4-56 装丁! 五色の聖典は誰の物!?

 ノリノリで新商品“漆器”の宣伝をするヒサコであったが、そんな熱気渦巻く社交場サロンに、空気を読まずに水を差す無粋な輩が姿を現した。



「随分と楽しそうだな」



 賑やかに会話が飛び交う社交場サロンには不釣り合いな、怒気の入り混じった声が飛んできた。何事かと声のする入り口を皆が見つめると、そこには法衣をまとった一人の男がいた。


 この村で司祭の法衣をまとうものはただ一人、村の神殿の司祭であるリーベだけだ。


 数日前、ヒサコが半殺しにした男だ。



「チッ、つまらん男が来たな」



 ヒサコの側にいたアーソ辺境伯のカインが、当人には聞こえないように吐き捨てた。なお、楽しい芸術談義をぶち壊しにされたため、その場の全員がほぼカインと同じ思いを抱いていた。



「よもや、断食明けにこのようなバカ騒ぎとは、反省の色が見えんようだが? どういうことか、小一時間問い詰めたいところだ」



 リーベはゆったりとした足取りでヒサコに近付き、鋭い視線を突き刺してきた。どうやらヒサコが談笑していることが気に入らないらしく、いちゃもんを付けに来たことは誰しもが理解した。


 なお、その点では正解であった。


 ヒサコとしては、先頃の一件は一切反省に値する出来事だとは思っておらず、反省する気など更々なかったのだ。ただ、世間体を気にして一応反省しているという素振りだけは見せておかねばならなかった。


 実際、屋敷に引き籠って断食行をやっていると見せかけて、スキルを用いて公爵領に舞い戻って漆器作りと子作りに精を出していた。


 反省しているように見せてその実、『反省してま~す』と頭を下げながら、思いっきり舌を出して小馬鹿にしていたのだ。


 なお、この目の前のバカ相手に、小一時間も説教聞かされるのは精神衛生上よくないので、真っ平御免であった。



「司祭様、ご機嫌麗しゅう。もうお加減の方はよろしいので? フフッ、歪んだ顔が元に戻ってよかったですわね」



 相手の嫌味に対して、即座に嫌味の応酬。ヒサコは露骨に相手をさげすむように、嘲笑う笑みを浮かべ、司祭を挑発した。



「フンッ! 治癒の術式で直したわ」



「おや、術が使えたのですか。てっきり、儀式もろくに出来ない、格好だけの七光り司祭だとばかり思っておりましたわ」



「な、なにをぉ!」



 実際、大したことはないのではとヒサコは考えていた。モンス・シガラの上級司祭ライタンの情報では、目の前の司祭リーベはセティ公爵当主の異腹弟というだけで、実力自体は大したことはないと聞かされていた。


 かつて行った開腹手術の際、マークは治癒の術式を用いて、開いた腹を素早く塞ぐことができた。


 一方、リーベは足取りが覚束おぼつかないように見えたので、おそらくは今日ようやく起き上がれる程度に回復したように思えた。つまり、治癒の術式を使えながら、回復させるのに三日を要したということだ。


 マークに比べて、明らかに術の威力が弱いということだ。



「まあまあ、司祭様、私は別にケンカを売っているわけではございません」



「では、なんのつもりか!?」



「本当のことを口から吐き出しているだけですわ。私、嘘が下手くそでございますから」



「き、き、貴様ぁ! 公爵家の者とはいえ、庶子の分際で生意気にも程がある!」



 リーベは激高してヒサコに詰め寄ろうとしたが、そこはアイクが急いで割って入り、両者の間に自身で壁を作った。



「司祭様、落ち着いてください。ヒサコもあまり事を荒立てんでくれ」



 アイクとしては面倒なリーベより、ヒサコの方に肩入れしたかったが、この場の主催者としては揉め事を中立的な立場で収めねばならなかった。


 それを理解しているからこそ、ヒサコはアイクの言に素直に従い、恭しく頭を下げた。


 一方のリーベは怒りをあらわにしたまま荒い鼻息を噴き出し、まだヒサコを睨みつけた。


 両者の態度がそのまま余裕の表れになっており、周囲の受けた印象もがらりと違っていた。無論、全員がヒサコに対しての好感で満たされていた。



(さて、そろそろ頃合いかしら)



