第5章 動乱の辺境伯領

5-1 旅立ちの時! さらば温泉村よ!

 ケイカ村。そこはカンバー王国一の高級温泉村であり、上流階級が好んで逗留する一大リゾートとして名が知れ渡っていた。


 谷間に存在する村で、温泉村らしくそこかしこに設備の整った温泉があり、あるいは手入れの行き届いた宿泊施設が設けられていた。


 そして、この村の華やかな現状を見せ付けるかのように、村の中央には社交場サロンが設けられており、様々な芸術談議が交わされる夜会が頻繁に開かれていた。


 現在、この村は王家の直轄地となっており、代官として第一王子のアイクが派遣されていた。


 アイクは病弱で政治にも軍事にも興味がなく、趣味の芸術に打ち込むことを生きがいにしていた。


 その芸術好きな王子の赴任とともに、ケイカ村はリゾート村のみならず、芸術村としても発展していった。何人もの絵師や彫刻家などを輩出し、詩人や作家も同様に世に出ていった。


 最近ではドワーフ族の技師を招き、陶磁器の作製にまで手を伸ばしており、その芸術に対する情熱は弱い体に鞭を打ってでも世に送り出そうと、アイクは奮起していた。


 そして、奮起する最大の理由は、彼の目の前にいる一人の女性によってもたらされた新しい風だ。



「殿下、それに皆々様、わざわざのお見送り恐縮でございます」



 その女性は村の出入り口に居並ぶ村人や逗留中の芸術家、あるいは貴族が総出で見送りに出てきてくれたことに感激し、恭しく頭を下げた。


 女性の名はヒサコ=ディ=シガラ=ニンナ。シガラ公爵ヒーサの妹で、現在は兄の求める植物の種子を手にするため、隣のネヴァ評議国を目指している道中であった。


 長い金髪を揺らし、いかにも気の強そうな鋭い眼光の碧眼で周囲を見渡していた。女性の割に背丈も高めで、アイクと並んでもさして変わらないほどだ。


 知略に富み、武芸にも通じており、悪霊黒犬ブラックドッグの襲撃と言う未曽有の危機にも果敢に立ち向かって。見事にこれを退けたほどの勇敢な女性でもあった。


 その彼女が評議国に向かう途中、温泉村として名高いケイカ村に立ち寄ったのだが、騒動や事後処理に巻き込まれてしまい、予定以上の逗留を余儀なくされたのだ。


 三日程度の滞在を予定していたのが、気が付くと半月近く留まることとなり、随分と顔見知りや知己が増えてしまったため、離れるのが少し寂しくも感じていた。



「ヒサコも道中、気を付けてな。無事の帰還を待っているぞ」



 見送る列の真ん中にいるアイクは、心配そうに立ち去ろうとするヒサコを見つめていた。


 正直なところ、アイクはヒサコこのまま村に留まって欲しいと思っていた。いくら知略に富み、度胸も据わっているとはいえ、国境の向こう側にまで旅するのは危険であったし、なにより、交わす会話の内容が洗練されていてとても楽しいからだ。


 ヒサコは村に滞在中、“短歌”と“漆器”という新たな世界を、この村に、そして滞在する芸術家や貴族にもたらしたのだ。


 季語を含み、三十一音の韻を踏んだ短歌と言う新たな様式に、詩人達は大いに感銘を受け、こぞって歌うようになったのだ。


 また、漆器にしても、漆黒の地に金と螺鈿で装飾された食器、あるいは顔料を含ませた漆で装丁した書物など、美意識がひっくり返されるほどの衝撃を芸術家や貴族に与えた。


 これを欲した貴族が、さっそく公爵領に注文を入れるほど注目を集めており、じきに漆器ブームの到来を予感させる波が押し寄せつつあった。


 それもこれも、目の前の女性がもたらしたのだ。齢にして十七歳の若さで、この才覚は脅威と興味の的であり、いまや社交界では一、二を争うほどの注目度となっていた。



「アイク殿下には感謝の言葉もございませんわ。わざわざ荷馬車まで設えていただいて」



 ヒサコが公爵領より乗ってきた荷馬車は、黒犬襲撃の際に大きく損傷してしまい、使い物にならなくなっていたのだ。そこで、アイクは代わりの荷馬車を急いで用意させ、それをヒサコに贈ったのだ。



