5-34 急報!? 公爵からの手紙!

 負傷したブラハムを兵士に任せ、厄介払いは完了した。


 それを見送ったのち、ヤノシュは無言で無事であった別棟を指さし、ヒサコも察して頷いて応じた。


 ヤノシュとヒサコは別棟に入り、まだ散らかしたままの厨房の端にあった椅子に腰かけ、机を挟むように互いを見やった。



「お話の前に、紹介しておきます。こちらの赤毛はトウと申しまして、シガラ公爵家の密偵を務めております。急用でこちらに参っていたのですが、昨夜の崩落に巻き込まれてしまいまして」



「テアとかいうお付きは?」



「昨夜、馬が急に暴れ出しまして、“また”逃げ出してしまったのです。それを慌てて追いかけていったので、そのうち戻ってくるでしょう」



 なお、テアとトウは同一人物であるのだが、これを知っているのは相棒ヒサコのみである。事情を知らぬ者が見たらば、緑髪と赤髪、豊満と絶壁など、相違点が二人の同一性を隠してしまって分からなくしていた。


 トウもそうした演技はもう手慣れたもので、無言でヤノシュにお辞儀をして、ヤノシュもそれを信じることにした。


 なにしろ、一人の侍女の身の上云々よりも、砦崩落と教団駐留部隊の壊滅の方が遥かに気掛かりであったからだ。



「ヒサコ殿、本心を聞こう。昨夜の崩落はどう見る?」



悪霊黒犬ブラックドッグの仕業、と見るのが自然でしょう」



「やはりそう思うか」



 やはり考えは同じであったかと、ヤノシュは納得して頷いた。先程の言いにくそうにしていた仕草も、これで説明が付いた格好だ。



「しかし、そうなると、黒犬、もしくはその飼い主が相当な切れ者だということになりますな」



 ヤノシュは参ったと言わんばかりに頭を抱え、苦悩に歪む表情を見せてきた。


 無論、黒犬つくもんの飼い主であるヒサコとしては、まさに望むべき展開であり、最高の賛辞でもあったのだが、その点は顔には一切出さず、何食わぬ顔で話を続けた。



「自分で口にしたことなので、恥を晒すようなのですが、指摘した出現地点の予測も、実は手のひらの上で踊らされていただけだということでしょうか?」



「その可能性は十分にある。初手で父と私を狙い、暗殺を謀る。失敗した後は、持久戦に切り替えて兵の消耗を謀る。そして、動きを見せたこちらに対して、待ってましたとばかりに隙だらけの教団駐留部隊に襲い掛かった、と。もし、駐留部隊が隙なく戦闘配備のまま待機していれば、持ちこたえてあるいは挟撃できたかもしれんが、今更言っても始まらんか」



 そもそも、黒犬の存在を秘匿して秘密裏に始末しようとしたのは辺境伯軍の方であって、この点では教団を責めるのは筋違いであった。


 術士の存在を隠匿せねばならないため、教団側に領内を犬狩りにうろつかれては堪らないと秘匿したのが、却って損害を拡大させる結果になってしまった。


 辺境伯軍に被害はなかったものの、教団の抱える術士を全滅させたのは大きな痛手であった。


 厄介な居候ではあったが、もしジルゴ帝国の侵攻があった場合には、頼りになる戦力でもあったのだ。



「そういう意味においては、黒犬め、いい仕事をしていきやがる」



「ですわね。辺境伯様の抱えるの兵の損耗はまだ体力だけで死者はいませんが、教団勢力が完全にいなくなるのは戦力の総量で言えば大きな減少ですからね。いるといないのとでは、戦になった時に大きく差が出ましょう。もし、ジルゴ帝国がこれを機に侵攻してくるとなると、かなりマズいかと」



「狙ってやったとすれば、大した知恵者だ。黒犬自身か、飼い主かは分からんがな」



 教団所属の駐留軍は数こそ百名程度ではあったが、術士を多く含んでいるという貴族の抱える戦力とは性質の違う強さを持っていた。


 それがごっそりいなくなるということは、間違いなく防衛戦術に大きな変更点を加えねばならないほどの損失なのだ。



「言ってしまえば、術士とは小回りの利く“兵器”だ。破壊力で言えば、大筒や炸裂弾で代用できるかもしれないが、動きが全然違う。扱いも、移動速度も、術士の方が遥かにいい」



