4-33 器! それは全てを受け入れる覚悟の証!(2)

 見学者達の目の輝きを見れば、成功を収めたと言う点では疑いようもなかった。


 現場を預かって来た工房責任者として、これに勝る反応はなった。



「では、作業工程をお見せしましょう」



 工房長がそう言うと、皆もそれに従って村はずれの森までやって来た。


 何人かの作業員が何やらせっせと木に刃物で横線を入れているのが見えた。



「こちらでは、“うるし”の木から、樹液を採取を採取しております。先程皆さんがご覧になられました黒は、これが大元になります」



「へぇ~。あの見たことがない黒は、樹液が元になっていたのか」



 アスプリクが興味深そうに眺め、じっくり見ようと近寄ると、ヒーサがそれをとどめるべく、優しく肩を掴んだ。



「それ以上は近寄らない方がいい。“うるし”は人の体には毒だ。下手に近付くと、肌がやられる。ゆえに、これが“囚人”のお仕事と言うわけだ」



 よく見ると、樹液採取を行っている者は、腕に赤っぽい腕章を巻いていた。他の作業場ではいなかった目印を見せ付けていた。


 つまり、肌の荒れやすい一番きつい作業を、囚人にやらせているということだ。


 慣れればそこまでかぶれるようなこともないが、今は速度重視の作業をしているため、危険度が高い。そのための囚人との司法取引なのであった。



「刑期短縮の代償が、肌荒れと言うわけね。まあ、確かに痛くてかゆそうだわ」



 ティースは荒れている肌の採取作業の従事者を見ながら納得した。自分なら、絶対に真っ平御免な作業と言えた。あの黒には魅力を感じるが、自分が作るとなるとまたそれは別の話であった。



「次に採取してごみを取り除いた樹液を下地として塗る。珪藻土ダイアトマイトを混ぜて粘りを加え、これを何度も塗り、そして乾かす。これの繰り返しでございます」



 工房長の説明の通り、職人達が何度もうるしを塗っては乾かす作業を繰り返していた。器の表面も、内側も丹念に塗られていき、木製の器がいつしか先程の“漆黒”に満たされていた。



「そして、ここからが絵付けにございます。乾いたうるしの層の彫刻刀で少しばかり削り、再びうるしを塗って余分なうるしを拭います。そして、金粉を撒き、それを拭き取りますと……」



「わ、すごい! 金色の絵図が飛び出てきた! そっか、掘った部分に金粉が入り込んで、絵になったってことね!」



「左様でございます。掘った溝に入り込んだうるしが結着材となり、金粉が定着するというわけです」



「こんなやり方があるんだ」



 ティースの目には、まるで魔術でも使われたような錯覚に陥るほどの衝撃を受けた。今まで芸術品を何度も見てきたが、目の前の漆器は明らかに異質な物だと感じた。それほどまでに一線を画した姿を、目の前に見せつけているのだ。