 周囲の雰囲気を機敏に察し、ヒサコは控えていたテアに視線を送った。その意を理解したテアはヒサコの側に歩み寄り、持っていたもう一つの箱を差し出した。



「では、仲直りの印に、こちらを差し上げましょう。どうぞお受け取りください」



 ヒサコは包んでいた布を外すと、そこには漆器の箱が姿を現した。ただし、飾り気のない黒い箱で、縁だけが朱塗りになっているだけであった。


 先程の漆器のセットに比べるといささか見劣りするな、そう誰しもが感じた。


 だが、ヒサコが蓋を開け、中身を見せるとその評は一変した。


 現れ出たのは一冊の本。その表紙には『五星経典』と記されていたので、教団の聖書であることはすぐに分かった。


 だが、“表紙”が明らかに異質な物に仕上がっていたのだ。



「な、こ、これは……!」



 ヒサコのすぐ横に立っていたアイクは本の表紙に目を奪われた。


 入れ物である箱の内側は朱塗り。黒一色であるよりかは見栄えが良いが、それ以上に異彩を放っているのが中身である本の表紙だ。


 漆塗りなのは間違いなさそうなのだが、その色彩は黒、朱、黄、緑、茶褐色の五色が存在し、さらにそこへ金の装飾も加わり、合計“六色”の世界が描かれていた。


 朱は“火”を、黄は“風”を、緑は“水”を、茶褐色は“地”を、金色は“光”を表しているようで、それぞれに対応する意匠が描かれていた。



「こちらはご覧の通り、教団の聖典でございますが、漆による装丁そうていを表紙に施しました、漆器の書物にございます」



「漆器の書物だと!?」



 あまりに予想外な贈呈品に、アイクは叫び声をあげ、同時に他の人々まで再びヒサコの周囲を集まり始めた。完全にリーベのことなどそっちのけで、書物の方に意識が集中し始めたのだ。


 漆器、すなわち“器”とは、要するに入れ物のことである。何かを入れて保護するために存在する道具と言ってもよい。


 そういう意味においては、本の表紙は“文”を保護する“器”と言って差し障りない。


 だが、それを“器”と言い張り、新技術であるはずの“漆器”を用いるなど、発想がぶっ飛んでいると言わざるを得ない。アイクや他の芸術家にしても、自分達の世界の美意識や感覚が、根底からひっくり返されたような、そんな気分を味合わされた。


 なお、これはヒサコの中身である松永久秀が、この世界に来て思いついた物であった。


 そもそも、日本の書物は“和綴じ”である。紐で綴じて、書物を成しているのだが、この世界において本は表紙が頑丈に出来ていた。これは“紙”の強度による差であった。


 和紙は洋紙に比べて格段に繊維が長いため、薄くとも強靭で寿命が比較的長い。表紙に普通の紙を用いても長持ちするのだ。しかし、洋紙は和紙ほど頑丈ではないため、それを保護する意味合いで、表紙をしっかりと作っておかねばならなかったのだ。


 そして、その過程で“装丁”という技術に出会い、それに漆塗りの技法を加えることによって、新たな価値を見出したのが“漆器の装丁”なのだ。



「こちらは漆の中に顔料を混ぜ、色付けしたものにございます。できれば螺鈿細工も加えて、今少し華やかにしようかと考えておりましたが、兄から届いた荷物にも間に合わなかったのでこれで勘弁してくれと、添え書きがしておりまして」



