4-51 自由を! 教団改革の先にあるもの!

 教団と別の三大諸侯、これを同時に相手とする。


 厳しい状況ではあるが、絶対に曲げられないと言う意思をヒーサは示した。



「それにな、これは教団の腐敗を止める最後の機会となるやもしれん」



「と、いいますと?」



「教団の腐敗は皆も知るところだ。もし、教団が現実を見る目を持っているのであれば、今回の一件は引き下がるだろう。王家を敵に回すのは、“普通”なら有り得んしな」



 あくまで、教団は王家の補助として、術士の管理や運用を任されている組織に過ぎないのだ。それが術士の独占に走り、教義などと言う余計の肉付けまで行って、いつしか歪な姿の利権団体に成り下がった。


 そのように、ヒーサは教団を見ていた。


 特権意識が傲慢を生み、その傲慢さが万能性を錯覚させ、不如意の欠落を生み出す。



(世の中、ままならぬ数多の事象が存在するというのにな。人間ごときが神仏にでもなった気でいる愚者どもよ、今に思い知らせてくれようぞ)



 どのみち、ヒーサにとっては教団は邪魔なだけであり、最低でも無力化しておく必要があった。無論、魔王と戦うことを想定した場合、腕利きの術士だけは引き抜いておく必要はあるが。



「でも、ヒーサ、教団側が普通でなかった場合は?」



 ティースはそれが不安でならなかった。特権に浸って来た者が、それをそう簡単には手放すとは思えないし、判断力の欠落を促すことにもなる。


 ヒーサの言う通り、最悪内戦を覚悟せねばならないのだ。



「底抜けのバカ者か、度し難い傲慢さの持ち主、ということになる。そうなった場合は……」



 吐き出す言葉を一旦溜めつつ、ヒーサの脳裏にかつての光景が思い浮かんできた。


 戦国の世において、寺社仏閣が炎に焼かれるなど数知れず。ヒーサの内なる松永久秀もまた、その例にもれず、数多の仏閣を焼き払い、聖職者を名乗る生臭坊主を火の中に放り込んできた。


 これからこの世界で行う教団への過激な一幕も、梟雄に言わせれば見慣れた光景であるし、それを生み出す手練手管も洗練され、実に手慣れたものなのであった。



(またやるのか。いや、やらねばならんよな。坊主なんぞ、お経を読んで、学に打ち込んでおればよいだけの存在。権力も、富も、持たせてはならん。不入の権を持つ者が余計な力を蓄えるのは、厳に慎まねばなるまい)



 躊躇いはない。すべてを焼き尽くす。むしろ、今回の一件はこちらが危機的状況に陥ったのではなく、教団側が更生する最後の機会を与えられたと思えばいいのだ。



「焼こう、神殿を。そこにいる愚者もまとめてな」



 無表情、しかも一切の抑揚のない淡々とした言葉、静かだが迫力のある気配に、それをまともに浴びた三人が引いた。


 今まで見たこともない夫の雰囲気にティースは絶句し、息苦しさから思わず心臓の辺りに手を当てた。


 マークもまた、あまりの静かな殺気に喉がカラカラになり、唾を飲み込んだ。


 ただ一人、ナルだけは特に反応を示さず、立ったまま微動だにしなかったが、内心では冷や汗をかきまくっていた。



(やはりこの男、何かがおかしい。見た目と経験が釣り合っていない。何か別なものが降りてきているのか!? 例えば、魔王、とか)



 降りてきているという点では正解であったが、ヒーサの中にいるのは戦国期の日本を七十年生き抜いた老人が入っており、決してその正体は魔王ではなかった。


 あくまで、中身は“人間”でしかないのだ。巡って来た七十年分の時間が、多少・・濃いだけでしかない。



「まあ、それはあくまで最後の手段だな。そう、『百戦百勝は善の善なる者に非ず』だ」



「なんですか、それは?」



「古の兵法の極意書に書かれた一節だ。百回戦って百回勝つのは最善ではない、ということだ。究極的には“戦わずに勝つこと”こそが、最良の勝利なのだよ。つまり、外交交渉にて、有利な結果を得られることこそ肝要なのだ」



 戦は金がかかるし、人的損失もバカに出来ない。話し合いで解決できるのであれば、それに越したことはないのだ。


 もっとも、話し合いで折り合いが付かないからこそ、戦と言うのもなくならないのが、世の習いだということも身に染みて知っているのではあるが。



「ま、あくまで最悪の中の最悪が極まってしまった場合は、国を真っ二つにした内紛になるだろうが、今回はその可能性は低いと見ている。そんなものを望んでいるのは、さすがにおるまいて」



