5-50 交代! 入替は計画的に!

 ケイカ村は王国一を誇る高級温泉リゾートであり、その客層も当然ながら名士や富豪、貴族ばかりであり、行き渡った質の高いサービスを受けることができた。


 しかし、今は少しばかり事情が異なり、少々剣呑とした雰囲気が漂っていた。


 アーソ辺境伯領での反乱騒ぎにあちこちから軍隊が集結しており、村の外側には実に一万にも達する兵士が野営を行っていた。


 そして、指揮官や上級士官は村の宿泊施設が宛がわれており、シガラ公爵家もまた小規模な屋敷を借り受けることになっていた。


 なお、その屋敷とはヒサコが村に逗留していた際に使用していた屋敷であり、見知った顔が出迎えてくれた。



「やっほぉ~、ヨナ。お久しぶり。っと言っても、そんなに時間たってないけどね」



 ヒサコは湯女として前も世話になった女性ににこやかに話しかけた。


 実際、ヒサコはアーソの地に旅立ち、今ここにとんぼ返りしてきたのだが、半月程度しか経っていなかった。



「お久しぶりでございます、ヒサコ様。またお世話できるなど、望外の事にございます」



 ヨナは恭しく頭を下げ、ヒサコを歓迎した。


 そして、失礼にならないように、もう一人の人物に視線を向けた。威風堂々たる貴公子で、ヒサコが後塵を拝する殿方となると、アイクを除けば一人しかいなかった。



「お初にお目にかかります、シガラ公爵閣下。お世話係を仰せつかりました、ヨナと申します。短い時間となりましょうが、長旅の疲れをお湯でお流しくださいませ」



「おお、君がヨナか。妹より聞いている。よろしく頼むぞ」



 もちろん、ヒサコとして会っているので、初対面ではないのだが、ヒーサとしては初顔合わせなので礼儀正しく応じた。



「では、早速で悪いのだが、湯船に早速浸からせてもらおうかな。用意を頼む。ヒサコ、甲冑を脱ぐから手伝ってくれ」



「はい、お兄様」



 ヒーサはヨナに風呂の支度を命じると、ヒサコと共に屋敷の中へと入っていった。


 そして、寝室で甲冑を脱ぎ捨て、兄と妹は手を合わせた。



「「【入替キャスリング】!」」



 両者がパッと光ったかと思うと、何事もなかったかのように光も収まった。


 スキル【入替キャスリング】は本体と分身体を入れ替える効果があり、以前はこれを使って、温泉村の本体ヒサコと、公爵領にいた分身体ヒーサの中身を入替したことがあった。



「あ、中身交換するんだ」



 当然、二人に付いて来ていたテアが話しかけてきた。



「先程の会議は聞いていたであろう? ヒサコが人質としてセティ公爵軍に帯同することになるのだ。まさか、本体を人質にはできまいて」



 確かに、先程まではヒサコが本体であり、ヒーサが分身体であったが、今発動したスキルによってそれが逆転した。


 いまや、ヒーサが本体で、ヒサコが分身体となったのだ。



「まあ、それもそうね。いざとなれば、魔力供給を切ってしまえば、消えることもできるし」



「ああ。なにしろ、セティ公爵軍の方へきつめの足止めが入るからな。久々の本格的な合戦であるし、慎重に進めたい」



 すでにヒサコ経由でアーソ辺境伯カインとは繋がっているし、いくつか指示も出しておいた。


 何も知らないブルザーがまんまと賭けに乗って来て、両公爵からの進言な上にカインを説得する機会を求めてジェイクも了承してきた。


 仕込みの種を炸裂させる条件は、一つまた一つと積み上がり、順調であることをヒーサは喜んだ。



「とはいえ、あまり進め過ぎるのもよくないがな。今回の最大の目的は疑心の種を撒くこと。それが芽を出して、つぼみくらいに膨らむのが望ましい終わり方だ」



「あ、開花はさせないんだ」



「当たり前だ。開花させて、グチャグチャの内戦に持ち込むのは、お茶摘みが終わってからだ」



「結局それかい!」



 お茶に対する情熱は一切ブレない相棒に、テアは呆れ顔で叫んだ。


 そもそも、この世界、特に人間の多く住まうカンバー王国には喫茶の文化が存在せず、飲み物と言えば水、酒、果汁程度のものであった。


 ここに茶が加われば、飲み物のバリエーションが増えるだけでなく、生水を飲んで腹を下したり、あるいは酒を飲んで作業効率を落とすなどという問題が解決するという、実利に沿った事業展開にもなるのだ。


 茶の独占的な製造、販売が確立すれば、漆器の件も合わさって、巨大な富が公爵家に流れ込んでくるのは間違いなかった。


 そんな明るい未来予想図にヒーサがニヤついていると、またしても聞き覚えのあるファンファーレが鳴り響いた。



 チャラララッチャッチャッチャ~♪


 スキル【手懐ける者】、および【投影】のレベルが上昇しました。転生者プレイヤーは所定の手順に従い、カードを引いてください。



「おや、今回は二つ同時か~」



黒犬つくもんの修行とか“ご活躍”を考えると、まあ、経験値も貯まるでしょうよ。【投影】も実質常時発動状態だしね。コツコツ経験値が貯まっていったってとこかしら」



 そして、いつもの箱が現れ、テアはそれを挟むように手で掴んだ。



「はい、それじゃあ、まずは【手懐ける者】の分からいってみましょうか」



「へいへい」



 ヒーサは箱の穴に手を突っ込み、ゴソゴソとまさぐってから札を一枚取り出した。


 色は金色、Aランクのスキルカードであり、そこには【スキル転写】と書かれていた。



「うっわ、また面倒な札を」



 テアは露骨に嫌そうな顔をしながら、金色に輝く札を睨み付けた。できれば引いて欲しくなかった、そんな心の声が露骨に表情に出ていた。



「で、こいつの効果は?」



「読んで字のごとくよ。手懐けた下僕に対して、主人が保有するスキルを一時的に付与することができるのよ。例えば、足の速くなるスキルがあるとすれば、それを下僕に貸し与えて、下僕の脚力を強化したりとかね」