「まだ、向上するのか、これを」



 アイクには目の前の本に対して、もう言葉が浮かばなかった。アイクにしろ、周囲の面々にしろ、完全に本に釘付けとなり、その異色の輝きに目を奪われた。


 そして、それをヒサコはリーベに差し出した。露骨なまでの、相手を見下すような視線と共に。



「司祭様、どうぞお受け取りください」



 差し出された本は、まさに二つとない逸品であった。リーベとしても、その珍しい書を掴んで確かめたいという衝動に駆られた。


 だが、これを受け取ってしまっては、完全に相手の下風に立たされる。そんな気がしてならないのだ。


 ゆえに、拒絶した。



「いらんわ、そんなもん!」



 一時のプライドを優先し、ヒサコに対して負けを認めるのをよしとしなかったのだ。


 居並ぶ人々の視線を無視し、きびすを返して出口の方へと早足で歩き始めた。



「覚えておれ! ここまで私を虚仮にしたのは、お前が初めてだ! 今に後悔させてやる!」



 叫ぶだけ叫んで、短気な司祭は社交場サロンから消えてしまった。


 それでようやく場の落ち着きが戻って来た。



「やれやれ、美意識に乏しい、風情を理解せぬ相手に言葉を交わすのは、本当に疲れますわね」



 思わず漏らしたヒサコの言葉に、いよいよ我慢できなくなったのか、まずはアイクが笑い出し、次いで周囲に笑いの輪が広がっていった。


 無粋な輩がいなくなって清々した。そんな空気が場を支配したのだ。


 行き場を失った艶やかな聖書はそれでも注目を集めたが、そんな品をヒサコはすぐ近くにいたカインに差し出したのだ。



「無粋な方が受け取りを拒否なさいましたので、お下がりで申し訳ありませんが、辺境伯様、どうぞこちらをお納めください」



 いきなりの贈り物に、カインは目を丸くして驚いた。



「これを私に!? あ、いや、しかし……」



「お気になさらないでください。温泉村より引き揚げましたら、辺境伯領にお邪魔すると申したではございませんか。これは逗留の際の宿代とでもお考え下さい」



 ヒサコはにっこりと微笑んで、再度受け取るようにと促した。


 確かに、辺境伯領に立ち寄るとは聞いていたが、その際の贈り物としては破格と言わざるを得なかった。


 なにしろ、現在においては世界に一冊しかない漆器装丁の書物である。中身は良く知る内容の書物とはいえ、芸術的な価値は計り知れない。


 おそらく、この場で売りに出すと言えば、即座に買い手が付くほどの品だ。宿代などと言うが、それを遥かに上回る金額が提示されることだろう。


 とはいえ、カインはここは素直に受け取っておくことにした。価値を理解しながら受け取りを拒否した司祭と同等になるのが嫌であったし、なによりあまりの美しさに見惚れたため、それを手中に収めれるという欲に打ち勝てなかったのだ。



「では、お言葉に甘えて、いただくとしよう」



 カインは手が震えていたが、しっかりと箱ごと書を受け取り、ヒサコに礼を述べた。


 そして、受け取った書物を早速見せびらかすために、先程の漆器セットの横に置いた。



「どうぞ皆さんもじっくりご覧になってください」



 カインの掛け声と共に、再び二つ漆器の周りに人だかりができた。色合いの違う二つの芸術品に、人々はますます夢中になった。



(フフフッ……、成功成功。ますます注目が上がるという物だわ)



 漆器に群がる人々を見て、ヒサコは心中で喝采の声を上げた。


 新たなる美を見出し、それを世間に広めることの面白さに目覚めたのだ。戦国乱世を渡り歩き、切った張ったの下剋上を繰り返した者としては、初めて感じ入る世界の風がなんとも心地よかった。


 そして、ふと一人の人物の顔が思い浮かんだ。茶事の師である武野紹鴎たけのじょうおうの下で共に学んだ同門の男だ。



(与四郎、あなたならどんな世界を描くのか、とても興味がある。あちらの世界では、どんな美を世に送り出したのか気になる)



 商業都市堺の商人・田中与四郎、後に千利休と呼ばれることになるその男は、後世日本に大きな文化的足跡を残すこととなる。


 なお、その美意識が連綿と受け継がれ、現在の日ノ本においてさえなおも多大な影響を与えているのであるが、そのことを松永久秀は知らない。

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