4-27 乱入者!? 轟音と共に扉は吹き飛ぶ!

 診療所は屋敷を出た時から、何も変わってはいなかった。さすがにまだ半月程度留守にしただけであったので、変わりようがないとも言えるが。


 開店休業状態とはいえ、手入れはされており、埃一つない状態に整えられていた。


 そして、意識がはっきりすると、まずは鏡で自分の姿を確認した。入れ替わったのであるから、当然ヒサコからヒーサへと変わっており、体の具合も問題なく動かせた。


 また、本体がヒサコからヒーサに変わったということは、ケイカ村にいるヒサコの方が分身体であり、そちらとも意識はしっかりと繋がっていた。


 そうしていくつかの確認作業をしていると、すぐ横に気配が現れた。当然、追っかけてきたテアだ。


 そして、そのテアに抱えられている格好で、黒い仔犬の姿も確認できた。



「お、動作確認の結果は良好のようだな」



 つくもんが付いて来れるかのテストであったが、どうやら無事にテアと共に飛んでこれたようだ。



「ということは、私が抱えられる程度であれば、荷物の運搬も可能、ということでしょうね」



「そのようだな。連射ができないのは欠点であるが、これなら【入替キャスリング】も使い様はあると言うことだ」



 ひとまずは満足する結果に二人は喜んだ。


 だが、それもすぐに終わりを告げた。誰かがこの診療所に向かって駆け込んでくる気配を感じたからだ。それもかなり殺気立っていると感じた。



(まずい!)



 それを感じた瞬間、ヒーサは即座に動いた。テアから仔犬つくもんを取り上げると、窓を開けてそれを放り投げた。



(つくもん! 少し離れて、気配を消して待機しろ!)



 ヒーサは思念を飛ばすと、仔犬つくもんから了解したと思しき反応が返って来て、そのままどこかへ消えてしまった。


 また、テアもそうした動きに察して、素早く変身した。


 長い緑髪は短めの赤髪となり、胸部も豊満なものが断崖絶壁へと変じた。御前聴取以来久方ぶりの別の姿であるトウになったのだ。


 それから僅かに遅れて、慎重かつ素早く診療所の扉が蹴破られた。豪快に扉が破壊され、そこに立っている人物を視認した時、ヒーサは冷や汗をかいた。


 他でもない。妻たるティースの侍女にして、カウラ伯爵家の密偵頭のナルであった。


 両手に投擲用と思しき短剣を装備し、蹴破ったものの中には入ってこずに警戒していた。



「うおぉい、ナル、何事だ!?」



 ヒーサはいきなり蹴破られたことに驚きつつ、平静を装った。



(危ないな~。こっちを見張ってたのか。やはり、分身体では、本体と比べて感知能力に差が出るか)



 近くに潜んでいたナルの存在に気付かずに入れ替わったのは失策であった。だが、タネは見られなかったし、つくもんは逃がした。テアも姿を変えて、トウになったし、ごまかしようはあった。



「今、とんでもない“圧”が診療所内から感じられましたが!?」



「え、どこどこ?」



 鬼気迫るナルに対し、ヒーサはすっとぼけた対応を取った。キョロキョロとわざとらしく辺りを見回し、焦りや困惑を見せ付け、しらを切った。



(つくもんの気配を察したのか。こりゃ、こいつの前では迂闊につくもんは出せんか)



 ナル自身には術を使う能力はないが、探知能力に関しては密偵頭という職業柄、極めて優れた物を持っていた。つくもんは姿も気配も消してもらわなくては、すぐに察知されるとヒーサは判断した。


 そんなとぼけたヒーサをよそに、ナルがようやく診療所内に入ってきた。つくもんの気配が消えたため、安心半分、不安半分といった警戒度高めの状態であった。


 奥の薬品庫や入院施設にも目を通したが、何もないためナルは素直にヒーサに謝した。



「申し訳ございませんでした、公爵閣下。何かを感じ取ったつもりでしたが、こちらの気のせいであったようです」



 公爵の私的な空間に侍女が許しもなく武器を装備したまま入ってきたうえに、扉まで破壊してしまったのだ。本来なら厳重な処罰も当然なのだが、気の良い君主を演じるために、ヒーサは笑って流すことにした。



「いや、構わんよ。大方、こいつの気配を察したのだろうよ。何せ、お前が私を監視していたのにもかかわらず、それを出し抜いてしまったわけだからな」



 ヒーサはトウの肩をポンポン叩いて笑い始めた。


 その点は、ナルにとっての失策であった。


 現在、ナルとその義弟であるマークは、仕事の合間合間に情報収集に当たっていた。公爵領内の情報は今や行政秘書官となったティース経由でもたらされており、そこから怪しい数字や気になる事象を引っ張り出してきては、その調査を行っていた。


 少しでも毒殺事件の真相を探るための努力であり、一切の手掛かりもないため、ほとんどしらみつぶしに近い状態だ。


 そして、もう一つはヒーサの監視だ。ティースはすっかり骨抜きにされ、ヒーサに関しては事件に巻き込まれただけで、関わっていないのではと思うようになっていたが、ナルはヒーサこそ事件の首謀者、少なくとも共犯者であると見ていた。


