3-42 名物! それは得難いお宝である!

 街道を進む馬車の中、ヒサコは至って上機嫌であった。


 戦国の梟雄には、まだ見ぬお宝の山に胸躍らせ、上機嫌に鼻を鳴らしていた。



「ああ~、早く会いたい、珠玉の山よ。それに、茶器。茶の種が手に入っても、道具がなくては、いまいちおもむきに欠ける。屋敷にある木椀じゃね~」



「そうね。あなたのいた時代って、お茶の道具、めちゃくちゃ高額だったものね」



「そうね。良き品は“名物”って呼ばれて、珍重されたもの。中でも信長うつけに命と引き換えに渡した『九十九髪茄子つくもかみなす茶入』は大名物と呼ばれていたわ。伊勢物語の一節、『百年に一年足らぬつくもがみ我を恋ふらし面影に見ゆ』が名前の由来で、釉薬ゆうやくの付け方がいまいちで地肌が出たところが、完全を表す“百”に足りぬ“九十九つくも”なりと、名付けられたそうよ」



 かつて手にした思い出の品を語り出し、テアがチラリと御者台からヒサコに視線を向けると、普段は決して見せない恍惚とした表情を浮かべていた。


 悪辣極まる策謀を繰り広げる梟雄の姿はどこにもなく、名物、茶文化を愛してやまぬ文化人の姿がそこにはあった。


 実際、スラスラ名物の由来、経緯を述べるあたり、相当な数奇者だと感じさせた。



「にしても、お茶の入れ物一つで、命を助けるなんて、信長も寛大よね~」



「バカ言わないでよ。あの茶入、銭一千貫で手に入れた“大名物”よ。信長うつけにはその茶入と名刀『薬研通吉光やげんどおしよしみつ』を差し出して、やっと命繋いだんだから!」



「銭一千貫ってどのくらい?」



「城が建つ」



 シレッと言ってのけるヒサコであったが、その内容にテアは目を丸くして驚いた。



「茶入の壺だから、手のひらに乗るようなちっちゃい壺でしょ!? そんな小さな壺一つに、お城と同等の価値が!?」



「名物ゆえ、致し方なし。その品の由来、経歴が“箔”を付け、価値を高める。新物あらものにはない凄味があるの。それゆえの高額取引よ」



「だからって、城一つ……」



 あまりに違う価値観の差に茫然としているテアに対し、ヒサコは身を起こして御者台の方に身を乗り出した。そして、ジッとテアを見つめてきた。



「いい? 『九十九髪茄子茶入』は唐土もろこしからの渡来品で、最初は『日本国王』足利義満公が所蔵していたわ。その後、足利家に代々伝えられ、義政の代に山名家へ移り、次いで越前国の朝倉宗滴あさくらそうてき殿が手に入れたのよ」



「結構渡り歩いていってるわね」



「んで、宗滴殿が軍資金のために質入れしてたのを、陣没して質草が流れた際に買い取った、ていうのが手にした経緯ね」



「おやおやそれはなん言うか、ドラマティックな出会いで」



「分かる? そうした経緯由来を知るからこそ、茶席での会話が弾むのよ。茶室の中は言わば邪魔者のいない閉鎖空間。もてなす主人と、もてなされる客人方しかいない。さりげなく見せる“名物”で話を弾ませ、詫びた風情の中に華を咲かせるのが“きょう”というものなの」



「な、なるほど……」



「それをあの信長うつけめ、命永らえるために差し出したのがいけなかった。茶器の価値に気付かせてしまったのが、あたしの大失策だったわ。それから憑りつかれたように畿内で“名物狩り”を始めてしまって、茶器が更に高騰。反逆者の罪をあがなったほどの名器がある。名物一つで許されるなんて風潮まで生まれて、誰もがこぞって名物を欲するようになってしまった。愛蔵するのではなく、“命綱”としての価値が値を押し上げた。あんな醜悪な状態を生み出したのは、間違いなくあたし。助長したのは魔王。ああ、本当に憎ったらしいわ!」



