6-11 愉悦と享楽! 人はすぐに“悪”に染まるものだ!

 怒りや屈辱を纏い、引き下がるリーベの背を見送りながら、アスプリクは年頃の少女に似つかわしくない荒い鼻息を噴き出した。



「あぁ~、やだやだ。ああいうのはほんと嫌いだわ」



「アスプリクがしかるべき地位につけば、自然とああいう輩も綱紀粛正の対象となる」



「やめてよ、ヒーサ。僕は偉くなりたくて、こんな暑苦しい法衣を着ているわけじゃないんだ。むしろ、僕の望みはさっさと法衣を脱ぎ捨てることなんだからさ。教団の改革なんて面倒事は、ヨハネスか、ライタンあたりがやってくれるよ。僕より百倍真面目で勤勉だからさ」



 実際、アスプリクは鬱陶しい法衣をさっさと脱ぎ、自由に動き回れる日が来るのを待ち望んでいた。


 今まではそうした感情は湧いてこなかった。それは“諦めて”いたからに他ならない。親からは捨てられ、兄弟からは疎まれ、教団には供物とされ、あるいは利用され、何もかもに嫌気がさしていた。


 それこそ、自分自身を含めて、世界のすべてを破壊してしまいたくなるほどに。


 それが変わったのは、目の前のヒーサに出会ってからだ。最初は変わった奴だな程度の認識であったが、話していくうちにどんどん惹き込まれていった。


 中でも、アスプリクにとって嬉しかったのは、ヒーサが自分を抱きかかえてくれたことだ。


 アスプリクはこの世に生まれた際に、母親を焼き殺してしまった。それゆえに、誰からも疎まれ、乳母や世話係にすらまともに接してもらったことなどなかった。


 実際、魔力が暴走して無意識に部屋を焼いてしまったこともあり、好んで近付こうとする者はいなかった。


 しかし、目の前の若き貴公子は平然と歩み寄り、挙句に自分を抱き締めてくれた。火を司りながら凍り付いていた心に、ささやかな温もりを得たと言ってもよい。


 無論、下心があることは知っているが、それを隠そうともせずに堂々と欲しいと言った。おべっかを聞き飽きていた身の上には、そうした正直な態度が何よりも心に響いた。


 こいつとなら、なんでもやれそうだ。いずれは自由になることすらできる。そう思えばこそ、アスプリクはヒーサを友と認識し、その策謀の一助となる道を選んだのだ。



「まあ、とにかく今は勝負に勝つのが重要だよね」



「ああ、そちらは大丈夫だと思うぞ」



「本当かい、ヒーサ!?」



「ああ。ヒサコの視点での情報だが、あちらは奇襲を食らって、今頃右往左往しているぞ。罠を回避したこっちと違って、かなりの損害が出ただろうからな。先んじる可能性は大いに上がった」



 ヒーサの言葉を聞き、アスプリクはしてやったりと握り拳を作って喜びを表した。自由と言う名の終着点に、また一歩近づいたことを実感したのだ。



「そういえば、ヒーサ。策の全貌は聞いてなかったんだけど、前に話してくれたみたいに、“リーベ”に全部押し付けるつもりなのかい?」



「ああ。だからこそあいつには、こちらの手の内にあって、その時まで生きていてもらわねばならん」



 二人はチラリと後ろを振り向くと、収まり悪く周囲の兵に当たり散らしているリーベの醜悪な姿が視界に飛び込んできた。自らの実力不足を棚に上げ、当たり散らして憂さ晴らしするしかない姿には、より一層の嫌悪感しか湧いてこなかった。



「まあ、もう少し堪えてくれ。城に先んじれば、あいつを利用して、全員をハメてやるから」



「うんうん、楽しみにしているよ」



 愛らしい笑顔を振り撒きつつも、口にする言葉は外道そのもの。ヒーサの思考が病のごとく感染したかと思うほどに、アスプリクも染まって来ていた。



「まったく、揃いも揃って、なんで悪に染まるかね、こいつらは」



 テアとしては改心して、今少し穏便な状況にならないものかと本気で悩んでいた。とはいえ、片や前の世界では悪名高き戦国の梟雄であり、片やこの世界における魔王候補であり、大人しくなるのも無理かと考えると、億劫になってしまうのであった。



