6-20 呆然! よもやまさかの幼稚な策!

「人体投影」



 ヤノシュがボコボコにされたリーベに注意を向けている隙に、ほんの僅かだが呟くようにヒーサの口が動いた。


 それゆえに、ヤノシュはそれに気付かなかった。


 そしてなにより、物陰に分身体ヒサコをたった今“作られた”事に。



「よし、ヒサコ、もう出てきていいぞ」



 ヒーサが呼びかけると、テアの立っている近くの大きな木箱の後ろから、金髪の女性が“生えて”きた。無論、ヒサコだ。


 事情を知る者ならば、また“作った”と感じるであろう。しかし、それ以外の者には、物陰に隠れていたヒサコが姿を現したとしか考えなかった。


 リーベへの苛立ち、目の前で起こった突然の暴力沙汰、すべてがヤノシュの注意力を削ぎ、ヒサコが“いなかった事”への気付きの機会を奪った。



「おお、ヒサコ殿、そこに隠れておられたか! いや、行方知れずであったので、気を揉んだぞ」



 ヤノシュはヒサコの登場に気を良くしてか、安堵の表情を浮かべつつ軽く会釈した。ヒサコもまた、それに応えるようににっこりと笑い、無言のままにお辞儀をして応えた。


 実際、ヒサコは行方知れずになっていた。セティ公爵軍に人質として帯同していたことはアルベールからの報告で知っていたが、その後の湖畔での奇襲攻撃の後、霧と同じく消えてしまってどこからもヒサコに関する報告が上がってこなかったのだ。


 死んだとは思えなかったので、何かしらの理由で潜んでいるのか、見つからないように大きく迂回したのかと考えたが、ヤノシュはこうして目の前に現れたことに安堵した。



「ヤノシュ殿はご存じであろうが、ブルザーのところにいてな。例の奇襲攻撃に際して、どさくさ紛れに逃亡することができた。感謝するよ。ヒサコが人質のままだと、こちらも色々と動きづらくてな」



 無論、ヒーサの側からすれば、ヒサコを“消せる”機会を与えてもらったのだが、ヤノシュにとっては上手く逃げてくれてよかったとしか思わなかった。


 アルベールに事前にヒサコの位置を探らせ、そこには攻撃しないように配慮した。


 セティ公爵軍に損害を強い、足を止め、ヒサコに逃げやすい状況を作る。上手く立ち回れたと奇襲の完全成功を今、確信した。



「いえいえ、それもヒサコ殿と事前に打ち合わせ通りに動けただけです」



「そうか、ヒサコもご苦労だった」



 ヒーサの満足げな笑顔に、ヒサコは無言で会釈して応じた。


 もし、ここでヤノシュが何も喋らないヒサコに違和感を覚えていたら、人形ヒサコに探りを入れたかもしれないが、それを疑えるほど性格はひねくれていなかった。


 腹話術的に人形ヒサコを滑らかに喋らせることもできるが、スキル【手懐ける者】がかかっていない状態なので、どうしても動きや喋り方にぎこちなさが出てしまう。


 初対面ならまだしも、何度も会話したことのある人間ならば、あるいは違和感を感じてしまうのではと危惧し、無言で通すことにしたのだ。



「はいはい、お喋りはそこまでにしようよ。僕は火の術式以外は、それほど得意じゃないんだ。ちょっとやそっとじゃ起きないだろうけど、さっさと話を進めようよ」



 ここで素早くアスプリクがヤノシュの気を、ヒサコから逸らした。


 見せて、隠さず、注意を逸らして、真実から遠ざける。ヒサコがただの操り人形であることを悟らせぬため、より注意を引くリーベにヤノシュの気を移した。



「おっと、そうだったな。では、作戦開始といこうか」



 ヒーサはヒサコに歩み寄り、その横にあった木箱を開けた。ヒサコと一緒になってその中に手を突っ込み、一枚の黒い布を取り出した。


 ただ、それはよく見ると、大きな黒い布ではなく、“六芒星”が刺繍された黒い法衣であった。



「じゃ~ん♪」



 兄妹はそれぞれ黒いの法衣の肩と袖口を持ち、全体像をヤノシュに見せつけた。


 神職の持ち入る法衣ではあるが、色は純なまでに黒であり、見る者に怪しげな雰囲気を醸していた。



「それは『六星派シクスス』の司祭が着ていた法衣!」



「まあ、聞きかじりから適当に作らせた物だが、ヤノシュ殿がそう思われるのなら、これを着てしまえば騙せることはできそうだ」



 そこまで言われて、ヤノシュは全てを察した。倒れているリーベと、兄妹が持つ黒い法衣、それぞれを交互に見やり、思い至った。



「まさか……、リーベを黒衣の司祭と成し、『六星派シクスス』の扇動者に仕立て、すべての罪を被せてしまおうと!?」



「はい、正解!」



 ヒーサが黒い法衣をヒサコの任せ、パチパチと拍手をした。


 ヤノシュはヒーサが今回の謀反に際して、なんらかの手段をもって救ってくれると考えていた。なにしろ、“あの”ヒサコが自信満々に兄に任せておけば大丈夫と言い含めていたからだ。


 だが、よもやこんな“幼稚”なやり方だとは思ってもいなかった。


 リーベの法衣を真っ黒のそれに着替えさせるだけ。


 着せ替えだけで偽装し、周囲の目を騙そうなど、あまりにも策としては稚拙であると判断せざるを得なかった。


 ヤノシュは冷や汗をかいた。単純すぎるやり口で大丈夫なのか、と。

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