4-52 忠告! 公爵は密偵頭を気にかける!

 シガラ公爵の執務室、そこには現在、ヒーサ、トウ、ナルの三名が存在していた。色々と話し合った後、ティースとマークを先に出し、ナルだけを部屋に残したのだ。


 扉が閉まると同時にヒーサは席を立ち、ナルに歩み寄った。


 ナルは直立不動のままであるが、手は下に向けており、最大限の警戒の色を出していた。もし、妙な真似をすれば、袖口に潜ませている暗器で応戦できるよう、最大限のリラックスフォームで、この世で最も警戒するべき相手と対峙した。


 そんなナルの思惑をよそに、ヒーサはゆったりとした足取りでナルの周りをグルグル回り始めた。



「こうして、ティースを交えずにお前と話すのは初めてだったかな?」



「今朝の一件を除けば、そうなりますね。ああ、もし、私をお手付きなさるのなら、くれぐれも火傷にはご注意ください」



「おお、怖い怖い」



 わざとらしく身震いするも、足取りは止まらない。


 そして、ナルの姿を全身くまなく眺めた後、正面で足を止めた。



「ナルよ、私に仕えんか? 俸給や待遇は応相談だぞ」



 右の親指と人差し指で輪を作り、給料は弾むぞと寝返りを促した。


 だが、それに対してナルは深い溜息をで返してきた。



「それに対して私が首を縦に振るとでも?」



「思っておらんが、たしなみと言うか、社交辞令というか、そんな感じのものだ。まあ、お前を高く評価しているのは本当だぞ」



 なにしろ、ケイカ村からここまで飛んだ際、即座に黒犬つくもんの存在に気付き、踏み込んできたからだ。術が使えないにもかかわらず、あの探知能力は極めて有用であった。できれば欲しいと思ったのだが、さすがに虫が良すぎる話ではあった。


 ナルとティースの主従の絆は、そんなにすんなり断てるものではないのだ。



「では、本題に入ろう。ナル、お前の望みは、カウラ伯爵家の繁栄とティース個人の幸せ、それで間違いないか?」



「……おおむね、正しいと思っていただいてよいかと」



「ふむ、それを聞いて安心した」



 何やら納得したようで、ヒーサは何度も頷いた。


 そして、目を閉じて、少しばかり黙考した後、目を見開いて尋ねた。



「では、それを踏まえた上で、追加の質問だ。もし、そのいずれかどちらを選択しなければならなくなった時、お前はどちらを優先する?」



「そんなことは……」



「これから起こりうるから尋ねているのだ。どちらだ?」



 口調こそ物腰穏やかであるが、有無を言わさぬ強い意志が介在していることを、ナルは敏感に感じ取った。下手な回答はできないと考え、少しだけ躊躇いつつも、本心を吐き出した。



「ティース様の幸せを選択するでしょう。私はもう自分の主人が苦悩する姿を見たくありません」



 きっぱりと言い切り、そして、ヒーサを鋭い視線で睨みつけた。


 侍女風情が公爵相手にする態度ではなかったが、ここには“人目”はない。なにしろ、この部屋に留まっているのは、化け物えいゆうと、化け物かみさまと、暗殺者じぶんしかいないのだ。


 そして、その化け物こそ、すべての元凶であり、毒殺事件を引き起こした張本人であると睨んでいた。ただし、証拠は現段階では一切ないが。



「なるほど。“家”よりも、“人”を選んだか。ますます気に入った。もう一度、尋ねよう。私に仕える気はないか?」



「くどい!」



 ナルの指先が僅かに動いた。ヒーサはスカートの下に武器を隠し持っていることを知っており、その上で目の前にいることを許しているのだ。


 やってみろよ、そうナルに突き付けているわけだが、ナルはその誘惑に耐えていた。何の証拠もない状態でヒーサに危害を加えては、どう言い逃れしようとも公爵への明確な攻撃であり、その罪はティースにまで及んでしまうからだ。


 餌をぶら下げていようと、鋼の意思を以て主人のことを第一に考える。ヒーサが欲して止まぬ“忠臣”が目の前にいるのだ。


 無論、ヒーサにも忠義に篤い家臣はいる。だが、それはスキル【大徳の威】によってなされていると言ってもよい。純粋にヒーサ自身に忠義を尽くすかと言うと、正直微妙なところだ。