「ですわね。それは重々承知しています」



 以前、領民の開腹手術をしたことがあったが、麻酔なしで腹を開くという荒技も、帯同していたマークの治癒術式があったればこそ可能なことであった。


 術士の有無が戦術の幅を変えてしまうほどだといことは、ヒサコもしっかりと認識していた。



「ですが、それ以上に危ない状況が訪れたのです」



 ここで伏せておいた手札を見せる時が来たと確信したヒサコは、袖口に隠していた手紙を取り出し、それをヤノシュに差し出した。



「これは?」



「お兄様からの“密書”です。トウが来たのも、これを届けるために来たと言っていいでしょう」



「公爵閣下からの密書……」



 焦る表情を見せるヒサコの雰囲気から、ただ事ではないとヤノシュはすぐに感じた。


 ヒサコの兄であるシガラ公爵ヒーサは異端の『六星派シクスス』に好意的であり、しかも同じく協力者である火の大神官アスプリクともすでに繋がっていると聞かされていた。


 それが密書を送ってくるとなると、面倒事が起こったのであろうことは容易に想像が付いた。


 ヤノシュは手紙を開いてそれを読み込んだ。そして、目を丸くして驚いた。



「こ、これは……! どういうことだ!?」



 読み進めているうちに、あってはならないことが記載されており、焦りと同時に体中から汗が吹き出し始めた。



「これはどういうことなのだ、ヒサコ殿!?」



「私もお兄様からの手紙でようやく知ったのですが、マズいどころの話ではありません」



「当然だ! 領内の秘匿していた秘密がバレただと!?」



 ヤノシュは怒りと焦りから、拳を机に叩き付けた。


 密書には様々なことが書かれていたが、要約すると以下のことが書かれていた。


 アーソ辺境伯領内における術士の隠匿が、“リーベ司祭”の報告書によってアスプリク経由で聖山にもたらされたこと。


 すでに討伐が決定され、ケイカ村近辺に集結しつつあること。


 そして最後に、その討伐軍の中に自分とアスプリクが含まれているので、なんとか誤魔化して穏便に済ませるから、どうにか時間を稼いでおいて欲しいということ。


 これらが書き記されていた。



「くそ、あの生臭坊主め、どこで嗅ぎつけやがった!」



「あるいは憶測なのですが、あたしが原因かもしれません」



 ヒサコは申し訳なさそうに頭を下げ、その姿にヤノシュも落ち着きを取り戻した。


 二度、三度深く呼吸をして気を落ち着かせると、手紙を机の上に置き、ヒサコを見つめた。



「ヒサコ殿がそう思う根拠は?」



「はい。ケイカ村のでの騒動の際、あのバカ司祭の愚劣な態度に怒り、半殺しにしてしまいました」



「その件は聞いた。はっきり言うと、痛快であったぞ」



 ヤノシュもケイカ村には何度か足を運んだことがあるので、そこの司祭であるリーベとは面識があった。そして、好意的になったり、あるいはお近付きになりたいと考えたことは、爪先ほどもなかった。


 だからこそ、父経由の情報でリーベがボコボコにされたと聞いた時には、胸のすく思いであったのだ。



「司祭への殴打という事件、結局のところまだ決着がついておりません。あるいは、アーソ辺境伯領への移動が“逃亡”と認識され、ここのことを調べてみたという流れではないかと。あたしのことを逆恨みし、それと親しくしていたカイン様も同類と見なし、ケイカ村の次に訪れると言っていたアーソの地を調べてみた、という感じで」



「なるほど。有り得る話だ。調べているうちに、なにか不審な点が見つかったと」



 いかにもありそうな話に、ヤノシュもヒサコの説明に納得した。


 だが、その思考は順序が逆なのである。


 見せたくない秘密があるからこそ、隠そうとするし、部外者には入口を閉ざす。


 教団への反発心があるからこそ、逆にそれを共有する者には同胞意識が生まれる。


 もし、その両方を闊歩できる存在がいたとしたらば?



(言ってしまえば、最初から“人の和”が欠いた状態にある。教団は常に上から目線で、我こそが至高という発想。アーソの人々はかつての所業から、教団への反発心が強い。これは水と油よね)



 心を“いつ”にできないからこその隙である。


 間隙を突いて離間の策を仕掛けるのに、これほど都合の良い状態などないのだ。

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