5-19 吠えろ! 黒犬の牙 VS 氷の剣!(後編)

 牙と剣、互いの得物を見せ付けつつ、対峙する黒犬つくもんとヤノシュ。


 なお、ヒサコは思考と観察は続けるも、黒犬つくもんには次の指示を出していた。


 そう、ヤノシュを無視して、ヒサコのすぐ横にいるルルを襲わせたのだ。黒犬つくもんが思わずヒサコを睨んだことをごまかす意味も込めて、先に魔力持ちを潰すという作戦に切り替えた、ように見せかけたのだ。



「いかん!」



 目の前の怪物が思った以上に頭が回ることに気付かされ、前に出過ぎたことをヤノシュは後悔した。


 現状、黒犬つくもんにダメージを通せるのは術式を使えるルルだけであり、ルルさえ始末すれば、あとはどうにでもなる。傷つけられた頬の事は忘れてしまえる切り替えの早さを、目の前の怪物は持っていたのだ。


 だが、ルルは襲い掛かろうとする黒犬つくもん相手に動じる素振りすら見せず、次の一手を打った。 

 


「魔力全開放!」



 ルルの指先から魔力がほとばしり、それを受け止めたヤノシュの剣が更に輝きを増した。


 ルルの意図を察したヤノシュは、自身の持つ剣を全力で振り下ろした。



氷葬撃フリージングコフィン!」



 ヤノシュの剣の切っ先が地面に当たると同時に氷の道が敷かれ、斬撃と同じ方向に向かって無数の氷柱を突きあげながら凄まじい速度で、地を這うように真っ直ぐ突き進んだ。


 だが、かわされた。元々ルルを攻撃するのはフリだけで、どういう反応を示すかだけにヒサコが注意を払っていたからだ。


 そして、食らうとマズいと即座に勘で判断し、黒犬つくもんを飛び退かせたのだ。


 一瞬遅れて氷柱が走り抜け、そのままの勢いでその先にある岩に命中。その岩は氷の中に閉じ込められてしまった。



(うは! 危ないわね! あれは直撃してたらやられていたわ! いやはや、お見事お見事。諏訪湖の御神渡りもこんな感じかしらね~?)



 ヒサコは氷漬けになった岩や、氷柱がそそり立つ氷の道をまじまじと見つめ、下手に防御行動に出ずに全力で回避させたのが正解であったのを認識した。


 ホッと胸を撫でおろしつつも、すぐ横の地面にへたり込むルルに急いで寄り添った。



「す、すいません。魔力切れです」



「え、もう!?」



 ヒサコはルルに肩を貸して身を起こし、驚きながらその息荒いルルを見つめた。気を強く持たなければそのまま意識を失ってしまいそうなくらいに消耗しており、本気で精魂使い果たしたようであった。



(なるほど、“人”と“神”の差は、この魔力量か)



 術は個人の持つ魔力を消費して行使するものだと、ヒサコは今更ながら認識した。“術”と言う名のカラクリを、“魔力”を動力にして動かす。そういう感じなのだと。


 当然、より大きな術を使うのであれば魔力も相応に消費するであろうし、今のような必殺の一撃ともなると、並の術士ではすぐに息切れを起こしてしまうのだ。


 対して、自分はほぼ無制限に【性転換】や【投影】、【手懐ける者】を使用している。これは女神そのものを魔力源にして術を行使しているため、実質無尽蔵な魔力を利用できていることでもあった。


 つまり、ルルが神に祈りを捧げて「お願いします、あなたの力を分けてください」と言っているのに対して、ヒサコは女神テアの襟首を掴んで「おう、早く魔力出せよ」と搾り上げているのであった。


 そここそ、普通の人間と英雄と呼ばれる人間の差か、とヒサコは考察した。



(よくよく考えてみれば、かなり特殊な術ばかりだけど、女神という魔力源を持つあたしって、術者としては破格なのよね)



 初めて目の当たりにした術士と怪物の戦いの結果として、ヒサコはそう結論付けた。なんやかんやと間抜け面を晒す女神テアではあるが、やはり神は神としての力を備えていると再認識させられたのだ。



(よって結論! 術士と戦うに際しては、術を使われる前に暗殺するか、囮や捨て駒を使って無駄打ちさせて、魔力の枯渇を狙うか、このどちらかね!)



