6-8 五里霧中! 湖は血に染まる!(前編)

 シガラ公爵軍がアーソ辺境伯軍の伏撃を受けていた頃、セティ公爵軍は湖の近くを行軍していた。総勢で五千に達する部隊であり、三つに分割された中では最大のものだ。



「ほう、これがカルデ湖か」



 目の前に広がる湖を眺めながら、ブルザーはその景勝を楽しんだ。軍の行進中でなければ、のんびりとその風景を楽しみたいと思うほどに雄大な景色であった。


 風一つなく、湖は鏡のように空を映し出し、湖岸より離れたところにいくつかの釣り船が漂い、竿から糸を垂らしているのが見えた。


 他にも水鳥の群れがのんびりと行ったり来たりしている姿も見え、照り付ける日差しも相まって、思わずあくびの一つでもしたくなる陽気であった。


 だが、ブルザーも戦歴を重ねた軍人貴族である。ここが敵地のど真ん中であることは重々承知しており、周囲への警戒は怠っていなかった。


 方々に斥候を放ち、待ち伏せされそうな場所を通る際には警戒度を高め、街道を進んでいった。


 たまに敵斥候が遠巻きに眺めていたり、あるいは時折現れる伏兵からの矢弾を食らっていたが、どれも小規模で被害も少なく、問題なく行軍できていた。



(足止めや妨害にしても、数が少なすぎる。中央に兵を集め過ぎたか、あるいは城の方に集中させたか。こちらとしては、シガラ公爵軍に向かってくれた、というのが望ましいのだがな)



 それはさすがに虫が良すぎるかと考えつつ、ブルザーは自身の隣で馬に跨る貴婦人に視線を向けた。


 シガラ公爵ヒーサの妹のヒサコだ。ヒーサとは現在、どちらの部隊が城に先に到着するかで競っており、どちらかが相手を妨害したりしないよう、互いに人質を出し合って牽制すると言う状態を作り出していた。


 ブルザーも自身の弟リーベをヒーサに差し出していた。



(まったく、呑気なものだ。敵地のど真ん中で、戦場に向かっている最中だというのに、鎧兜を一切着ておらんとは)



 実際、ヒサコは赤を基調とした派手なドレスを着こんでおり、とても戦場に赴く姿には見えなかった。ピクニックにでも出かけるような、そんな軽やかな雰囲気すら出していた。


 簡単に死なれてもそれはそれで困るので、鎖帷子チェインメイルを渡そうとしたのだが、それも平然と拒否した。あたしは運がいいので当たりませんから、と不遜な態度を示したほどだ。


 奇異の視線を向けるのはブルザーだけでなく、周囲の将兵もまたヒサコを警戒していた。


 なにしろ、リーベを半殺しにしており、主君の弟に危害を加えた憎い相手なのだ。


 だが、そんな敵中にあって平然としていられるのは、誰の目にも奇妙であった。十七の娘と聞かされていたが、場数を踏んだ軍人に見間違えるほどに落ち着いており、ドレス姿でありながら馬を操る姿も様になっていた。