「悪くないスキルだな。黒犬つくもんもさらに強くなるというものだ。そう考えると、戦闘系のスキルが欲しくなる」



「一番最初にいらんとか言って破り捨てたのは、どこのどちら様でしたっけ?」



 なにしろ、チュートリアルのスキル選択でSランクを三枚も引き当てながら、そのすべてを破り捨てたのがこの男である。暗殺や隠密特化という、魔王を相手にするのには似つかわしくないスキル編成を行い、今に至っていた。


 言ってしまえば、ヒーサはスキルカードのステータスアップで強化されてはいるものの、あくまで“かなり強めの人間種”でしかない。それこそ、魔王を相手取るような勇者、英雄などとは程遠い強さであり、怪物退治などはまず不可能であった。


 黒犬つくもんを倒せたのも、すり抜けバグで異世界に持ち込んだ神造法具『不捨礼子すてんれいす』の力によるところが大きいのだ。



「はい、それじゃあ、次のも引いちゃって」



「はいよっと」



 ヒーサは再び箱に手を突っ込み、今度は【投影】レベルアップ分のカードを取り出した。


 そして、それは虹色、つまりSランクのカードであった。


 カードには【自律】と書かれていた。



「こらこらこら! なんでそんな高ランクをホイホイ引けるの!?」



「廬舎那仏と、毘沙門天と、薬師如来と、八幡大菩薩の加護だな」



「だから増やすな!」



 どんどん増える加護を貰う神仏の名に、テアは叫ばずにはいられなかった。なにしろ、本当に加護を貰っているのか疑いたくなるレベルで高ランクのカードを引き当て、それでいて信心の欠片もないのが目の前の人物なのだ。


 いかに、神やら運命やらが平等、公平でないのかを如実に表していると言えよう。



「で、この【自律】と言うのはなんだ?」



「ああ、それはね。分身体がこれまでの経験を踏まえ、自分で考えて行動できるようになるってことよ。普段から常時展開して慣れてるから忘れてるみたいだけど、並列思考ってかなり大変なのよ。実際、黒犬つくもんと戦っているときは余裕が無くって、分身体は止まってたしね。トイレに逃げ込んで固まっている場面は見られなかったでしょうけど、それを補えるわよ」



「なるほど、便利ではあるな」



 だが、口より発した言葉とは裏腹に、ヒーサは手にした虹色の札を破り捨ててしまった。かつて見た光景をまた拝むことになり、テアは目を丸くして驚いた。



「ちょっと、正気なの!? 自分を動かしながら、分身体も動かす。同時操作が難しいっていうのは、あなた自身がよく理解しているでしょ!?」



「勘違いするな、女神。ワシが欲しいのはちゃんという事を聞く手駒であって、自分で勝手に動き回る別の自分ではない。自ら立つことを覚えた者は、いずれ必ず主人に反逆する。まして、人形が経験を得る学習対象とするのが“松永久秀”という男の心であるならば、なおのことな」



 自分がどういう者なのかを理解すればこそ、自分を学ばせるということがいかに危険であるかを理解した結論であった。


 仮に、この世界にもう一人の“松永久秀”が現れたらどうなるか、想像するに難くなかった。



「両雄並び立たず、ってことを言いたいの?」



「そういうことだ。よくまあ、こんな危険な札をSランクなどと言ったものだ。神の傲慢さが透けて見えるというものよ」



 破いただけでは飽き足らず、ヒーサは足でそのバラバラになったカードを踏みつけ、何度も何度も念入りに踏みにじった。



「この際だ、言っておこう。別にワシは“楽して”生きたいわけではない。人生を“楽しむ”ことを目指している。茶を飲むことも、芸術品を愛でるのも、壮麗な城を築くのも、そのための一手段だからな」



「人を騙すこともその一環かしら?」



「別にはかりごと自体を楽しんできたわけでないぞ。あくまで、楽しみを謳歌するための前座みたいなものだ。それ以前にだな、前の世界では楽しむ暇すら手にするのに一苦労していたのだ。戦国乱世のなんとせわしないことよ。世の中平穏ならば、それに適したやり方に変えるだけ」



「うわぁ~、平和なこの世界を戦国の流儀で染めようとしている奴が、ぬけぬけと言わるわね~」



「なぁ~に、元々あった火種に、少しばかり油を注いでやったまでよ。油の注ぎ方は、斎藤道三てんちょうの流儀ではあるかな」



「油屋だけにってか!?」



 相も変わらずとんでもないことを平然と言い放つ捻じ曲がった性格に、テアはドッと疲れが噴き出してきた。


 さっさとこの“大うつけ”との会話を切り上げ、温泉にでも浸かりたいと思う女神であった。

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