 実に有意義な“模擬戦”であったと、ヒサコは満足した。


 なお、周囲はそんな考えなど一切なく、すでにほとんど死を覚悟している状態であった。ルルの魔力が枯渇し、必殺の一撃までかわされたため、もう打てる手がないのだ。


 あとはどうやって逃げるかという算段なのだが、まともに歩くことすらままならないルルを抱えて、足の速い黒犬から逃げるなど実質不可能であった。



「おい、黒いの! 私はこっちだぞ! かかって来い!」



 ヤノシュの迅速な選択は、“囮”であった。自分自身を餌にして、他三人が逃げる時間を稼ぐ。そういう捨て身の策であった。


 状況としては、生き残るための最善策と言えた。どのみち逃げるのが不可能であるならば、誰かが犠牲になる他ない。その役目を自分に当てただけであった。


 なにより、ヤノシュの視線の先には、弟イルドの墓石があった。勇敢に戦って戦場に散った弟の前で、敵に背を見せ無様に逃げ回るなど、彼自身の矜持が許さなかったのだ。


 ならば、自分が囮となり、あわよくば刺し違えでもしてやる。そう決断した表情が、顔からにじみ出ていた。



(勇敢ね。結構なことだわ。さて、茶番もそろそろ終わりにしましょうか)



 経験という十分な戦果を得られたので、ヒサコは締めに入った。


 抱えていたルルをテアに預け、代わりにテアが背に括り付けていた“鍋”を受け取った。


 鍋を携え、黒犬つくもんの方を振り向くと、かつての苦い経験が呼び起こされたのか、黒犬つくもんの全身の毛が痛みの記憶から逆立った。


 “鍋”で武装した乙女、それは黒犬つくもんにとって心的外傷トラウマでしかないのだ。



「ヒサコ殿、無謀だ! 逃げろ!」



 ヤノシュの叫びは正しかった。悪霊黒犬ブラックドッグ相手に、武装は鍋一つ。どう足掻こうとも、勝ち目がないのは明白であった。


 そうただの“鍋”であれば。


 黒犬つくもんは大口を開け、迫りくる恐怖に向けて【黒の衝撃ダークフォース】を放った。


 ダメだ、吹き飛ばされた、そうヤノシュは覚悟したが、そうはならなかった。


 飛んできた黒い砲弾を鍋で受け止めると、そのまま吸い込んで消えてしまったのだ。



「な、なんだと!?」



 あまりのことに頭の処理が追い付かず、不可思議な光景を呆然と眺めるよりなかった。


 そして、黒犬つくもんは二発目、三発目と次々と黒い砲弾を主人にお見舞いしたが、どれもこれも簡単に防がれてしまった。


 ゆったりとまるで散歩でもしているかのような軽やかな足取りで近付く自分の主人に対して、改めて拭う事の出来ぬ恐怖を味合わされ、思わず数歩後退した。


 その怯みを合図に、ヒサコは鍋をしっかりと握り、駆け出して一気に距離を詰めた。



(軽く小突くから、そのまま喰らってのけぞりなさい!)



 ヒサコは走る勢いのまま鍋を振り回し、黒犬つくもんの鼻先にそれを命中させた。



「ギャヒィィィン!」



 黒犬つくもんは想定していた痛みをその身に受け、鼻血となってその衝撃に凄まじさ周囲に見せつけつつ、後ろに“吹っ飛んだ”。


 のけぞるのではなく、吹っ飛んだのだ。


 人であれば、鍋底をポンと押し当てられた程度のものだが、鍋に備わる魔力が黒犬つくもんにとっては猛毒以外の何物でもなく、攻城槌が直撃したのと同程度の衝撃が襲い掛かったのだ。


 豪快に吹っ飛び、森の木々を十数本へし折りながら黒い巨体が宙を舞い、最後にズッシ~ンという着地音が周囲に響いた。



(バッカ! 演技過剰よ! 下手くそか!? もそっとそれらしく飛びなさいよ、三文役者め!)



 演技力満点のヒサコからすれば、黒犬つくもんのそれはあまりにも下手くそであったのだ。


 なお、黒犬つくもんからすれば、文字通りの飛び上がるほどの激痛であり、演技云々のレベルを遥かに超える衝撃を食らっていたのだ。



「ギャヒィイン! ギャヒン!」



 これまた情けない声と共に、その気配は森の奥へと消え去ってしまった。


 なお、見えざる魔力の糸でしっかりと繋がっているヒサコには、大きく距離を空けた所で止まり、鍋で殴られた箇所を必死でさすっている感覚が伝わってきていた。



(あ、本気で痛かったのか。……なんか、その、ごめん)



 どうも特効によるダメージ倍率がぶっ飛び過ぎていて、加減を間違えたようだとヒサコは認識した。


 とはいえ、これでバカバカしい茶番は終了した。


 だが、種は撒かれた。これから起こるであろう騒乱の呼び水は、最後にいささか過剰演技で少しばかり萎えたが、問題なく芽吹きそうだと確信した。


 そして、ヒサコはニヤリと笑った。間もなく始まる悲劇と喜劇を予想しながら。

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