4-54 鍛えよう! 使い魔の強化は必須課題だ!

「さて、っと」



 ヒサコは十分に愛犬つくもんを可愛がった後、それを床に落とした。丁度そこはヒサコの影があり、つくもんは水面に吸い込まれていくがごとく影の中へと消えていった。



「なんか、慣れてるわね」



 テアが影を覗き込むと、そこには何の変哲もない床があるだけだ。ただ、探知系の術式を用いて見てみると、そこには“伏せ”の状態で主人のお声掛けを待っている仔犬の姿が確かにあった。



「女神様には見えてるって顔ね」



「そりゃね。普通の人には見えないでしょうけど、探知系の術式を使える術士になら見破られるわよ」



「なるほど。やはりつくもんの運用については、その辺りが今後の課題になりそうね」



 ヒサコは顎に手を当て、つくもんが潜んでいる自身の影を見つめた。色々と思考を巡らせ、それから軽くため息を吐いた。



「結局、つくもんを鍛えておかないと始まらないってことか。ねえ、女神様、スキル【手懐ける者】で仲間にした相手って、経験詰ませて鍛えることってできる?」



「ある程度なら。ただ、つくもんの場合、体の方は成長しきっていると思うから、ステータスの上昇はあんまし見込み薄ね。技術面を伸ばすくらいしかないわ」



「重要なのはそっちよ。戦闘能力はもう体感しているから、十分理解しているわ。むしろ、力でごり押す戦い方を改めないとダメ」



 実際、つくもんとの対決において勝つことができたのは、鍋の力とつくもん自身の慢心によるところが大きい。もし、油断して鍋の一撃が直撃していなければ、勝っていたのは間違いなくつくもんであるはずだからだ。


 物理攻撃の通用しない相手が、射撃戦を挑んできた場合、あのときのヒサコには対処のしようがなかったのだ。鍋の一撃が効き過ぎて、そのままズルズル押し込まれたというのが、あの戦いの流れだ。


 距離が詰められなければ、どうあがこうとも勝てなかった。そういう内容なのだ。



「これからつくもんは徹底的に鍛え上げる。そう、“忍び”としてね」



「アィエエエ、そうなりますか。まあ、黒犬の能力なら、そう鍛えた方が有用かしらね」



 忍者、隠密、黒犬ならそれが適しているかなと、テアは考えた。


 スキル【擬態】は別のものに姿を変えるスキルであるが、これを黒犬は標準装備している。現に、先程までは可愛らしい仔犬の姿をしていたし、この前は取り込んだ馬の姿をしていた。


 隠密行動をするのであれば、何かに化けるなどして紛れ込むのは常道であり、ヒサコとしてはこれをより変身できる種類を増やしておきたかった。


 そして、スキル【影走り】だ。こちらも黒犬の持つ能力であり、影や闇に溶け込むことができる。今もつくもんはヒサコの影の中に入っており、その姿を視認することができない。



「う~ん、【擬態】に【影走り】があるから、十分だと思うけど、どうなの?」



 テアの言う通り、隠密行動をするのであれば、この二種類のスキルは極めて有効である。しかも、その操作はヒサコが行うので、慢心することなどありえないのだ。



「でもさ、ナルには気付かれた。つまり、探知能力の優れた相手には見つかるって事よ。少なくとも、今の状態じゃ、ナルの近くでつくもんは使えない。【隠形】を身に付けて、気配をしっかり消せるようにならないと、見る人が見たら、暗闇で松明燃やしてるようなもんよ」



「でも、けしかけたら倒せるんじゃない?」



「マークがいないならね」



「あ、そっか。それだと厳しいか」



 マークは魔王候補の術士にして暗殺者である。その特性上、探知能力は優れているし、奇襲や闇討ちにも手慣れており、仕掛けるのが難しいのだ。


 そして、術士が【武器魔力付与エンチャント・ウエポン】を使用すれば、普通につくもんにダメージを通せてしまう。物理攻撃無効という最大の強みが、その時点で損なわれるのだ。



「なるほど。あの少年、とことんあなたの能力とかみ合ってないわね」



「ええ、その通り。探知能力に優れ、暗殺が効かない。おまけに、治癒系の術式まで使えるから、最初の一撃で仕留め切らないと、情報を持ち帰られる危険がある。武士が戦場にて死ぬることを誉れとするのであれば、忍びは戦場より生きて戻ることを至上命題とする」



「情報の入手が最優先だもんね」



 現状、ヒーサ&ヒサコの優位性は、何と言っても情報封鎖が上手くいっているからだ。二人が同一人物だとバレておらず、その他の情報操作で二人を繋ぐ怪しい点を消しているからに他ならない。


