4-47 未来絵図! これぞ久秀の野望なり!

 アスプリクと宰相ジェイクの間にある確執を知れた点は、値千金の情報であった。


 状況を利用する策がいくつも閃き、それはしっかりと頭の中に刻み付けた。


 そして、ヒーサは何食わぬ顔で話を続けた。



「ちなみに、他の二人の兄にはそういった感情は?」



「そもそも、アイク兄はケイカ村に引き籠っているから、顔を会わせるのも珍しいんだ。サーディク兄も前線に出ている事が多いから、ほとんど会わない。王都に常駐していて、総本山の情報を探っているジェイク兄だからこそ、僕は許せないんだ」



「アスプリク、こう言ってはなんだが、宰相閣下の判断はある意味では正しいのだぞ」



「それは理解できる。“今だから”理解できるんだ。三年前の、神殿に放り込まれた頃の僕が、それを納得できるとでも!?」



 アスプリクは頭が切れる。術の才能も国一番。だが、一皮むけば、愛されることを知らずに育った、十三歳の女の子でしかないのだ。


 自分の核となるものを何一つ持たず、ただ言われるがままに怪物を退治し、時に高貴なる者の好奇心をその身を以て満たしてきたのだ。


 いずれは誰かが助けてくれるのではないか、その僅かな糸を手繰りながら待っていた。


 だが、そんな者など、どこにもなかった。あるのは、どこまでも続く無間地獄であり、留まることを知らぬ絶望であった。


 気が付くと、アスプリクは泣いていた。ヒーサの手を握りながら、その上にいくつもの雫が零れ落ちていた。元々赤い目が更に赤くなり、折角の特異ながらも愛らしい顔が潰れていった。



(やれやれ、こんな弱々しい娘が、魔王などとは思えんな。いや、この世界への憤怒や絶望感が、変じて魔王を降ろす器となるやもしれんか)



 ヒーサは後ろを振り返ってみると、トウも複雑な顔をしていた。検査の結果では魔王の可能性大と出たのだが、ここへ来て少々自信が無くなって来たのだ。


 時期的にはそろそろ魔王に変じてもおかしくないのだが、一向にその兆候が見られず、判断が難しいと首を傾げた。


 ならば、普通の幸薄き女の子として接しよう。そう考えたヒーサは手を握ったまま立ち上がり、机の横をすり抜け、泣いているアスプリクをそっと抱き寄せた。


 アスプリクもこれに反応し、少し体を捻し、ヒーサの腰に手を回して抱き着いてきた。その腹に顔を埋め、ガタガタ震えながら必死でしがみ付いた。


 少しの間、ヒーサはアスプリクの頭を撫でてやり、落ち着くのを待った。そして、泣き方が落ち着くと、しがみ付く少女の手を一旦解き、そのまましゃがみ込んだ。


 しゃがみ込むと目線が同じ高さとなり、その皺くちゃになった少女の顔が目の前に現れた。誰からも愛されず、ただ利用されるだけの哀れな女の子。手を差し伸べて救ってやれるのは自分だけなのだと、ヒーサは意を決して語りかけた。



「アスプリクよ、一緒に世界を変えよう」



「一緒に……?」



「ああ、前の“商談”のときに言ったではないか。この公爵領を誰であっても大手を振って住める場所にする、と。ゆえに改めて誓おう。この地を、独立した住みよい世界に変える。そうなれば、もう誰もお前を虐げることはない。重苦しい法衣を脱ぎ捨て、自由を満喫できる」



 やって来た。本当に白馬の王子がやって来たのだ。当人は馬は黒毛だと言うし、身分はそもそも公爵なのだが、そんなことなどアスプリクにはどうでもいい事であった。


 待ちに待った十三年の年月、ようやく取り戻す切っ掛けを見つけたのだ。



「アスプリク、お前が自由になりたいように、私にもやりたいことがあるんだ」



「ヒーサのやりたい事って?」



「のんびり茶を飲むことだよ。そうさな、柔らかな日差しの下で、野点のだてでも楽しもうか。皆を誘ってな。もちろん、その中にはお前も加わってもらうぞ」



 ヒーサの頭の中には、すでに明確な未来の絵図が描かれていた。


 降り注ぐ柔らかな日差しの中、柴木で沸かす湯を注ぎ、ふすべの茶の湯を皆で飲む。漆器の重箱を用いた弁当を用意し、食事も楽しむ。あるいは、歌でも詠みながら、景色、風情に想いを寄せる。


 そこには茶を点てているヒーサがいて、茶を待つティースが、アスプリクが、その他大勢がいる。皆、苦労より解放された穏やかな面持ちを見せて。


 かつて見ることのできなかった戦国乱世の先にある世界。望むべくして手にすることのできなかった眺望。それをこの世界で実現する。それこそが、戦国の梟雄・松永久秀の野望なのだ。



