5-48 穿たれた大穴! 沈みゆく船はどこへ向かうのか!?

 法に定められている以上、それを犯せば秩序が乱れる。


 ブルザーの意見は正論ではあったが、ヒーサはこれに異を唱えた。



「宰相閣下、もう十分すぎるほどにご理解いただけたのではないでしょうか? カイン殿の件は“初めて”知りましたが、歪みが許容できる限界を超えつつあるのは明白です。教団の目に余る態度に嫌気を覚える者が増えてきております。その不満を解消するのが、宰相閣下、あなたの仕事ではないでしょうか?」



 ヒーサはジェイクが旗頭となり、不入の地に敢えて踏み込み、改革を促すべきだと言い放った。


 ジェイクとしても、それには賛成であった。だが、そのためには教団を中心に据えた法秩序を破壊することに他ならず、その混乱は間違いなく国内不和の呼び水と成りかねないのだ。


 はたしてそれを許容し、その上で改革を断行するべきかどうか、迷う点であった。


 だが、ヒーサは考える暇すら与えず、強烈な宣言を発した。



「宰相閣下、手紙でも申し伝えましたが、私はあなたが自身の妹に対して行った仕打ちについて、大いに疑義があり、政治姿勢に難ありと非難させていただきます。もし、このまま放置なさると言うのであれば、アスプリク殿下やカイン殿のような存在を生み出し続けることを許容した、許し難い存在だと認識いたします。よって、あなたがこのまま王位を継ぐようなことがあれば、我がシガラ公爵は王国に対し、“独立”を宣言させていただきます!」



 幾度となく激論が交わされた中にあって、今日一番の強烈な宣言がヒーサの口から飛び出した。


 酒場でくだを撒く酔っ払いの戯言ではなく、公衆の面前で三大諸侯の一角が堂々と王国からの離反を宣言したのだ。


 その衝撃は計り知れず、あまりのことにその場の全員が呆然とヒーサを眺めるだけであった。


 しかし、ヒサコとアスプリクだけは歓喜に打ち震え、喝采の拍手を浴びせた。



「よくぞそこまでの宣言をなさいました、お兄様! それでこそ男であります! 堂々たる振る舞いに、不肖な妹ながら感服いたしました! どこまでもお供いたします!」



「ヒーサ、君は最高だ! 堂々たる宣言に、僕も感動したよ! ああ、友よ! 僕もこんな鬱陶しい立場はさっさとおさらばしたかったんだ! 喜んで協力させてもらうよ!」



 妹と友人はヒーサの宣言に賛意を示し、堂々と来るべき謀反に加担すると宣言した。


 そして、予想外の人物まで動いた。



「なら、私もその船に乗船させていただこうか」



 そう言って挙手したのは、なんとアイクであった。



「兄上、正気ですか!?」



「ああ、正気だ。お前とアスプリクの間に何があったかは知らんが、カイン殿とは知己の間柄。その無念も理解できようというものだ。はっきり言って、教団側も変わるべきところは変わるべきだと、私は考えを改めることにしたよ。そう、この件は教団側が軟化の姿勢を見せれば、すんなり片付く話なのだ。カイン殿もそうなれば、反旗を降ろすかもしれん」



 アイクとしては、戦は勘弁と言うのが正直なところであった。しかも、相手は顔見知りであり、穏便に片付くのであれば、それに越したことはなかった。


 また、ヒサコに対しても含むところがあり、その意見に同調することで、好感度を稼いでおこうと言う下心マシマシな打算も存在した。


 なお、その効果はあったのか、ヒサコがアイクに笑顔を向けてきたので、作戦は成功だったとアイクは思わずニヤついてしまった。


 だが、当然ながら反発する者がいた。



「アイク殿下、正気ですか!? 異端の思想に染まったシガラ公爵家に加担するなど! 当主が変わって、随分と邪な発想をなさるようになられましたな!」



 リーベはヒーサとヒサコを睨み付け、これを大いに嘲った。



「リーベ司祭、今の発言は私に、いや、我が公爵家に宣戦したとみなす。そして、誰が発した言葉なのかね? お前か、セティ公爵家か、それとも教団か、いずれかだね?」



 ヒーサも負けじと睨み返した。そこには普段の温和な雰囲気はどこにもなく、リーベに対して剥き出しの敵意を放っていた。



「全部だ! 全部がシガラ公爵家に向けて糾弾しているのだ!」



「待て、リーベ!」



 弟の迂闊な言動に、ブルザーがすぐに割って入って止めた。


 今の段階で、シガラ公爵家と本気でぶつかるのはマズかった。なにしろ、王家の面々が明らかにあちら寄りに傾いているのが分かっていたからだ。


 アイクとアスプリクは確実にシガラ公爵家に付くし、ジェイクもなにかしらの後ろめたさから、アスプリクの方へ引っ張られる雰囲気があった。


 あとはサーディクだが、いくらセティ公爵家一門の娘と結婚しているからと言って、確実にこちらに着くとは限らなかった。表情を見れば、判断に難渋しているのが見て取れるし、政争には中立を保つ、と言いかねない雰囲気であった。