 ヒサコは拳を振り下ろし、荷馬車の縁に叩き付けた。これほど怒りをあらわに知るなど珍しく、それほどまでに元いた世界の“魔王”を嫌っていたのだと、テアは感じた。



「何度もあいつを倒そうとしたけど、ダメだった。長大な包囲網を築き、閉じ込めて袋叩きにするはずなのに、いつもすり抜けられた。肝心要なときに役に立たない包囲者達め。特に朝倉が悪い! 宗滴殿があと十五年ほど生きながらえていたら、信長うつけがああもつけ上がることも事もなかったのに」



「でも、その宗滴って人、結構なご高齢でしょ? それをあと十五年って」



「そうね。たしか生まれが文明九年(西暦一四七七年)で、加賀国での陣中で倒れたのが天文二十四年(西暦一五五五年)だから、齢七十八かな」



「それをあと十五年は無理でしょ」



 戦国期の医療レベル、生活レベルでは、七十代すらかなり長生きの部類に入る。それをさらに十五年も重ねろとは、さすがに無茶ぶりであった。


 しかし、ヒサコは首を横に振った。



「肥前の龍造寺家兼は謀反の嫌疑をかけられ一族郎党皆殺しに会い、最終的に報復して御家再興を果たしたときは、九十過ぎていたわよ。九十超えても鎧甲冑を着て、戦場にも出てたって」



「元気すぎやしませんか、そのお爺ちゃん!?」



「まあ、一族皆殺しの恨みつらみがそうさせたのかもしれないわね。ティースにはそうなって欲しくないけど」



「付け火して回った放火魔の戯言が聞こえるわね」



 テアの嫌味も当然であった。なにしろ、シガラ公爵家、カウラ伯爵家の中がめちゃくちゃになったのも、すべてはヒーサ、ヒサコ兄妹の謀略によるものであり、二人の中身である戦国の梟雄の仕業に他ならなかった。


 ティースはまだ犯人捜しを諦めてはいなさそうだが、まさか自分の夫が義妹を使って全部やりましたとは考えていなかった。疑ってはいたのだが、ヒーサの芝居の数々にまんまと騙され、疑惑の矛先はヒサコに向いており、捜査はまず解決不可能なほどに難航していた。



「このまま、順調に騙し切れるといいんだけどね」



「まだなにか、不安はあるの?」



「完璧にやったつもりでも、思わぬほころびは出てしまうものよ。さっきも言った信長包囲網だって、あれだけの数を揃えて取り囲んでも、押し返されたもの。そう、朝倉! 宗滴殿がいなくなってから、一気に弱くなったから、あの田舎侍達!」



「ワンマン経営の成れの果てよね~。次代を担える人材がいないと、すぐに弱体化するなんて、良くある話じゃない」



「まったくね。家督相続、お家騒動で衰えたり潰えたりした家の多い事!」



 実際、そうした現場を数多く見てきた者として、納得せざるを得なかった。


 戦国時代を到来させた『応仁の乱』も、将軍家の家督争いに、各地の大名の思惑や利害からの対立が加わって、誰も収拾が付けれなくなって全国規模に乱が拡大していった経緯がある。


 あの時代を生きてきた者にとっては、代替わりは家の盛衰を決しかねない最大関心事なのだ。



「でも、ヒサヒデがそんなにべた褒めなんてのも珍しいし、宗滴って人、めちゃくちゃ強かったのね」



「そりゃもう。なにしろ、僅か八千騎で、三十万の野戦軍を蹴散らし、そのまま敵拠点を陥落させたりしたからね」



「うん、頭おかしい。数が合わないわよ」



「朝倉家全般を取り仕切り、実質的な当主って感じかしら。強い上に文化にも明るく、鷹の人工繁殖まで手掛けていたそうよ。そして、宗滴殿の残した言葉、『武者は犬ともいへ、畜生ともいへ、勝つことが本にて候』ね。要は武士なら、勝つことこそが本分ってこと!」



