5-4 板挟み! 兄の苦悩と為政者の苦悩!(前編)

 カンバー王国の王都ウージェ。その王宮の一角に宰相府が存在し、宰相を頭として多くの廷臣らが集い、国内の問題処理に当たっていた。


 そして今、宰相府の主人である王国宰相のジェイクは、思い切り頭を抱えていた。


 それもそのはず。ここ数日の内に飛び込んできた報告書や各部からの陳情、あるいは訴状に振り回れていたからだ。



「ほんと、どうするんだよ、これ……」



 普段は凛々しく理知的な辣腕の宰相であったが、弱気になって思わずぼやいてしまうほど、事態は混迷を極めていた。


 事の発端はケイカ村で発生した現地の司祭に対する暴行事件であった。


 いくら王家の直轄地とはいえ、その程度の案件であるならば、わざわざ王都の宰相府に届くようなことはない。現場の司法機関、ないし教団裁判所が処理するはずであった。


 問題なのは、この事件に関わっていた人物らが、揃いも揃って大物揃いであったためだ。


 まず、司祭を暴行したのはヒサコ。こちらはジェイクもよく知っていた。なにしろ、つい最近開かれた御前聴取の席で顔を会わせたシガラ公爵家の令嬢で、何度か話もしていたからだ。


 最初報告を聞いた時、ジェイクは相変わらずの過激な言動だなと思ったが、そうも言ってられない暴行の理由が付与されていたのだ。


 ヒサコが激怒して司祭を半殺しにしたのは、問題の司祭が地鎮祭を執り行ったにもかかわらず、ジェイクの兄で第一王子のアイクが営む工房が悪霊に襲撃されたからだという。


 兄の命の危機に加え、儀式の失敗を棚上げした挙げ句、次なる儀式と費用の催促という無神経ぶりに制裁を加えたという事情があったのだ。


 司祭の無神経な言動には激怒に値するものであるし、兄の命を救ってくれたこともあって、ジェイクとしてはヒサコをどうにか赦免し、穏便に済ませようかと考えた。


 だが、そこで別の方向からヒサコへの極刑を申し出る者が現れた。セティ公爵家である。


 実は、暴行された司祭リーベは、セティ公爵家の現当主の末弟であり、弟を半殺しにされたことに怒り、ヒサコに対して“厳正なる”処罰を与えるように言って来たのだ。


 そして、これに教団側も乗っかって来た。現役の司祭に対する暴行ということを重く見て、教団に対する明確な侮辱行為だと断定。ヒサコを即刻処刑するように催促してきたのだ。


 シガラもセティも三大諸侯に名を連ねる大貴族であり、しかもこれに教団の横槍も加わって、簡単に収まりがつかなくなってしまった。


 どうしたものかと悩んでいると、今度はジェイクの下にマリュー、スーラ兄弟が駆け込んできたのだ。兄のマリューは法務大臣、弟のスーラは財務大臣と、兄弟で大臣をこなす王宮内屈指の実力者であり、その発言力は大きい。


 その両大臣が揃って、ヒサコの赦免と、教団側への非難を口にしたのだ。



「この件は明らかに、この問題の司祭にあります! 己の失敗を棚上げして、金の無心などありえない所業です!」



「兄上の申す通りです! しかも、襲撃された工房はアイク殿下が手ずから運営されている工房で、襲撃時にも滞在し、危うく命を落としかけたと聞いておりますぞ! にもかかわらず、無神経な振る舞いには憤りを覚えます!」



「然り! これは王家の顔に泥を塗ったも同然! 確たる姿勢を示さねば、王家の威信に関わることになるのは必定!」



「ヒサコ殿の赦免と、問題の司祭の追放、これくらいは断固として打ち出すべきです!」



 兄弟揃ってこの調子であり、ジェイクとしては有力な廷臣の発言を無視することも難しくなった。


 ちなみにこの兄弟、しっかりとヒーサによって買収されていたのであった。


 事件のあらましを書き記した手紙に“誠意ワイロ”を添えて二人に送り、事情を説明したうえで協力を願い出たのだ。


 二人にしても、かなりの額を積まれた上に、王宮内における教団の勢力削減を考えていたため、利害の一致によってすんなり協力体制を組むことができたのであった。


 そんな二人がまくし立てるだけまくし立てて去ったかと思うと、今度は枢機卿のヨハネスが執務室を訪ねてきた。


 教団は法王、五人の枢機卿、五色の神殿の大司教、大司祭、大神官、それらを合わせた二十一人の最高幹部を中心にして運営されており、ジェイクの前にやって来たヨハネスはそのうちの一人だ。


 慣例によって、五人いる枢機卿の内の一人が王宮に詰めておくことになっていた。王宮や王族に関する神事の他に、宮中と聖山の伝奏役を兼ねるなど、ヨハネスはかなり激務な役回りをこなしていた。


