5-31 咆哮! 地獄より湧き出る阿鼻叫喚!

 砦の広間では、先程の呑み比べの喧騒が余韻として残り、いまだに熱気が漂っていた。


 自分達の副団長ブラハムが負けたというのに、いたく上機嫌な連中ばかりであった。場が盛り上がったというのもあるし、酒がいよいよ回ってきたというのもある。なにより、美女の微笑みが眩しかったというのが大きい。


 もちろん、ブラハムが勝利し、景品のおこぼれを頂戴できればなおよかったのだが、それは酒の肴として今後の宴会の度に言われ続けることだろう。


 無論、次があれば・・・・・だが。



「アンッ!」



 何やら甲高い声がして、一部の人々が周囲を見渡すと、お立ち台の上にどこから迷い込んだのか、黒毛の仔犬が立っていた。口を開け、舌を垂らし、尻尾をブンブン振り回して、愛くるしい姿を見せ付けていた。



「なんだぁ? どっから迷い込んだんだ、この犬」



 お立ち台の近くにいた一人が仔犬を抱え上げた。特に何の変哲もない犬で、空いていたどこかの入口から入って来たのだろうと誰もが考えた。


 そして、皿の上に残っていた肉の切れっ端を摘まみ、それを仔犬の鼻先に持ってくると、貪るようにバクバク食べてしまった。



「ヘッヘ、愛嬌ある奴じゃねえか」



「アンッ! アンッ!」



「おかわりの催促かよ。とんだ大飯食らいの子犬様だな!」



 他愛のない和やかな仔犬との戯れは、笑顔と共に崩れさるのに時間を要さなかった。



黒犬つくもん、初手から全力で殺しちゃって!)



 仔犬の頭の中に響く主人からの命令だ。主人の方の準備が整ったという合図なのだろう。


 そして、黒犬つくもんは迷うことなく正体を表した。人の手で軽く持ち上げれる仔犬はみるみるうちに巨大化し、軍馬すら上回るほどの巨体をあらわにした。


 しかも、幽体であるため、黒いモヤのようなものに包まれた半透明体であり、異様な雰囲気をこれでもかと言うほどに見せつけていた。


 そして、怪しく輝く赤い眼は、先程まで肉を与えてくれた男に向けられた。



「は、はへ?」



 何が起こったのか、男にも周囲にも分からなかった。あまりの状況の変化に、酔っていたことも相まって、頭が付いてこなかったのだ。


 そして、その疑問は永久に晴れることなく終わりを告げることとなった。ほんの一瞬で黒犬つくもんはバクリと男を噛み砕いてしまい、その上半身が綺麗サッパリ胃袋に収まってしまった。


 これからの事を考えると、痛みを感じさせず即死させたのは、食べ物をくれた男へのせめてもの慈悲だと黒犬は勝手に納得していた。



「うひゃあ! 悪霊黒犬ブラックドッグ!? 悪霊黒犬ブラックドッグだと!? なんだってんだ!?」



 バタリと倒れた下半身だけになった同僚、いきなり現れた巨大な黒犬、場は騒然となったが反応は鈍い者が多かった。酒がしっかり回っていて、目の前の黒犬が現実なのか酔いによるものなのか、判断するのに時間を要したからだ。


 だが、わざわざ態勢が整うまで待ってやる義理はなかった。なにより、この急激な状況変化による思考の停止こそ、奇襲効果の最たるものだ。


 黒犬つくもんはヒサコに手懐けられてからというもの、ひたすら隠遁術とそこからの奇襲について鍛え上げられてきた。姿を擬態し、気配を欺き、必殺の間合いまで近づいて、そして決める。これが闇討ちや不意討ちを熟達の域にまで昇華させた怪物の怖さであった。


 そして、混乱する集団の中にあって、黒犬ブラックドッグは初手から自身の最強技である【嘆きの奔流バンシースクリーム】を放った。溜めに溜めた魔力を大絶叫と共に放出し、広範囲に地獄からの嘆きの叫びを呼び起こす術式だ。闇属性広範囲音波系の術で、それを聞いた者をショック死させる効果があった。


 仮にショック死せずに耐え抜いたとしても、トラウマ級の恐慌状態に陥るため、その後の料理は容易いものだ。


 しかも、今は室内である。壁や屋根から放たれた絶叫が反響し、効果をより増大させた。


 響き渡る地獄からの叫び声に次々と倒れていき、机に、床に、死体が次々と折り重なっていった。


 そして、術式の効果が収まる頃には、生存者は五、六人と言ったところで、倒れている死体は全て苦悶の表情を浮かべて血の泡を吹き出したり、あるいは目や耳、鼻からも体液が惜しげもなく流れ落ちていた。


 辛うじて生き残った者も、腰が砕けて逃げることも叶わず、あるいは折り重なる同胞の死体の山を見ながら放心する者など、正気を保っている者などただの一人もなかった。



(上出来。でかしたわよ、黒犬つくもん!)



 ヒサコからのお褒めの言葉が黒犬つくもんの脳内に響き渡った。ヒサコは少し離れた所で神造法具の聖なる鍋『不捨礼子すてんれいす}を被り、絶叫攻撃の影響から逃れていた。


 広間の光景は黒犬つくもんの視界を共有して眺めており、地獄絵図を鑑賞していた。生臭坊主どもには似合いの最後だと思いつつ、生き残りも始末せねばと考えた。



黒犬つくもん、砦を破壊して! ただし、厨房のある別棟とあたしのいる居住区への攻撃は禁じるから、それ以外は徹底的にやっていいから!)



 ヒサコからの指示に、黒犬つくもんは軽く唸り声をあげて、再び大口を開けた。そして、開けた口より放ったのは闇の魔力を収束して打ち出す【黒の衝撃ダークフォース】であった。


 元来、城砦と言う物は外からの攻撃に対処するようにできており、そのための防衛設備が整えられていると言ってもよい。


 しかし、外からの攻撃には強くとも、内側からの攻撃はその想定がなされていない場合が多く、案外脆い箇所があるのだ。


 実際、この砦も石造りの強固な造りになっているが、いざ内側に入り込むと柱や梁が縦横に走り、剥き出しの姿を晒していた。


 黒犬が立て続けに放った黒い砲弾は、そうした剥き出しの骨格を的確に破壊していき、砦を内側から崩壊させるものとなった。


 支えを失った壁や天井が次々と崩落していき、僅かな生存者も瓦礫に落ち潰される形で潰えることとなった。


 黒犬つくもんも当然崩落に巻き込まれたが、幽体化してやり過ごし、文字通りの瓦礫の山となった砦の頂に立った。


 クンクンと足場を嗅ぎ回り、生存者がいないことを確認すると、すぐに物陰に隠れ、影の中に潜んだ。

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