの術を用いていることだろう。私は今から現場に赴いて、それを確認してくる。お前はその大元を断て」



 有無を言わさぬ口調と雰囲気であり、アスティコスも差し出された弓矢を受け取らざるを得なかった。震えながらも弓矢を受け取り、矢筒を自身に括り付けた。



「迷いは自らの手で断ち切れ。お前は外の世界に関わるべきではないし、知るべきではない。体内に回った毒も、いずれ時間が解決してくれよう。我らの時の流れは、人間のように忙しくない。ゆっくりと流れる小川のように、あるいは百年かけて育まれる樹木のように、な」



「はい、その通りです」



「遠慮はいらぬ。里を犯し、同胞を殺めようと小鬼ゴブリンが集まっておるが、それを操っているのが他でもない、あのヒサコという人間なのだ。あんな野蛮人は生かしておく価値もない。毒草は間引き、実を結ばぬうちに枯らしてしまえ」



 プロトスはアスティコスの背を押し、牢屋のある方に駆けていくのを見送った後、自らも駆け出して小鬼ゴブリンの大群が迫りつつある聖域へと急いだ。


 だが、この時、プロトスは大きな見落としをしていた。


 ヒサコ、さらに言えばその中身である“松永久秀”の性質が、“つた”であることを。


 蔦は建物や樹木に絡みつき、それを頼りにどこまで伸び行き、ついには絡んだ存在をも枯らしてしまう恐るべき生存力、“しつこさ”の象徴なのだ。


 決して離れぬ蔦蔓つたかずらは、すでに女エルフに絡みつき、その心を蝕んでいることを、プロトスは気付いていなかった。


 お説教一つでそれが振り払われるほど、松永久秀の毒は優しくないのだ。

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