 つまり、もし今現在の状況でシガラ公爵と敵対してしまうと、シガラ公爵家、王家、アーソ辺境伯家の三方向からの包囲を受けてしまう。



 その判断を即座にしたからこそ、リーベを止めたのだ。



「弟がいらぬ発言をした。それに付いては撤回する」



「兄上!?」



「リーベ、お前は少し黙っていろ。話が進まなくなる」



 あまりに視野が狭すぎる弟を出席させたのは失敗だったと、今更ながらブルザーは後悔した。孤立無援になる事だけは避けねばならなかったので、これ以上の失点はまず何より避けねばならなかった。



「……まあ、私もこの場には似つかわしくない発言をしたようなので、それについては謝罪いたしましょう。宰相閣下、話を続けてもよろしいか?」



 ちらつかせた見えざる刃を引っ込め、ヒーサはジェイクに対して頭を下げた。


 それゆえに、ジェイクのヒーサへの警戒心と評価は天井知らずに上がっていった。場を乱し、隙を突いて攻撃してくることに、この若き公爵は天才と呼ぶに値する力を持っていた。


 自分より十以上も年下の若者が、遥かに老獪で計算高く、温和に見えてその実悪辣であり、上手く調停しているようで美味しいところは掻っ攫っていく。そういう人間であることを見せ付けられた。


 しかも、それと同等の知性を備えた妹までいる。兄や妹があっさり篭絡されたのも、欲する物を見抜き、それを差し出したからに他ならない。



(悪魔は相手の欲する物を誰よりも理解し、抗えぬ誘惑をしてくると聞いているが、目の前のヒーサやヒサコがまさにそれだ。あまりに危険すぎる。だが……)



 だが、そうだとは分かっていたとしても、ジェイク自身もすでに絡め捕られている自覚があるのだ。


 ジェイクの心配事の一つに、兄アイクや妹アスプリクへの後ろめたさというものがあった。兄からは家督を譲られ、妹とはどうにか仲直りをと考えていた。


 しかし、その二人がシガラ公爵家と関わった途端に変質し、ジェイクにとっては望ましい方向に動き始めた。


 それゆえに、問題解決に当たってくれたヒーサやヒサコには恩義があり、自分の手に収まる範囲であれば色々と便宜を図るつもりでいた。


 だが、すでに自分の手に余る範囲にまで状況が拡大し、穏便に済ませる機会を逸してしまっていた。


 義実家を助けるため、妹との和解を成すためには、絶対に避けては通れない道がシガラ公爵家によって示されたと言ってもよい。


 すなわち、“宗教改革”である。


 これまで続いてきた慣習を投げ捨て、不入の権を犯し、教団を変えていかねばならない。


 その過程でどれほど陰湿な暗闘と、凄惨な戦が起こるであろうことは容易に想像できた。手の内にある特権を手放させると言うのは、そう言うものなのだとジェイクは理解していた。



(だが、やらねばならないのか、今すぐにでも)



 すでに合戦の火蓋は切られようとしていた。もし、矛を交えてしまい、実際の合戦が始まると、もう後戻りができなくなる。どう足掻こうとも、アーソ辺境伯家は取り潰さなければならなくなるのだ。


 情にほだされて、義実家を無理やり助けるように動けば、公平性に疑義が生じる。


 一方で、義実家をすんなり切り捨てたとすれば、情に薄いとの評を受けてしまう。特に、アスプリクはこの点を嫌っており、関係修復が益々困難になってしまうかもしれなかった。


 また、アスプリクに追随する形で、シガラ公爵家との関係も悪化しかねない。しかも、情に薄い奴には仕える気はないと、堂々と公衆の面前で宣言した以上、下手をすると今すぐにでもそっぽを向かれてしまう可能性すらあった。



(改革は必須。だが、準備不足も甚だしい。地方貴族の反乱鎮圧が、こうも複雑になろうとは!)



 ジェイクはいがみ合い、罵り合い、疑心と共に牽制し合う目の前の光景を眺めつつ、嵐の中を進む船のごとき難しい操船を余儀なくされた。


 はたまたカンバー王国とは沈みゆく船なのか、それは舵取りを任された自分がどうにかせねばと思い悩む宰相ジェイクであった。


 この場にわざと船底に穴を穿った痴れ者がいるとも知らずに、船は進み続けた。 

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