「お嬢様への贈り物としては武骨な物だが、漆器の返礼を何も渡さずにいるのは心苦しい。どうか貰ってやってくれ」



 こう言われては、さすがに受け取らずにはいられず、頂戴することにした。


 なお、前の馬車を破壊した張本人である黒犬つくもんは、現在黒い馬に擬態しており、馬車にしっかりと繋がれていた。


 黒犬つくもんはヒサコによって討伐され、スキル【手懐ける者】によって従属しており、平時は移動用に、緊急時には戦力としての運用がなされていた。


 そして、もう一人、馬車の御者台の上には、緑髪の女性が腰かけていた。シガラ公爵家に仕える侍女で、名をテアと言う。


 ヒサコの旅に際し、ヒーサが側仕えとして腹心を派遣するという体になっていた。


 だが、それは表向きの話である。


 そもそも、ヒーサとヒサコは同一人物であり、テアの本来の姿である女神(見習い)のテアニンの力によって、戦国日本より転生させられた松永久秀がその正体である。


 スキル【性転換】を利用し、兄妹を一人二役でこなし、裏の事情を教えた火の大神官アスプリクを除くすべての人々を騙していた。


 戦国的作法により、父と兄を亡き者とし、義父にその罪を被せ、嫁の相続した財産と領地を実質管理下に置き、着々と勢力を伸ばし、“国盗り物語”をがっつり楽しんでいた。


 それでいて、女神からの依頼である“魔王探索”もきっちりこなしており、魔王候補を二人まで絞り込んだ後、そのどちらも公爵領に招き寄せることに成功していた。


 そして、最大の目的である喫茶文化の開化のため、ネヴァ評議国のエルフの里を目指しつつ、国盗りのための“騒動の種”をばらまいている最中であった。


 そういう意味において、ケイカ村での騒動は大成功と言えた。


 新しい文化を広めることにより名声が上がり、同時に特産工芸品の売上により財も稼げる手筈が整った。


 そして、何かと目障りな『五星教ファイブスターズ』への不信感を増幅させ、様々な思惑が入り乱れつつも、包囲網の形成に向けた動きが起こりつつあった。


 それもこれも、ヒサコによるアイクへの篭絡工作の副産物であり、いずれは値千金となる布石だと確信していた。


 当のアイクもヒサコにぞっこんであった。文化人としての魅力が強すぎるので、男女のそれとはまた違うが、それでも親密と言っても差し障りないほどに仲が進展していた。



(もう一息ってとこだけど、焦らす意味で少し距離を置きたい)



 ケイカ村の司祭リーベを半殺しにした件は、表面的には一応の落ち着きは見せているものの、総本山からの通達はまだであった。


 本来なら今少しケイカ村に留まりつつ、情勢の推移を見守ってもよかったのだが、これから向かうアーソ辺境伯領での情報収集が優先だと判断し、出立することにしたのだ。


 辺境伯のカインとはすでに顔繫ぎが済んでおり、互いに異端宗派『六星派シクスス』であることを教えあっているため、かなり突っ込んだ情報交換ができるという期待もあった。



「殿下、出立前に一言、最後によろしいでしょうか?」



「うむ、聞こう」



 名残惜しくはあるが、ヒサコは旅の途中であり、“たまたま”ケイカ村に立ち寄っただけであるので、長く引き留めるわけにもいかず、いよいよ別れの時が来たとアイクも覚悟を決めた。


 そして、最後の問いかけに意識を集中させた。



「器作り、楽しみにしています。旅の復路にはまた寄らせていただきますゆえ、それまでには是非とも、ご自身の納得のいく作品を完成させておいてください」



「ハッハッハッ、なかなかに難しい要望を出してくるな」



 現在、アイクはドワーフ技師デルフの指導の下、陶磁器作りに入れ込んでいるが、さすがに国内での作陶は始まったばかりであり、まだまだ良い品ができていなかった。


 そこへ、ヒサコが例の輝く漆器を持ち込んだのである。


 陶磁器と漆器では色合いも用途も異なるが、それでもアイクにとっては美意識に大きな変化をもたらす切っ掛けにもなった。


 少なくとも、あれに比肩できる陶磁器を用意せねば、ヒサコの要望に応えたとは言い難いのだ。


 それを旅から戻ってくるまでに仕上げてくださいと、きっちり期限を決められた格好となった。これは相当な重圧であり、漆器の良さを理解し尽くしたアイクにとっては、難題極まる頼み事であった。



「分かっているとも、ヒサコ。お前好みの器、しかと用意して待っているぞ」



 啖呵を切った。好意を抱く相手からの要望である。断ると言う選択肢はない。


 下手な器を作っては、鼻で笑われることだろう。ヒサコの性格からすれば、こちらが王子だのと関係なく、率直な感想を述べ、気に入らなければそのまま地面に叩き付けるかもしれない。そう思わせるだけの、芸術への真剣な想いを半月程度の交流を経て感じていた。


 そうなっては、男としても、芸術家としても、アイクはその矜持を器ごと潰されることになる。それだけは避けねばならなかった。


 覚悟を決め、必ず完成させるとの決意を胸に、アイクはヒサコに手を差し出した。


 ヒサコはその手を掴み、二人は固い握手を交わした。


 男女のむつみ合いなどではなく、互いに高め合おうとする数奇者同士の約が交わされた瞬間であった。



「はい。こちらも無事に戻ってきますので、殿下も息災で」



「うむ。至高の器を作り出すまで、私は決して立ち止まらぬぞ。楽しみにしておれ」



 再開を固く誓い合った後、ヒサコはササッと馬車に乗り込んだ。この村はあまりに居心地が良いので、さっさと振り切らねば、旅立ちの気分が萎えてしまいそうであった。


 ヒサコはつくもんに指示を出し、テアが軽く鞭入れすると、その大きな体を前に進ませ、荷馬車も引っ張られて前に進んでいった。


 歓声と大きく振られる手に見守られながら、ヒサコはそれに向かって名残惜しむかのように手を振り返し、村が見えなくなるまでじっと見据えた。


 そして、その瞬間を以て、“休暇”の終わりでもあった。


 ここから先は再び戦国の法則が支配する、下剋上の始まりでもあった。


 目指すはアーソ辺境伯領。次なる戦場を目指し、馬車はゆっくりと街道を進んでいった。

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