7-43 腹を括れ! 今日からお前が法王だ!

「法王になれ」



 あまりにも突飛すぎるヒーサの発言に、ライタンは大慌てで詰め寄った。

 


「今のはナシで! いくらなんでも、そんな事はお引き受けできかねます! て言うか、公爵、一体何を考えてそんなことを!?」



「決まっている。足払いかまして地面と接吻した相手に、追撃で汚物をぶちまけて、更なる侮辱と挑発をするためだ」



「限度というものがあるでしょう!」



「限度というものは、いずれ塗り替えられるために存在する。今がそうだ。限りなどというものは、存在しないと思っておきたまえ」



 引く気のないヒーサにライタンはもはや説得の言葉も出なかった。聡明である事は間違いないのだが、時折度し難いまでの頑迷さを見せ付けてくる公爵を、理解するのは不可能だと諦めた。


 しかし、状況説明を受ける必要はあったので、会話は続けた。



「で、私が法王に就任した場合の利点とは?」



「古の賢人の言葉に、『天に二日なし、地に二王なし』という言葉がある。天空の太陽が一つであるように、地上の王は唯一人だけ、ということだ。この千古の鉄則が損なわれた時、秩序は大いに乱れ、混乱と流血を呼び起こすだろう」



「ならば、猶の事、お引き受けするわけにはまいりません」



 まかり間違っても、自分がその騒乱の発起点になるなど、ライタンには耐え難い事であった。


 聖職者として人々を善道に導くことは合っても、地獄へ引きずり込むことなど真っ平御免であった。



「まあ、最後まで聞け。重要なのは、旗色を鮮明にすることだ。あくまでこちらが求めるのは教団の改革であり、それを成すまで決して下がらない、という意思表示の上での法王“僭称”なのだ」



「あ、“僭称”であることはお認めになりますか」



「教団の規定だと、五名いる枢機卿の中から次期法王が選ばれることになっているし、しかも法王選挙コンカラーベとかいう票集めで選ばれるそうだからな」



 当然、ライタンは枢機卿ではないので、選挙に立候補することはできない。仮に、立候補資格があったとしても、自分に入れてくれそうなのは一人しかいないのだ。


 そして、その一票を入れてくれそうなアスプリクに視線を向けた。



「あ~、もし選挙やるんなら、僕は間違いなくライタンに入れるね。真面目で働き者な常識人なんて、今の教団幹部にはたったの一人しかいないんだもの」



「それはどうもありがとうございます。ちなみに、その真面目な御仁というのは、ヨハネス枢機卿の事でしょうか?」



「もちろん」



 アスプリクにしてみれば教団幹部と言うだけで唾棄すべき対象なのだが、ヨハネスは王城に出向しており、自分に降りかかっている愚行には触れていないし、強烈な悪感情を持つほどでもなかった。


 もし誰かを選べと言われれば、間違いなくヨハネスを推すつもりでいた。



「そう、そここそが唯一の狙い目なのだ。こちらはライタン上級司祭を法王として僭称し、裏で手を回して全力でヨハネス枢機卿を支援し、なんとしてでも彼を次期法王に就かせる」



「そんなことが可能で!? あ、そうか、すでに聖山に密偵が」



「そんなもんはおらんよ」



「え?」



「密偵だの、買収だのは、全部ハッタリだ。そうであろうという予想の下で話を進め、まんまと相手がそれを信じただけ。聖山に密偵を入れているのは宰相閣下の方だし、教団幹部への買収工作はしとらん。せいぜい、漆器の宣伝のために現物を贈った程度だ」



 ライタンは絶句した。あれほど堂々と舌を全力回転させながら、全部ハッタリだと今知ったからだ。


 あまりにも余裕の態度を見せていたので、てっきり真実だと思っていただけに、事実を知ってしまうとさすがにその神経の図太さに開いた口が塞がらなくなった。



「いいか。将たる者は、常に三つの理を掴んでおかなくてはならない。すなわち、“天の時”と“地の利”と“人の和”だ。つまり、適切な時期、有利な場所、集団の結束力、これらをしっかりと把握しておかねば、決して勝つことはできない。そして、教団側は明らかに“人の和”が欠けていた」



「ヒーサの言う通り! 派閥抗争に明け暮れて、足の引っ張り合いなんて、しょっちゅうだったからね。買収だ、裏切りだなんてヒーサの言葉を信じてしまったのも、そういうことがままあるってことを自白したようなもんさ」



 幹部会の現場にいたアスプリクの言葉である。ライタンとしても苦々しい現実を受け止めねばならなかった。


 そう言う点をどうにかしたいと考えつつも、力もなく燻っていたのだ。


 そして、あろうことかやりたくもない実力行使に発展し、しかもその渦中に自分が飛び込まざるを得なくなったことが悔やまれて仕方がなかった。



「だから、だ。ライタン、もしお前が穏便な解決をまだ望んでいるとするならば、お前が法王を僭称し、あちら側を焚き付けろ。そして、時間を稼ぎつつ、“戦にまで発展することを望まない”勢力をヨハネスの旗の下に結集させ、“二人の法王”が対話で解決できる道筋を残しておけ」



 ヒーサも頭を全力で回転させているが、ティースの暴走もあって急な筋書き変更を余儀なくされており、即興で作り上げる策ではこれが限界であった。


 いずれは倒すつもりでいたが、現段階での武力衝突は望んでおらず、穏便に解決するか、少なくとも体制が整うまでの時間稼ぎをしておく必要があった。


 ライタンもすぐにヒーサの意図を察したが、その重責を自分が担えと言うのは、さすがに荷が重いと考えた。



「ですが、そうした象徴的な存在としての法王の僭称であるならば、アスプリク様の方がよろしいのでは? もしアスプリク様が前面に立たれたのであれば、宰相閣下もより一層、仲介に熱が入られるでありましょうし」



「真っ平御免だ。僕はもう法衣を脱いだ。二度と着るつもりはない」



 アスプリクは無造作に床に落ちている法衣を拾い上げると、それを掴んでグルグル巻きにして、窓の外へと放り投げた。


 そして、手をかざし、炎の術式でそれをあっさりと消し炭にしてしまった。


 法衣を焼くなど教団の権威を蔑ろにする行為であったが、それを咎める者はこの場にはおらず、清々したと言わんばかりの少女の笑顔だけが残った。



「と言うわけだ、ライタン。残念ながら、法王を僭称できるのは、実力や立場などを考えても、お前しかいないのだ。なにより、お前は“私以外”の後ろ盾のない、奇麗な状態だ。これが重要。余計な横槍を気にすることなく、まっすぐ前を向いて進める。平民出身の法王など、それこそ度肝を抜かれる案件ではないか。さぞや下層民や実質的に無理やり入団させられた神官達の目には、お前が希望の星に映るだろう。そう、五つの星を束ねるのは、『五星教ファイブスターズ」の代表者はお前しかいないのだ。さあ、腹を括れ!」



 ヒーサはライタンの肩を掴み、“自称”法王の就任を促した。その目は真剣そのものであり、どうにも逃れられない雰囲気もあった。


 他にも、ティースやアスプリクの視線もあり、その期待に応えないわけにはいかない状況となった。



「……分かりました。微力ながら、全力で務めさせていただきます」



「うむ、よくぞ決心してくれた! シガラ公爵家当主として確約しよう。全力でお前を支えようと!」



 ヒーサはポンポンとライタンの肩を叩き、その決意を称賛した。


 かくして、『天に二日なく、地に二王なし』の鉄則が崩れることとなった。二人の法王が競い立つ、『教団大分裂グラン・シスマ』が始まりを告げるのであった。

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