 しかし、目の前の侍女はそうではない。スキルや術にも依らず、主人のために尽くす覚悟を胸に抱いている。ヒーサにとってはそれが羨ましくてい方がないのだ。



「なるほど。ナルの忠義は、あくまでティース個人へ向けたものか。ならば、これ以上の無理強いは無作法であるな。詫びよう、我が嫁の忠義の士よ」



 ヒーサは軽く頭を下げた。仮にも公爵と言う高い地位にある者が、顔見知りとはいえただの侍女程度に頭を下げるなど、社会秩序的には有り得ないのだ。


 それゆえに、ナルの警戒度は更に上がるのだ。常人とは違う視点を持つ、人の皮を被った化け物、そう感じざるを得なかった。



「……では、失礼してよろしいでしょうか?」



「うむ、主人の下へ帰りたまえ。呼び止めて悪かったな」



 ヒーサの許可が出たので、ナルは頭を下げ、扉の方へと歩み寄った。



「ああ、それと、最後に言っておきたい事がある」



 ナルがドアノブに手をかけたところで、ヒーサが再び声をかけた。ナルは首だけ回して、そちらを見つめた。礼儀としてはなっていない姿勢であるが、早く離れたいという気持ちがそこににじみ出ていた。



「今、お前が吐き出した本音、消して忘れるな。ただただ、ティースの幸せだけを考えよ。そうすれば、ティースも、お前も、幸せになれる。自分の気持ちと、今の言葉を忘れるな。損なうな。時に主人の願いであろうとも、暴走したらばそれを諌めるのが臣下の務めであるとも心得よ」



「それは陪臣に向けての警告ですか?」



「いいや、知己に対しての忠告だよ」



 少しの間、その場は沈黙が続いた。互いに見つめ合い、警戒とも、考察でもない、何とも言い難い“間”がその場を支配した。


 そして、両者がニヤリと笑った。



「肝に銘じておきます」



 ナルはお辞儀もせずに扉を開け、そそくさと部屋を出ていった。


 無礼な態度に終始していたが、警戒感の表れであるとして咎めるつもりもなかった。


 そして、部屋にはヒーサとトウだけが残った。



「ねえ、ヒーサ、今のやり取りは何? ナルの警戒心を呼び起こしただけにしか見えなかったけど」



「なぁに、ティースが暴走した時の制止役、それを任せると言ったのだよ」



「暴走する、もしくは暴走させる予定でもあるの!?」



「念のためだ。これから先は、情勢が二転三転しかねん。その情勢次第によっては、カウラ伯爵家を我が公爵家から切り離そうとする輩が出てくるかもしれん。なにしろ、引っ付いたばかりで、離間の策を用いるのにはうってつけの相手であるからな」



 少なくとも、自分ならそこを狙う。そう考えていればこその予防策だ。



「優先すべきは、ティースが余計に動いて、ティース自身が損なわれることだ。ティースが生きている限りは、それを旗頭に、領地奪還の兵を起こす大義名分が立つ。少なくとも、私との間に子を設けるまでは、どれほどの混乱が起ころうとも、死んでもらっては困る」



「そうならないためにも、ナルに注意を促した、と」



「あやつは忠臣だ。しかも、家ではなく、人を選んだ。何かあれば、まずティースの安全を優先して動く。家が存続すればヨシ、とは考えないから安心してティースを任せれる」



 なにしろ、情勢不安の状況ながら、やはり欲する茶の木を求めて国境の向こう側に旅立つのだ。遠隔操作の分身体では、本体が直に動くよりも精度に差が出てしまう。


 今回のようにスキル【入替キャスティング】で戻ってこれる機会に恵まれるかも未知数なのだ。


 打てる手は打つ、ただただ慎重なのだ。



「さて、ナルに注意の種を撒いたし、次はティースに子種を撒かねばな」



「結局それかい!」



 トウは顔を真っ赤にして声を張り上げた。シリアスな場面が、たった一言でぶち壊されてしまった。好色ぶりには、毎度呆れ果てるばかりだ。



「子を成せば、状況が変わるし、ティースにも心境の変化が起こるやもしれん。復讐なんぞ忘れ、心穏やかに過ごせる機会が巡ってくればよいのだがな」



「陰謀を企てた張本人でなければ、いい台詞なんでしょうけどね。毒殺、爆殺のオンパレードだったことを考えると、どう考えても下衆の極みとしか思わないわね!」



「最高の賛辞だよ、“共犯者あいぼう”」



「もう! とっとと解消したいわ、こいつとの共犯関係。魔王、はよ出てこい」



 女神としてどうなのかと思う言葉を口にし、二人は連れ立って部屋を出ていった。


 情勢の混迷が深まる中、これから先にどうなるのかは誰にも分からない。ただ、梟雄の頭には望むべき未来図が描かれ、それに向けて邁進するのみであった。

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