 そのため、ヒーサの監視、特に誰も伴わない単独行動中は要注意だと考えていた。


 そして現在、そうした事情もあって、いきなり現れた診療所内の気配に驚いて踏み込んできたのだ。



「お久しぶりですね。ええっと、御前聴取のとき以来でしょうか?」



 トウはにっこりと微笑み、ナルに話しかけたが、ナルとしては警戒を解くわけにはいかなかった。気配も感じさせずに屋敷内に侵入してくるなど、尋常な存在ではないからだ。



「ああ、そう言えば、まだ紹介していなかったな。こいつはトウ、立場はお前と同じく、侍女だよ。“ヒサコ”の侍女だ。今は連絡要員として、方々に走り回ってもらっている」



 ナルとしてはヒーサの説明を全面的に信じるつもりはなかったが、現段階ではもっとも筋の通った説明であり、信じるよりなかった。



(でも、そうなると、こちらの監視の目を潜り抜けたうえで、わざと気配を出して知らせたことになる。訳が分からないわ。おちょくってるの!?)



 ナルは警戒しつつも、武器を納め、改めて謝罪しつつ、トウにも軽く会釈して挨拶した。



「お久しぶり、と言うべきかしら、トウさん。私はティース様の身の回りの世話をしておりますナルです。よろしく」



「はい、こちらこそよろしくですわ、密偵頭のナルさん」



 早速牽制か、とナルは判断した。裏の事情を知っていると言うことは、やはり目の前の侍女も自分と同じく“裏”の顔を持っている。厄介な相手がまだ潜んでいたと、ナルは心の中で舌打ちした。


 トウとしても、自分に警戒心を向けさせる事で、つくもんの存在を秘匿する狙いがあった。先程の禍々しい気配は自分が発したものだ、それを誇示するためにあえて分かりやすい牽制を入れた。


 そんな二人の言葉の裏を読み解きつつ、ヒーサはあくまでとぼけるつもりでいた。



「やれやれ、それほど使っていなかったとはいえ、ぼろくなっていたのかな。女の足蹴で吹っ飛ばされるような、脆い造りになっていようとは。次は今少し頑丈な扉を用意するとしよう」



 倒れた扉を壁に立てかけ、苦笑いをするヒーサ。どこまでも“お優しい領主”で通すことにしているのだ。そう“人前”では。


 そこへ今度はティースが駆け込んできたのだ。扉を蹴破る轟音を聞きつけて慌ててやって来たのか、その息は荒かった。



「何事ですか、これは!?」



 なにしろ、ティースの目に飛び込んできた光景には、情報が多すぎたのだ。蹴破られた扉、にもかかわらず平然としている夫、明らかに警戒している自分の侍女、そして、見覚えのある女性、一度に頭の中で処理するには、状況が複雑すぎた。



「なぁに、ナルが豪快に扉を蹴り開けただけだよ。トウがこっそり入ってきたことに気付いてな」



「そ、それはなんとも……。ご迷惑おかけしました」



 ティースも説明を聞いて全部を納得したわけではなかったが、それでも状況の説明にはなっていたので、部下の不始末を詫びねばならず、ヒーサに頭を下げた。



「いや、構わんよ。私も薬を取りに診療所へ来てみれば、いきなり登場だからな。毎度毎度心臓に悪い、こいつの登場は」



「申し訳ございません、公爵閣下。なにぶん、私の特技と言えば【瞬間移動テレポーテーション】程度でございますので」



 トウの演技もわざとらしかったが、今はつくもんの存在を忘れてもらわねばならないため、演技過剰と思われても構わないと判断したのだ。


 それについてはヒーサも同じようで、牽制の意味も込めてナルにニヤリと笑みを見せた。


 そして、そのナルは自身の背筋が凍り付くのを感じ取った。



「【瞬間移動テレポーテーション】ですって!? 伝説の時代に存在したとされる失伝魔術ロスト・マジックをどうして使えるの!?」



 ナルの驚愕ぶりも当然であったが、神様だからです、とはさすがに答えられなかった。


 とんでもない手札が晒され、ナルは愕然となった。本当に【瞬間移動テレポーテーション】が使えるとなると、一気に不利になる点が多すぎるのだ。


 例えば、現在大きく離れて行動を取っているヒーサとヒサコが、時間差タイムラグなしで情報の交換ができてしまうと言う点だ。


 情報こそすべての根幹であると考える密偵頭としては、圧倒的速度で情報のやり取りができることが、あまりにも大きすぎる差が出ると判断したのだ。


 離れていようと、リアルタイムでの情報交換ができる。それが相手にはできて自分にはできない。あまりに不利な状況に、ナルは戦々恐々であった。



「神の加護、と言うか、あるいは呪い、とでも言うか。色々とあってな。様々な制約をかけられている。その代償として使える、というわけだ」



 ヒーサはそう説明したが、加護どころか神様そのものです、とはさすがに言えるわけがなかった。


 なお、降臨中の女神は制約が課せられているため、全てが全て嘘と言うわけでもなかった。



「へぇ~、便利な上に凄いですね。私も使えたら、自領との往復に使えるのにな~」



 のんきな感想を述べたのはティースであった。基本的には聡明なのだが、妙な所で抜けてしまうのが玉に瑕であり、その点はどうにかならないものかと、いつもナルが気を揉んでいた。

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