「その結果があの有様……」



 テアは戦国の梟雄に振り回されたここ一ヵ月の出来事を思い出し、頭が痛くなってきた。犬畜生と呼ばれようとも、勝つことを選んだ結果が今の状況なのだ。


 テアは余計な言葉を残してくれたものだと、会ったこともない英傑を恨んだ。



「でもさ、ヒサヒデ、もし宗滴って人が長生きしたら、『九十九髪茄子茶入』が質流れしないことになるから、ヒサヒデ的には危なくない?」



「あぁ~、そういう結果が出てくるかもしれないのか。それは困る。あれを差し出したからこそ、信長うつけにひとまずは殺されずに済んだのに、命綱を失うのはマズいわね。かと言って、差し出す価値のある名物となると、『古天明平蜘蛛茶釜』しか……」



 そこでふと思い出したのか、ヒサコはテアの両肩に手を置いた。あまりに恐ろしい気配を放ち始めたため、テアは思わず身震いした。



「ねぇ、女神テアニン、あたしの大事な平蜘蛛、まだ見つからないのかしら?」



「う、ええぇっとですね、そ、その、まだ、です、はい。まだ見つかってません! 友人に探してもらってるけど、まだ何の連絡もないから、まだだと思います!」



「ふぅ~ん、そうなんだぁ」



 ヒサコは手に少し力を込め、テアの肩を揉み始めた。気持ちよくなどない。殺気すら含まれた鬼気迫る雰囲気だけが立ちこめ、周囲ののどかな田園風景に似つかわしくない気配がのしかかってきた。



「さっきの説明で~、分かっていると思うけど~、平蜘蛛は九十九髪と比肩できるほどの大名物なの。つまり、女神様は城一つ、ポイ捨てしたってことなの。分かるわよね?」



「分かります! 分かりますから!」



「もし、この仕事が終わって、平蜘蛛が見つかってなかったら、どうなると思います?」



「ど、どうなるんでしょうか?」



 茶釜ポイ捨ての件は完全にテアが悪いため、あらゆる言い訳が通用しないのだ。とにかく、穏便に済ましてほしいと思いつつ、ヒサコの言葉をゴクリと息を飲みながら待った。


 そして、きっぱりと一言。



「体で払ってもらうから」



「ひぃぃぃ!」



 予想していた回答ではあったが、実際に口に出され、しかも耳元で囁かれるのは強烈であった。



「もちろん、拒否権はないからね。非はそちらにあるんだし」



「が、頑張って探させますから! 仕事終わりまでには見つけますから!」



 泣きそうな女神をおちょくるかのように、ヒサコの指先がテアの首筋を滑り落ち、あるいは駆け上がっては、その奇麗な柔肌を刺激した。


 まるで、蛇にでも絡み取られたかのように異様な寒気を感じ、テアの体がビクッと跳ねた。



「あ、ちなみに、男の体でなぶられるのと、女の体でもてあそばれるのと、どっちが好みかしら?」



「ちょっと! 何言ってんのよ!?」



「いやぁ~、なんて言うか、この前さぁ、ティースとの結婚初夜の時、女の体でティースを貪ったじゃない? あれはあれで“乙”な感じだったから、それはそれで面白かろうと」



「なんか、ティースだけじゃなくて、あなたも妙な悦びに“目覚めて”ない!?」



「かもね!」



 どちらにしろ、男であれ、女であれ、加虐的な所作には変わりがなかった。



(お願いぃぃぃ! 魔王じゃないけど、誰かこいつを退治してぇぇぇ!)



 テアはビクビク震えながら、どこからつまみ食いをしようかと品定めする後ろの“共犯者あいぼう”を手で押し返そうと必死になっていた。


 かくして、悪役令嬢(中身は七十爺)と女神(見習い)による、お茶を求める旅は順調とは言い難い滑り出しとなった。


 だが、女神はたった一つだけ、確信していることがあった。


 それは“絶対にろくでもないことになる”という点だ。


 おそらくは、妖精族を巻き込んだ、一大騒乱が待ち受けていることだろう。


 ただ、それが世界の根幹を揺るがすほどの大惨事にならないことを願うよりなかった。


 そんな思いを乗せ、欲望を詰め込んだ馬車が街道をゆっくりと進んでいくのであった。



         【第3章『新婚生活』・完】

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