 またぞろ、教団側の処刑しろの掛け声でも聞かされるのかと思ったが、そうではなった。



「今回の一件は、ヒサコとリーベ、双方に厳正な処罰を下し、以て収めるべきかと“私見”を述べさせていただきます」



 ヨハネスの意外な言葉に、ジェイクは目を丸くした。同時に、教団内部にもヒサコの処刑をよしとしない意見もあるのだと安堵した。


 ただし、“私見”と言う点を強調してきたところが、ヨハネスの複雑な心情の表れであることもジェイクは察した。



「枢機卿、率直にお尋ねしよう。そこまで聖山は乱れておるのか?」



 ジェイクの質問はある意味で愚問であった。なにしろ、教団の腐敗や横暴は誰しもが知るところであり、宰相であるジェイクが知らないわけがなかったからだ。


 不入の地であることを無視して密偵を入れ、ある程度の情報を仕入れているし、妹アスプリクに対する不埒な行いについても把握していた。


 腐っているのは知っている。ただし、それを教団の最高幹部の口から聞くのかどうかが重要であった。



「宰相閣下の仰る通り、好ましからざる状況なのは認めます。正直なところ、『星聖山モンス・オウン』の息苦しさから、王宮に出向を願い出たも同然ですから」



 ヨハネスを含む、枢機卿は全員で五名。国で言えば大臣の地位に相当し、教団全体の統率を行う重責を担っている。また、教団の最高位である法王は枢機卿から選出されるのが慣わしであり、枢機卿になると言うことは次の法王候補になるのと同義であり、野心的な者ならば当然その席を狙うものだ。


 ではヨハネスはどうなのかと言うと、門地と実力で勝ち得た口で、野心的と言うわけではなった。


 ヨハネスは三大諸侯の一角を占めるビージェ公爵家の分家筋にあたる家柄の出身で、知見のみならず術の才能にも恵まれた人物であった。


 ビージェ公爵家は“知”の公爵家と謡われるほど、多くの学者や術士を輩出しており、教団内でも同家の出身者が数多く在籍しており、一大派閥を形成していた。


 ヨハネスもビージェ公爵家の分家の出と言うこともあって、その派閥に属していることなってはいるが、距離を取っている微妙な立ち位置にいた。


 教団腐敗の原因の一つに派閥間の対立というものがある。敵対派閥を出し抜くために、あの手この手で足の引っ張り合いをしており、その工作資金の工面のために、息のかかった神殿からの上納金を少しでも増やそうと無理な集金を行い、そのしわ寄せが一般信者への収奪に繋がっていた。


 そうした内情もあって、真面目なヨハネスからすれば、今の教団は居心地が悪すぎたのだ。何度も正道に立ち返るべきだと説いて回るも、冷たくあしらわれる始末であった。


 それでも枢機卿の地位を維持できたのは、ヨハネスが正真正銘の天賦の才を持つ術士であったからにほかならない。


 光の神の神殿に属し、特に治癒系の術式を極めていた。使用条件は厳しいが、【蘇生リザレクション】すら使える治癒術士の最高峰に位置する神官で、術士としての実力は国内有数であった。


 そして、枢機卿の内の一人は王宮へ出向するのが慣わしである点に目を付け、ヨハネスがそれを買って出たというのが、現在の状況なのだ。



「枢機卿の心中は察する。お互い、“目を瞑っている”現状には不満があるからな」



「宰相閣下もですか……。このケイカ村での一件、まさに現状の歪みが凝縮されて、一気に噴出しかねない危険なこととなりましょう」



 二人揃って難しい立ち位置にあり、下手な譲歩や締め付けは却って混乱を招きかねないのが理解できるだけに、頭を抱えているのだ。



「正直に申しますと、この件で最高幹部会議が開かれれまして、結果はヒサコへの処刑が妥当との判断が出ました。賛成十九票、棄権二票で。ちなみに棄権は私と、欠席していた閣下の妹君の分です」



 現在、ジェイクの妹である火の大神官アスプリクは、渦中のシガラ公爵の下へと出向していた。先の毒殺事件の調査と公爵の新事業の支援が目的であり、そのための欠席となった。


 正直、妹が会議に出席していなくてよかったと、ジェイクは思っていた。アスプリクはシガラ公爵ヒーサを気に入っており、生まれて初めての友人だと喜んでいた。


 そうした関係もあって、公爵領行きを説得して回ったのだ。


 その妹がもし会議に出席したら、ヒーサの妹であるヒサコを救うためにどんな行動に出るか知れたものでないのだ。間違いなく過激な行動に出るであろうし、そうなっては王家と教団の関係に大きな亀裂を生む結果が生じるであろうことは疑いようもなかった。



「だからと言って、穏便に幕引きともいかないのが実情なのだがな」



 あっちを立ててはこっちが立たず。どちらかに少しでも傾けば、そのまま対立構図が噴き出しかねない微妙な状態となっていた。


 そうした事情はジェイクのよく知るところであった。なにしろ、この天秤を上手く調節し、巧みに硬軟織り交ぜて国内の安定化を図って来たのが、他でもない宰相たるジェイクの手腕によるものだからだ。


 だが、とうとうそれも限界が来てしまったというわけだ。



「もうどこかで大鉈を振るい、切るところを切らねばならないのだがな。とんでもない流血を伴うことになるぞ、これは」



「覚悟を決めねばなりませんが、誰をどの程度切るのか、悩ましいですな」



「枢機卿の前で申し訳ないが、切るなら教団側になるぞ」



「でしょうな。ですが、それは大規模な内乱へと発展するでしょう。山の上にいる頭の固い連中が、はいそうですかと従うとは思えませんし」



「なんとか、落ち着かせる切っ掛けでもあれば……」



 難しい調整が続くことになる。


 二人の悩みの色は濃くなる一方で、晴れる気配など微塵もなかった。

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