 ヒーサは出来上がった漆器の杯を一つ掴み、それをナルに差し出した。


 突然のことにナルは驚きはしたものの、それを受け取り、じっとそれを見つめた。



「さて、ナル、職業柄、それなりの目利きもできると思うが、こいつは売れると思うかね?」



 ヒーサの表情は真剣そのものであり、ナルはちゃんとした評価を下さねばならないと、じっくりと手にした黒い器を眺めた、



「売れ……ますね。今までの工芸品とは明らかに存在する世界が違います。そのような感じです。欲しがる者はいくらでもおりましょう」



 凝った造りの食器の類を、ナルは何度も見てきているし、価値あるものだと認識していたが、目の前の器はその遥か上を行っていた。


 芸術品に飲み物を注ぐ、そう表現すべき器が今、自分の手の中に納まっているのだ。



「ナルにそう言ってもらえるのは嬉しい限りだよ。最高の賛辞だな。だが、それだけではないぞ。工房長、完成した“あれ”を持ってきてくれ」



 工房長が駆け足で離れ、それから程なくして黒いお盆を持って戻って来た。色艶から、そのお盆も漆塗りが施されているのは、誰の目にも分かった。


 だが、見せつけられた絵面が、これまた異次元の存在であった。


 工房長がお盆を見せると、その表面には、光沢のある藤の花が描かれていたのだ。


 全員が言葉を失った。あまりの美しさに見惚れてしまい、誰も言葉として表現することができなかったのだ。


 そんな驚く皆をしり目に、ヒーサはナルから椀を返してもらい、それをお盆の上に載せた。



「うむ、漆器の杯と盆の完成だな」



 ヒーサは満足そうに頷いた。


 混じりなき純粋な黒、そこに浮かび上がる金、あるいは光沢の花。夢でも見ているのかと思うほどの、調和のとれた美しさが目の前に現れたのだ。



「え、ちょ、え? これが、杯と、盆、ですって?」



「そうだよ、ティース。あ、ちなみに、お盆の方は、螺鈿らでんという技法を用いてある。光沢のある貝殻の内側を型抜きして、張り付けてあるのだ。その上からうるしを塗って、磨いて、それを繰り返し、そして出来上がる。黒地に光沢、なかなか映えるだろう?」



 口ではサラッと言うが、映えるなどという言葉すら表現として弱く感じるほどの出来栄えが、皆の前に現れた。黒、そこに浮かび上がる金や光沢の輝き、今まで見たことのない別世界の味わいだ。


 ヒーサは漆器の盆と杯の組み合わせを掴み、そして、再びなるに差し出した。ナルは震える手でそれを受け取ると、カタカタと盆と杯が音を上げ始めた。



「さて、ナル、今一度聞こう。それは売れるかね?」



「売れるどころの話ではありません。奪い合いになりますよ、これは」



「これ以上にない評価だな」



 勝利を確信した満面の笑みを浮かべ、ヒーサは満足げに頷いた。


 ヒーサはナルからお盆を受け取り、改めてそれを皆の前に差し出した。やはり美しい、それが皆の偽らざる本音のようで、誰しもがその輝きに見惚れた。



「これが公爵領で手掛ける新事業“漆器作り”だ。この装飾の施した黒き器を売り捌く。さあ、気張るがいい、工房で働く者達よ! 特別報奨金を出してやるぞ!」



 威勢のいいヒーサの掛け声に、工房村のあちこちから拍手と歓声が上がった。気前のいい主君には、誰しもが歓迎する物だ。



「よし、まずはこれをアイク殿下に贈ろう。宣伝のためにもな」



「アイク兄なら、多分ひっくり返るぞ〜」



「それが狙いだよ、アスプリク。殿下の感性を刺激して差し上げるのだ。負けじと、窯場で良き陶磁器を生み出すことに必死になるだろうさ」



 ヒサコ視点でアイクと言う人物を観察してきたが、芸術に関しては非常にこだわりの強い。それでいて柔軟な思考の持ち主だと判断した。


 この逸品を見せられては、病弱な体に鞭を打ってでも釣り合う作品を生み出さねば、気が済まないだろうと予想を付けた。奮起してくれれば、茶器の作成に近付くこととなる。


 ヒーサにとっては、貴重な完成したばかりの漆器セットを贈るくらい、後々のリターンを考えれば安いものであった。



「さらには、国王陛下や法王聖下にも献上する。フフッ、側近共がこれを見れば、欲しくなるだろうよ。そこで値段を吊り上げる」



 漆器の事業には勝ちが見えた。ヒーサはそう判断するだけの実感を、周囲の視線から感じ取った。


 特に芸術に入れ込んでいるわけでもない面々にもかかわらず、これほどまでに惹き付けられたのだ。目の肥えた貴族相手であろうとも、間違いなく大金をせしめるだけの力がこの器にはあった。



「いいか、皆、よく聞け。この器は私自身だ。華やかで、皆を楽しませ、全てを受け入れる。そんな世界を作りたい。だから、お前達も力を貸してくれ。決して、悪いようにはしない。むしろ、いい夢を見させてやろう!」



「「お~!」」



 ヒーサの呼びかけに、思わず声を張り上げながら拳を振り上げたのだ。ティースも、アスプリクも、普段は素っ気ないマークまで、それに加わった。


 戦国日本よりもたらされた漆器と言う新しい文化には、皆を酔わせるだけの魔力を秘めている、その証左と言えよう。


 それほどまでの目の前の“漆黒”は魅力的であった。

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