6-9 五里霧中! 湖は血に染まる!(後編)

 ジェイクの廃嫡とサーディクの擁立。


 ブルザーにとってはこれ以上に無い程に好都合な未来が、手の届くところにまで近付いて来ていた。



(そう、現状の競争相手はシガラ公爵のみ。そして、あちらが担ごうとしているのが、アイク殿下だ。目の前の小娘を嫁がせようとしているが、無駄なことだぞ。誰が隠棲している病弱な王子など、例え長男だろうと支持するものか!)



 ジェイクが失脚さえしてしまえば、王国は自分の物となる。そう思えばこそ、今回の戦にも熱が入ると言うものだ。


 そして、都合よく対戦相手が第一歩目から盛大に滑ってしまった。勝利への道程が大きく動いたとブルザーは判断した。


 だが、それこそヒーサの思うつぼであった。


 なにしろ、シガラ公爵軍大打撃の報は偽物であるし、それを信じてヒーサとカインが繋がっているのではという疑いも、“現段階”では払拭されていた。


 勝利を確信しつつも、ヒーサと同じ轍は踏むまいと警戒しながらも行進を続けた。


 そこへ、少し後方を進んでいたサーディクがブルザーに馬で駆け寄って来た。



「公爵よ、この先は大丈夫であろうか? シガラ公爵のように、伏兵に一撃貰うようなことがあれば」



「心配ございませんよ、殿下。ヒーサ殿は初陣ゆえ、兵の差配に対する心得が浅かっただけの事。しかし、こちらは戦慣れした精鋭揃いで、指揮官はこの私。殿下の心配はすぐに払拭されますよ」



 実際、ブルザーの差配に隙は無かった。方々に斥候を飛ばしては伏兵を探り、慎重に進んでいた。現に、今まで潜んでいた敵兵をそれで発見し、不意討ちを未然に防いでいた。


 そもそも、ブルザー率いる部隊の数は多い。辺境伯の全軍の倍近く存在するのだ。まともにぶつかればまず勝ち目はなく、待ち伏せや不意討ちなどの奇策に出ざるを得ないのだ。


 だからこそ、ブルザーはその隙を与えないよう、手堅いやり方を通していた。


 だが、ここでブルザーは一つの失策を犯していた。それは敵が謀反を起こした“ただの”貴族ではなく、『六星派シクスス』と繋がっているかもしれない異端な存在だということを失念していたのだ。


 そして、それは相手側に術士が想定以上に含まれていることを意味していた。


 部隊の列が丁度真横に湖に差し掛かったその時であった。


 突如として白い煙、ではなく視界を遮るほどの濃い霧が湖から発生し、辺り一面を包み込んでしまった。湖面は元より、街道も霧に覆われ、それこそ隊列の十名分先が見えないほどの濃霧であった。



「な、なんだ、急に視界が!?」



 当然ながらサーディクは視界が急に遮られたことに焦った。すでに日は天高く昇っており、いきなり濃霧が発生するなど有り得ないからだ。


 周囲を囲んでいる兵も動揺したが、そこはさすがに場慣れした精鋭達である。視界が遮られる中にあってもすぐにブルザーやサーディクを中心に円陣を組み、武器や盾を構えて敵の奇襲に備えた。



(ああ、なるほど。そう来たか)



 ヒサコは特に動じもせず、霧の中を右往左往する兵士を眺めつつ、視線を隊列後方に向けた。無論、霧のために全く見えていなかったが、その視線の先には後方を進んでいた砲兵隊がいるはずであった。


 そして、その視線の先の方から悲鳴が聞こえてきた。



(先程見えていた湖に浮かぶ小舟、あれは地元漁民に偽装した術士ってわけね。ルルに教えておいたこと、ちゃんと実行したみたいね)



 ヒサコは前に辺境伯領を去るときに、ルルに魔術の戦術運用についていくつか助言をしておいた。それが濃霧を呼び出しての奇襲であった。



(爆発音なし、ゆえに鉄砲隊はない。剣戟の音もなし、ゆえに近接戦はしてない。悲鳴に混じって、微妙な風切音が耳に突き刺さる。つまり、弓矢ね)