(だが、道は遠い。そもそも、茶の木はまだ手に入っておらんし、栽培に適した状態にするのにどれほどの時間がかかるか分からん。茶道具の作製はまだ始まったばかりで、陶磁器と漆器の生産に目途がついたくらいだ。何より魔王、いつ現れるともしれん邪魔者の排除こそ問題だ)



 課題山積。野望実現のためには、いくつも越えねばならな山が、まだまだ存在する。だが、諦めるという文言はない。万難を排してでも実現するつもりだ。


 皆が笑って暮らせる世を、少なくともこの手で届く位置にいる者くらいは、心穏やかに過ごせる世界を築かねばならない。そうヒーサは想いを強くした。



「アスプリク、お前はもう泣く必要はない。泣くのは全てが終わり、解放された喜びの涙だけでいい。そして、その時が来たらば、一緒に喜びを分かち合おう。喜びを湯と共に碗に注ぎ、皆に回して飲むのだ」



「なんだかよく分からないけど、面白そうだね。そんな未来が来るといいな」



 ようやく泣き止み、無理やり笑顔を作ったアスプリクであったが、ヒーサは首を横に振り、少女の肩に手を置いた。



「来ると良い、ではない。来させるのだ。より良い未来が、運命とやらが目の前を素通りしそうになったら、その腕を掴んで引っ張りこむのだ、自分の前に! 掴み取ってこその勝利であり、ゆえに手にした褒美はひとしおに味わい深いのだ」



「……そうだね。ヒーサ、やっぱり君は強いな」



「いや、私は強くはないさ。強くないから、必死に策を弄して盤面を乱し、相手の隙を作り出すことに終始しているのだ。本当の強者なら、正面から堂々と押さえつけに来る」



 かつての苦い経験だ。織田信長に幾度となく仕掛けようとも、結局は勝つことができなかった。盤面を操り、包囲網を築こうとも、結局は討ち果たすにはいたらず、最後は自身を城共々炎の中に沈める結果となった。


 だが、今回こそしくじらずに、完全なる勝利を手にするのだ。


 などと考えていたら、猛烈な横槍を入れてくる者がいた。ヒーサとアスプリクのイチャイチャぶりを見せ付けられていたトウであった。


 トウはヒーサの後頭部を思い切り引っぱたき、同時にアスプリクの前に手拭いを置いて顔を拭くように促す一方、再び部屋の隅へと移動した。



「ちょっと! 好感度管理とか言ってたけど、何やってんのよ! バロメーターが限界突破して、好意どころか信奉の域に達してるわよ、あの子!」



「それは重畳。やはり、上げて落とし、それから再び上げる。結構効くな。緩急が重要であることが分かるというものよ」



 緩急などという一言で片づけれるほど、易しい行いではないのだが、それを平然とやってしまえるのが、目の前の男の恐ろしさなのだ。モラルに縛られずに平然と策を実行してしまえる精神の強さであり、同時にそれを最大限に増幅させるスキル【大徳の威】だ。


 やはりとんでもない男だと、トウは改めて思い知らされた。



「それで、これからどうするのよ?」



「これでアスプリクはちょっとやそっとのことで、私を疑わなくなった。だから、今までの“ぬるい”策ではなく、少し“きつめ”の策を実行できる」



「は? 今までの行いが“ぬるい”とな!?」



 トウは耳を疑ったが、今までのこの世界でのやりようは、戦国の梟雄の中では“ぬるい”のだそうだ。


 つまり、これからさらに悪辣な策を用いると言ってのけたに等しい。



「ああ、あの娘に言ったことは本当だぞ。のんびり野点を楽しみながら、歌でも詠む。最高ではないか。ただし、そこに参加できる人間は、“私の思惑次第”ではあるがな」



 ヒーサのその言葉に、トウは背筋を震わせた。


 望むことは平和な日常であっても、そこに至る道は血肉で舗装されている。しかも、その血肉の中に誰を混ぜるかは自分次第であり、誰でも混ざり込む可能性があると言うのだ。



「道は一本。ただし、切り開く者、整える者、歩く者、それらが同一とは限らない。もっとも、歩く者の中に、私が入っていることは絶対条件ではあるがな」



 ヒーサはポンポンとトウの肩を叩き、再びアスプリクの方へと戻っていった。


 そして、茫然と振り返り、再び娘をあやし始めた“共犯者あいぼう”の姿を見つめた。そして、思った。



(その立ち位置、私は“どこ”に含まれるのかしら?)



 トウは“人間”というものを甘く見ていたかもしれない。神として、まだまだ未熟であることを思い知らされたのだ。

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