「あのなあ、人間の本質は“悪”なのだぞ。染まるも何も、最初から人はどいつもこいつも悪人だ。人の性は悪なり、その善なるものはなり、だ。人は弱い。弱いからこそ、常に学び続けねばならん。それをやらなかったら、ああなる」



 ヒーサは指で後ろを差した。その先には、顔も見たくないバカ司祭がいた。


 確かに、あの傲岸な態度を見せ付けられては、納得してしまうというものだ。



「性悪説ね。でも、それ言っちゃうと、あなたはどうなのよ?」



「学ぶ姿勢は常に持っておるぞ。向上心なく、成長を怠れば、その先にあるのは衰の末路よ。ただまあ、ワシの場合は我欲が強すぎて、礼法を学んだ程度ではどうにも抑え込めなんだがな!」



「自慢げに言うな! 少しは善行を積み、徳を得て、正道に立ち返るとか考えないの!?」



「自分にとっての正道とは、思いのままに行動することだからな。悟りを開こうなんて思わんし、仮に天上より仏が蜘蛛の糸が垂らしてこようが、掴むことはあるまいて」



「そのうち、マジで地獄行きね、あなたは」



 実際、この世界に転生させてなければ、目の前の男は確実に地獄に落とされていたことだろう。


 しかし、この世界で罪過を重ね、より深い地獄に落とされるかもしれないと考えると、やっぱり選ぶ相手間違えたかもテアはつくづく思うのであった。



「悪人だらけのこの世こそ、地獄ではないかな。悪に満たされた現世であれば、善人ならば悟りを開き、天上世界へと旅立つことだろうよ。この世に存在すること自体が悪であり、逃れられぬならば悪を楽しみ、悪を興じるのも風情と言うものよ」



「風情の一言で片づけれるの、それ!?」



「解脱やよりよい来世よりも、現世にて愉悦と享楽を身に受けることを望むだけよ」



「清々しいまでに我欲に忠実ね。短絡的とも言えるかしら」



「ああ、なにしろ、凡夫の身ゆえ、百年先のことを見通す力はないからな」



 神と人はそここそが違う。そうヒーサはテアに告げた。


 百年先は人にとっては一生の先にあるが、神にとっては一繋ぎの時の流れでしかない。圧倒的に短いからこそ、時間と言うものを大切にし、惜しみなく愛で、風情に興じるだけだ。



「小難しいね、二人とも。面倒臭い事は考えずにさ、美味しい食事を食べて、みんなでワイワイ騒げばいいだけなんじゃないの?」



「アスプリク、その台詞が吐けるようになっただけ、成長したと言えるな」



 ヒーサはアスプリクに馬を幅寄せし、少し腕を伸ばして頭を撫でてやった。少女は少し顔を赤らめながらそれを受け入れ、撫でられるままに身を委ねた。


 出会ったことは誰に対しても壁を作り、突き離す態度を取っていたが、そこから比べると随分と軟化してきているし、感情を表情に出すようになっていた。


 ヒーサにとっては“孫”の成長を見ているようにすら思えてきた。



「まあ、これから少しばかり血なまぐさい事になるだろうが、その先の楽しみを得るために必要な悪事と思ってくれ」



「必要かなぁ~?」



「必要なのだぞ」



 必要と言って父と兄を殺し、必要と言って義父を陥れ、必要だからと自身の侍女まで殺めた男の台詞である。本当に必要なのか、テアとしては疑わしかった。


 そもそも、口では魔王の件は任せておけと言っているが、本当に任せていて大丈夫かと思う時も多々あった。



(まあ、魔王の兆候は見られないし、もう少し様子見か。にしても、他の組と連絡が取れないのは、本当に心配になってきたわ)



 テアとしては、他に三組いるであろう神と転生者の組といまだに連絡一つ取れていないのが気になっていた。


 一応、これまで得ていた情報は定期的に送信しているのだが、返信もなければ、接触を持とうとする素振りすら見せていなかった。


 魔王候補を絞り、そろそろ復活するかもという段階にありながら、情報封鎖を続けている意味とは何なのか、テアは考えがまとまっていなかった。


 周囲に動きがない以上は、目の前の相棒の気の赴くままに動くより仕方がなかった。


 しかし、相棒の行動は常に自分の利益や趣味のための行動であって、とても世界平和を望む動きではない。


 このままでいいのかとテアは悩みつつ、楽しそうに談笑を続ける転生者ヒーサ魔王候補アスプリクを眺め続けた。

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