5-27 いたちごっこ!? 敵の潜伏先はあちらですよ!(嘘)

 アーソ辺境伯領に悪霊黒犬ブラックドッグ跋扈ばっこする!


 対処の難しい化け物が現れたと、召集をかけられた兵士は緊張を強いられることとなった。しかも、秘匿していた術士を投入するという大掛かりな作戦であり、ますますただ事ではないと気を引き締めた。


 なお、領内に駐留している教団側の部隊には、待機をお願いしていた。というのも、教団側に術士の存在を見られるわけにはいかないため、あくまで予備戦力として待機していて欲しいと説得したのだ。


 なお、教団側には襲撃してきたのは悪霊黒犬ブラックドッグではなく、獄犬ガルムであると噓の報告をしていた。


 獄犬ガルムは口から火を吐く巨大な犬であるが、実体を持っているので、祝福儀礼済みの聖水さえあれば武器でそれを清め、ダメージを通せるので、教団の術士なしでも大丈夫ですというのが、辺境伯軍の言い分であった。


 ならばわざわざ出向くまでもないかと考え、派遣されていた従軍神官団は待機とする件に合意した。



(間抜けすぎる。て言うか、士気が低すぎる。神官連中の真面目度合いが透けて見えるわね)



 もし、ここで従軍神官団が積極的に狩りに参加していれば、ヒサコとしてはより慎重な部隊運用を強いられたであろうが、積極性がないことが分かったため、あとはやりたい放題となった。


 そう、ヒサコにとっては茶番であり、イタチごっこであるのだ。


 黒犬つくもんを操るのはヒサコ。


 兵を動かすのは城の司令部であり、ヒサコはそこにおいて客員参謀の地位を実質的に手に入れていた。


 攻める刺客を自由に動かせ、守る側としては兵の配置を知ることができ、また配置換えについても意見具申できる立ち位置にあった。


 攻める側、守る側、どちらもヒサコの意向が働いており、ヒサコ以外は大真面目に動いていても、ヒサコだけは笑いを堪えるのに必死なほどの茶番でしかなかったのだ。



「ええい、なかなか慎重な黒犬だな。網を用意してからというもの、慎重さが増している」



「ですね。チラリと城館の近辺に姿を現したと思ったら、軽く小突いて即撤収。城外の部隊を向かわせたときには、もう姿がない。厄介ですね」



 餌役のカインとヤノシュは網に飛び込んでこない黒犬に対して、さすがに苛立ちを覚えていた。元々攻撃型の傾向の強い二人であり、出撃して敵を屠ることに価値を置いている武人であった。


 ヒサコの献策により、罠に落とし込むことを是としたが、元来待つのが苦手な性分であり、想像以上に我慢を強いられていた。



「いっそのこと、どちらかが出撃して、生餌を見せ付けた方が良いのでは?」



 焦れたヤノシュがそう述べ、ヒサコに視線を向けた。当のヒサコはというと、机の上に広げた城の周辺地図とにらめっこの最中であった。



「余程深入りしない限りは、その手も通用しないような気がします」



 ヒサコは手招きしてカインとヤノシュを呼び寄せ、二人も地図を見下ろした。



「ここ数日、黒犬は現れては消えてを繰り返しています。場所はこことここと……」



 ヒサコは報告から上がってきた黒犬の目撃情報の地点に駒を置いていき、見ている者にも分かりやすくなるようにした。



「全て、城に攻め込むには不向きな場所ばかり。逆に姿を見せつつ、撤収しやすい場所と言えます。つまり、お二人の暗殺を諦め、兵の消耗を狙う作戦に切り替えてきたのかもしれません」



「なるほど。こうも黒犬出現とそれに伴う出撃を繰り返していては、兵の気力体力ともに厳しいか」



 カインは敵の柔軟な戦術運用に軍人として感心した。当初の策に固執せず、状況に合わせて即座に作戦を切り替える柔軟性は、軍人として持つべきものであったからだ。



「だが、どうする? 今更罠を解くわけにもいかんぞ。むしろ、それを狙っているのかもしれん」



「はい、ヤノシュ様の仰る通りです。挑発行動を繰り返し、焦れたこちらが動いたところを仕掛けてくる、というのは大いに考えられます」



 何食わぬ顔で意見交換するヒサコであったが、今やっているのは“時間稼ぎ”であって、城側が動こうが籠ろうが、どちらでもよかった。


 とにかく騒動を長引かせ、“臨戦態勢”の辺境伯領を外の人間に見せつける必要があるからだ。


 リーベからアスプリクに送った“偽手紙”に釣られて出てきたため、謀反云々は宙に浮いた状態だ。確認のため、斥候をアーソ辺境伯領に送って調べに来る手筈になっていた。


 もし、その斥候の視線の先に、物々しい雰囲気で戦闘準備に余念のない辺境伯領の姿を見たらどう思うだろうか?