「そう願いたいところですが、世の中、度し難いレベルのバカもいますからね」



「幸い、この場にはいないから助かっているがな」



 質は違うが、ティースも、ナルも、マークも優秀なのはヒーサも認めるところである。一応、現段階では多少の上納金徴収を行ってはいるが、特にこれと言った締め付けはしていないため、カウラ伯爵家はまだまだ元気であり、その象徴が目の前の三人なのだ。


 無論、その気になればいつでも潰せるという、余裕の表れでもあったが。



「それに、今回の騒動を気に宗教改革がなせれば、マーク、お前も大手を振って、存分に力を奮えるかもしれんのだ」



 教団の強みは、何と言っても術士の独占であり、所属する神官以外の術士は異端者として断罪される。ゆえに、現段階でマークは術が使えることを伏せておかねばならず、術の使用は慎重にならねばならなかった。


 もし、術士であることが教団にバレてしまうと、自分どころか周囲にまで悪影響が出かねないのだ。


 その縛りが無くなるのであれば、本当の実力を繰り出せることになり、より主君への忠義を働きによって示せるのだ。



「公爵様、そのような日が来るのでしょうか?」



 尋ねるマークの声も、いつになく明るい。隠れて暮らすことなく、堂々と日の下を歩き、術を使えるのは、何よりの喜びであった。



「いずれは来させるさ。そうさな、今日、お前にちょっかいかけてた白い少女が、法王にでもなればお前に自由を贈ってくれるかもな」



 これはヒーサが用意していた初期プランだ。邪魔者を消し、アスプリクを教団の頂点の据え、やり易いように作り変える。そうすれば、マークの件ももはや罪ではなくなるのだ。


 もっとも、アスプリクは法王就任など真っ平な様子であるため、今は教団の破壊ないし完全な無害化を狙っていた。


 どのみち、形は違えど、マークの自由はやって来るということだ。



「さて、一応、こちらからの話は以上だが、そちらからは何かあるか?」



「一つ朗報がありますよ」



 ティースは笑顔で嬉しそうに手を上げた。



「なんと! 前々から話していた鵞鳥の肥育が稼働を開始しました。初出荷も無事に終わりました」



「おお、確かに朗報だな」



 カウラ伯爵領では、鵞鳥の肥大肝フォアグラの量産に力を入れてきており、父親の存命中から設備を整えてきていたのだ。それがようやく完成し、出荷もできたというのだ。


 上手くこのまま定着して軌道に乗れば、伯爵領の新たな収入源として期待できる。

 収入の増加は望ましい事であり、ティースが喜ぶのも無理はなかった。父親から引き継いだ事業が、ようやく実を結びつつあるからだ。



「順調なら、そのまま続けるといい。あと、こちらにも回すように牧場長に言っておいてくれ。てか、先程から妙に浮ついていたのはそれか」



 ここでの会話の初期から妙に気持ちが前屈みになっている理由をようやく知ることができた。なにしろ、長年続けてきた事業がようやく動き出したのだ。喜ぶのも無理はないかと、ヒーサも納得した。



「王都の要人への土産にもなるし、あとヒサコの救出祝いに間に合えば上々かな」



「一生来ない方がいいんですけどね、それ」



 ヒサコの名前が出た途端に急に萎えてしまい、話終わったからと言わんばかりに席から立ち上がって、ティースは後ろの二人を率いて部屋から出ようとした。



「ああ、待て。ナルはここに残ってくれ。聞きたいことが少しある」



「え、ナルに?」



 ティースは困惑した。自分ではなくナルに残るように命じるなど、今までなかったからだ。


 どうしたものかとナルに視線を向けると、従者は頷いて応じた。



「あとからすぐに追いかけますゆえ、先に私室に向かわれてください」



 ナルがそう言うのならと、ティースはマークを連れて部屋を退出していった。


 そして、扉が閉まると同時に両者が相対する。互いに暗殺者、間合いは詰まりつつある。見ている者は侍女が一人。



(やれるか? いや、無理だな。リスクが大きすぎる)



 ナルは高ぶる気持ちを抑えつつ、ゆっくりと迫るヒーサを見つめた。


 緊迫した空気は部屋に満たされ、心臓と僅かな足音だけが妙に耳に残っていった。

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