 視界が遮られる中にあって、耳は逆に冴えわたっており、音で状況の判断をした。


 これもヒサコがルルに教えておいたやり方だ。地区を丸ごと濃霧で覆ってしまうと、敵も味方も判別がつかなくなり、戦闘がやりにくくなる。そこで視界がない状態で弓を使えるよう、事前に射撃練習をするように言いつけておいたのだ。


 軍隊が進むであろう街道の位置を把握し、どの角度でどの威力で射撃すればよいのか、それを事前に“処理動作ルーチン”として組み上げていた。


 濃霧の発生と同時に潜伏地点より飛び出し、“多分あの辺りにいる”とでたらめに矢を撃ち込んでいるだけであった。


 だが、これは効果があった。なにしろ、街道上には五千名からの兵士が列を成して進んでいるのだ。見えなくとも、街道の位置さえ“感覚”で把握していれば、その辺りに矢が刺されば敵に命中する。


 実際、飛んで来る矢は隊列後方の部隊に降り注いでいた。視界がないにもかかわらず、敵の矢は的確に降り注いでおり、どうなっているのかわからないままに矢を受けて次々と倒れていった。


 状況把握できないがゆえに混乱し、隊列を乱しては逃げ散る者までおり、街道を踏み外して湖へと飛び込んでしまう者まで出る始末だ。


 ヒサコの耳にはそうした混乱する部隊の悲鳴しか聞こえていなかったが、状況はなんとなしに察することができるので、思わずニヤリと笑った。



「全滅! 全滅! 後方の砲兵隊、全滅なり!」



 誰が叫んだか、そんな声が霧の壁の向こう側から馬蹄の響きと共に耳に突き刺さった。ヒサコの周りにいる兵にも聞こえたようで、明らかに動揺していた。



(これも偽報。しかし、根性あるわね。敵味方が見えない状況で馬を走らせ、偽報で撹乱させようだなんて! いえ、味方に撃たれる覚悟の上で戦果を稼ぐ気かしら)



 ヒサコの耳に飛び込んでくる声も、複数の声色がある。見えないという状況下で、見えない味方が全滅だと叫ばれては、混乱は広がる一方であった。


 だが、このまま撃ち減らされるブルザーでもなかった。



「全軍、湖を背にし、前進せよ! 伝令は出さず、隣合う者に伝言で伝えていけ!」



 ここでブルザーは思い切った手に出た。霧が晴れない以上、このまま射撃の的になるだけだと考え、矢が飛んでくる方向を推論で補い、全軍での前進を開始したのだ。


 ブルザーは敵の弓隊が視界が遮られていても有効な射撃を繰り出しているのは、“土地勘”か“術式”によるものだと判断。ならば、多少損害が出ようとも距離を詰めて乱戦に持ち込んだ方がいいと踏んだのだ。



(判断が早い。このあたりは場慣れしているといったところかしら)



 この点は素直に称賛した。下手な指揮官ならば、混乱のままに撃ち減らされるか、統率もできずにチリヂリなるか、碌な末路がしかないものだ。


 だが、ブルザーは素早く指示を飛ばし、崩壊の危機から救った。


 なお、ヒサコは前進していく隊列には加わらず、霧の中に消えていくブルザーやその兵士達をその場で見送った。わざわざ乱戦に飛び込む危険を犯すほど、無謀な行動をするつもりがなかったのだ。


 なにより、“一人”になる必要があったからだ。


 そして、濃霧の中を今度は甲高い笛の音が響き渡った。それと同時に霧が少しずつだが晴れて来て、視界が徐々に戻って来た。



「おっと、あの笛は撤収の合図だったのね。では、こちらも撤退しましょうか」



 消えゆく霧と同じく、分身体ヒサコの体もまた差し込みつつある陽光に照らされながら消えていった。


 今の混乱状態ならば、逃げたとしても特段怪しまれはしない。敵襲が怖くて逃げだした、などと適当言ってごまかすつもりでいた。


 かくして、ブルザーの手から人質ヒサコは離れ、ヒーサはブルザーに対して仕掛ける準備がまた一つ整うのであった。

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