 偽手紙の中身は本当であり、やはりアーソ辺境伯領は反旗を翻した、という体に落ち着く。


 そして、訳の分からぬままアーソの地は討伐軍によって蹂躙される運命が待っているのだ。



(でも、それはあくまで一番“美味しくない”結果よね。こちらが欲するのは、人的被害を最小に抑えながら、この地を奪い取る事。そのためには、もう一押し謀反の信憑性を上げておきたい)



 潜み続けるのもいいが、どうせなら更なる有効打を繰り出し、策を完璧な状態に持っていきたいとの欲求もあった。


 むしろ、焦れてきた二人の積極性を利用しない手はない。


 慎重に行くか、大胆に行くか、ヒサコの頭の中で両者がせめぎ合い、そして、結論が出た。



「討って出ましょう」



 ヒサコは決意を固めた表情を作り、カインとヤノシュを交互に見やった。



「ヒサコ殿、何か策が?」



「はい。今、地図を見ていて気付いたのですが、黒犬の出現地点には法則性があります。まず、網を用意してから最初に現れた地点がここで、次にここに出て、その次が……」



 そうしてヒサコは出没地点を順々に指をさしていった。



「なるほど、そういうことか。であるならば、次に出てくるとしたらば、この辺りというわけか」



「はい。恐らくは間違いないかと」



 実際、ヒサコは少しこじ付け気味ながらも、法則性が見られる動きを黒犬つくもんにさせており、それを暴露することで城側の動きを誘導できるように仕込んで置いたのだ。



(万全の策などない。盤面の駒の動きは無数にあり、その数だけ人の意思が働き、無軌道な動きを見せることもある。ゆえに、素早く展開できる策を次々と繰り出せばいいのよ。孫子曰く、『算多きは勝つ』よ。勝つための算段に抜かりはないわ)



 盤面を動かし、自分に有利に進める。策を弄する者として、これほど楽しい展開はないのだ。



「で、兵の動かし方なのですが、網は解除するべきではないので、カイン様はこのまま城内に待機し、飛び込んできた際に備えてください。城外の部隊は穴を塞ぐように一部隊を城壁付近で待機させつつ、残りは全部出撃します。ヤノシュ様が先頭に立ち、黒犬を誘いつつ、展開する部隊で退路を塞ぐように、こう展開して……」



 ヒサコは図上の駒を動かし、分かりやすく説明した。聞いている二人や周囲の騎士も、その的確な兵の配置や運用には度肝を抜かれた。


 本当に戦の経験のない御令嬢の思考なのだろうかと、疑いたくもなるほどに熟達していた。



「……とまあ、このような感じですが、いかがでしょうか?」



「正直言えば、修正点が見つからんわ」



 カインもお手上げとばかりに、ヒサコに向けて苦笑いを浮かべた。戦場で何十年と戦い続けてきたが、こうまで若い軍師、しかも女の軍師は初めてであった。


 天才とは本当にいるものだなと、皆が感心した。ヒサコの智謀の深さ広さには舌を巻くばかりで、本当にこのまま参謀として辺境伯領に居座ってくれないかとすら考えていた。


 しかし、ヒサコは天才でもなんでもない。その中身である戦国の梟雄は欲しい物を手にするために知恵を絞り、戦国の作法に則って掠めてきただけなのだ。


 天才の閃きではなく、経験の集積と倫理の希薄さによるあらゆる手段の肯定、それこそが戦国の梟雄の力なのだ。



「では、これでいくとして、もう一点ございます。カイン様、酒蔵を開放してはいただけませんか?」



 ヒサコの意外な提案に、カインは首を傾げた。出撃するというのに、酔っぱらっては怪物に後れを取ってしまうからだ。



「酒盛りでもして、英気を養うつもりか?」



「いえ、違います。出撃されていない“居候”がいるではありませんか。騒動がなかなか終わらぬと、こっちにちょっかいをかけてくるやもしれません。そうなると、今城内には兵士に扮させた隠棲者の術士が紛れてございます。城の中には入れたくないでございましょう?」



「なるほど。酒を抱えて従軍神官団あやつらの駐屯地に訪問し、御機嫌取りでもしようということか」



 ヒサコはカインの言葉に頷いた。すっかり忘れていた“居候”の存在にまで気付き、配慮の一手を入れてくるとは、やはり視野が広いなと、ますますヒサコのキレる頭に感服した。



「そちらはあたしが行きましょう。領内の方が訪れては、あれこれ聞かれて面倒でございましょう? あたしならば立場上部外者ですから、知らぬ存ぜぬで通せますし、最悪お兄様の名前を出せば引き下がるでしょうから」



「うむ、その通りだな。それに、あの連中に顔を合わせるのも、私もヤノシュも嫌だからな」



「では、酒蔵から良さげな物をいくつか頂戴いたしますが、よろしいでしょうか?」



「好きに使ってくれ。あいつらが酔っぱらっているうちに、今度こそ黒犬を仕留めてしまおう」



 ようやく動きがなかった状態から仕掛けれる条件が整い、息の詰まりそうな空気が一掃された。そんな感じが司令部に漂い、皆も一気にやる気が出てきた。


 ある者は編成に勤しみ、ある者は武器の調達に動き、別の者は展開する部隊の配置を考えるなど、一斉に動き出した。


 だが、それらも結局は無駄に終わることが決まっていた。



(お~い、黒犬つくもん、馬に擬態して戻ってきなさい。次は従軍神官の部隊を不意討ちするわよ)



 辺境伯軍の意識は黒犬退治に向いており、もはや誰も厄介な居候のことは忘れてしまっていた。


 そして、忘れてしまっているうちに攻撃を仕掛け、教団勢力を領内から一掃。謀反を起こしたように見せかける小道具として、盛大に殺してやらねばならなかった。


 そして、また一歩、ヒサコの用意した、ありもしない幻想の謀反が現実のものになるための一手が打たれるのであった。

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