 ゆえに、ブルザーもどこかに潜んでいるであろう敵についてもそうだが、すぐ横にいる娘への警戒心も忘れなかった。



「公爵閣下、後方から馬が参りますわよ」



 そんなヒサコが急に声をかけてきた。


 ブルザーはその声で一度後ろを振り向いてみると、確かに街道を騎馬が一騎駆けてくるのが見えた。


 掲げている旗指物から、ジェイク麾下の伝者だとすぐに判別できた。



「後方から宰相閣下の使い番だ! 道を空けよ!」



 ブルザーの叫ぶような指示が飛ぶと、隊列は道の隅により、駆け寄って来る騎馬が通りやすいように道を空けた。


 使い番は隊列の横を走る際は少し手綱を緩め、ぶつからないように留意しつつ、セティ公爵家の家紋をあしらった大将旗の側までやって来た。


 なお、その使い番が偽物であることがすぐに分かった。本体ヒーサ分身体ヒサコの視線からその使い番を見ていたのだが、その顔が見知った顔であったからだ。


 なにしろ、ブルザーの前までやって来た使い番は兜を脱いでお辞儀をしたのだが、その顔は間違いなくカインに仕える騎士アルベールであった。


 理由は不明であるが、偽旗作戦によってまんまとブルザーの位置を把握したというわけだ。



「急ぎの言伝ゆえ、馬上のまま失礼いたします」



 アルベールはダラダラと汗を流しており、必死で馬で駆けてきたことを見せ付けた。その態度から、何か良からぬことが起こったのかと、ブルザーは危惧した。



「宰相閣下の身に何かあったのか!?」



「いえ、宰相閣下ではなく、シガラ公爵閣下の方です!」



 焦る口上で述べるアルベールであったが、それが嘘なのは百も承知であった。なにしろ、ヒサコは分身体であり、本体は現在はヒーサが勤めていた。


 そして、ヒーサは罠を華麗にすり抜け、隊列を整えて行進を再開していたからだ。



「シガラ公爵がどうかしたのか?」



「それが、敵の大規模な待ち伏せに会い、罠に絡め捕られ、大損害を被ったとのこと! 死者だけで三百は下らないそうです!」



 アルベールの言葉を聞き、ブルザーは思わずニヤリと笑った。


 競争相手が罠にはまり、損害を受けたのであれば、自分が相対的に有利となるからだ。しかも、死者だけで三百となると、負傷者はその倍はいるはずであるし、ヒーサの率いている部隊は三千程度なので、実に三分の一が削ぎ落された計算になる。


 再編するだけでも一苦労であろうし、賭けは勝ったなとブルザーは顔には出さずに喜んだ。



「そ、それで、ヒーサお兄様はご無事ですか!?」



 慌てふためく演技を見せつつ、ヒサコはアルベールに馬を寄せた。わざとらしく前のめりになり、早く答えろと言わんばかりにせっついた。



「お、落ち着いて下さい、公爵令嬢殿。公爵閣下はご無事です。怪我一つしておりません」



「そ、そうですか……」



 取り乱した姿をみせつつも、内心ではいよいよ仕掛けてくるかと身構えた。


 アルベールは馬首を返し、去り際にさりげなくヒサコの袖口に紙切れを差し込んでいき、そのまま馬で走り去ってしまった。


 ヒサコはその紙切れを確認すると、『敵将から離れるな』と書かれていた。



(律義ね~。こちらの位置を確認しつつ、巻き込まれないようにする場所を指定してきたわけか)



 おそらくはヤノシュの差し金だと判断したが、それならそれで指示通りに動いてやろうと、ヒサコはブルザーに馬を寄せた。



「公爵閣下、お兄様の部隊が襲撃されたようですし、こちらも警戒するべきでは?」



「言われんでも分かっておるわ。それより、兄君が心配ではないのか?」



 若干ではあるが、嫌味の混じった問いかけをブルザーはヒサコに投げかけた。元々勝つ気満々であった勝負が意外とあっさりと決してしまいそうなので、ある種の余裕すら伺える態度にも見えた。


 そんな傲岸な公爵に対して、ヒサコは毅然とした態度で応じた。



「お兄様は生きておられるようですし、生きているなら、いくらでも巻き返せます。それこそ、小部隊であろうとも、先に着いた方が規定上勝ち、だということは一考しておいた方がよろしいですわよ」



「まあ、仮にそうだとしても、数が少なすぎては城兵に殺されて終わりであろうがな。見た者がいなくては、勝ち負けの判別はできんぞ」



「使者名目で訪れた、ということにすればあるいは、城門を開くやもしれませんよ」



「初手から全力で殺しに行って、素直に招き寄せるとも思えんがな」



 ブルザーとしては、セティ公爵家の武威を示し、シガラ公爵家への牽制と優位性の確立を今回の戦で完遂しようと考えていた。


 なにしろ、今回はある意味で王国を“乗っ取れる”またとない好機であるからだ。


 現状、次期国王は第二王子のジェイクが既定路線となっているが、アーソ辺境伯カインの謀反で風向きが大きく変わってしまった。と言うのも、ジェイクの妻はカインの娘であり、それが背いたとなるとジェイクの信望が一気に落ちることになるからだ。


 第一王子のアイクは病弱で政治にも興味がなく、それゆえにジェイクにお鉢が回ってきた格好なのだが、そのジェイクが後継者として相応しからざる者と貴族がこぞって反対すれば、今度は第三王子のサーディクに次期国王の座が回ってくるのだ。


 そして、サーディクの妻はセティ公爵家一門から嫁いでおり、サーディクが王となれば、その後見人として自身が権勢をほしいままに出来るというわけだ。


 しかも、教団側もどうやら改革を訴えるジェイクを煙たく思っているようであるし、今回の騒動の結末次第では、ジェイクの廃嫡も十分に考えられる話なのだ。


 戦の勝利と、そこから紡ぎ出される輝かしき未来図は、ブルザーを満足させるのに十分なほど魅力的であった。

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