 あくまで、二人はただの兄妹。それ以上でも以下でもあってはならないのだ。


 しかし、それを見破る可能性があるとすれば、身近にいてしかも鼻が利く二人の番犬ナルとマークであるとヒサコは睨んでいた。


 もし、同一人物説の推理が立てられてしまうと、優位性が一気に崩れてしまい、全てが水の泡になりかねない。


 そのため、二人には懐柔策や離間策を仕掛けようとしているのだが、この点では一向に効果が上がっていないのが現状なのだ。



「つまり、いずれは決着を付けないとならないんだし、本気で頼れる部下は今のところ黒犬つくもんだけ。これの強化は今後の生死に左右するかもしれないわ」



 これから先、簒奪を狙う以上、人間相手の戦いが増えることだろう。今までは騙し討ちや弁舌で切り抜けたが、これからはそうも言ってられない状況になってくるはずであった。


 立ち塞がるのは、まず考えられるのが『五星教ファイブスターズ』だ。多くの術士を抱え、影響力は絶大であり、これとの対決は避けては通れない。


 そこに、他の三大諸侯、セティ公爵家、ビージェ公爵家が加わる可能性も高い。


 戦力的には厳しい状況を強いられるだろうが、付け入る隙が無いわけではない。策を巡らし、戦力を整えて行けば、ひっくり返せる目は十分にあるのだ。



(しかし、度し難いわね、あたしは。口では平穏をと言いながら、やってることは下剋上。あの人と語り明かした夢が、なお魂を突き動かす、か)



 戦国の梟雄の頭の中には、若かりし日に世話になった斎藤道三てんちょうの顔が浮かんできた。


 油屋の店の奥で、酒を飲みながら語り合った国盗りの夢。しがない商人から身を起こし、いずれは一国一城の主になろうと夢と理想を肴に飲み明かしたあの日々が、今でも鮮明に思い浮かべることができた。


 そして、道三は美濃国を手にし、自分は大和国を手にするに至った。


 だが、それは夢幻と消え失せた。


 道三は息子の謀反により潰え、自身は道三の娘婿に矜持と言う名の魂を残して焼き尽くされた。


 それでもなお、国盗りの夢は忘れられないのだ。


 身を焦がすほどの過酷な道が待ち受けようとも、下剋上の先にある世界を見るまでは、決して立ち止まれないのだと自分に言い聞かせた。


 そう、この世界においては、“魔王”を出し抜いて、全てを手に入れるのだと。


 かつての世界では“魔王”に敗れた。だが、今回はそうはいかない。すべてを倒し、全てを奪い、そして、全てを与える。一国の主として、従う者には慈悲と悦楽を振り撒いて見せよう、と。


 そんな物騒極まる夢見心地を抱いたまま、ヒサコは部屋の窓を開けた。朝のひんやりとした空気がもやとともに漂い、なんとも清々しい気分にさせた。


 ふと庭に目をやると、門の方がガチャガチャと音がしており、重々しい鎖が取り外されようとしていた。三日間の断食行が終わり、封印が解かれる時がやって来たのだ。


 そして、門が開き、中に入って来たのは、村に滞在中に色々と世話をしてくれることになっている湯女ゆなを務めるヨナであった。



「ヨナ、おはよう!」



 窓から軽く手を振りながら入って来たヨナに声をかけると、ヨナはその場で立ち止まって恭しくヒサコに挨拶をした。



「おはようございます、ヒサコ様。三日間の断食行、お疲れ様でございました。お加減はいかがでありましょうか?」



「神様に許しを請おうと、天高く舞い上がって行ったら、どういうわけか突っ返されたわよ。返品だなんて失礼しちゃうわよ」



 冗談の一つも飛ばしてこれるとは元気な証だと、ヨナはまず安堵した。



「まあ、とにかくお腹がすいておりましょう。すぐに食事をご用意いたします」



「ありがとう。ああ、それとアイク殿下に伝言をお願いできるかしら?」



「なんとお伝えしてまいりましょうか?」



「えっとね、『三日間の断食行は終わりましたので、今宵は社交場サロンにてお会いしたい』、そう伝えといて」



 まずは、騒動の最重要人物への御機嫌取りが最優先であった。ここでさらに好感度を稼いでおけば、大きな見返りが期待できるというものだ。


 漆器の一大ブームを起こすには、強力な宣伝係がいる。第一王子であるアイクであれば、その役目は十全に果たしてくれるだろうと期待していた。


 その気持ちを知ってか知らずか、ヨナも上機嫌に笑顔を作り、了承の意味を込めて頭を下げた。


 そして、アイクへの言伝を届けるために、屋敷を出ていった。



「さて、黒き器に注がれるのは、水か、酒か、はたまた血か、何になるか楽しみだわ。欲望で満たされ、あふれるばかりの野心と言う名の溶岩が吹き上がらんことを願っておこうかしら」



 ヒサコの口より漏れ出た高笑いは、妙に響いて朝靄を消し去っていった。


 これから始まる騒乱は、自分好みの展開で終わって欲しいと思うのであった。

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