3-29 即答!? 嫁と妹、どっちが大事だ!?

 ヒサコからの手紙はあまりにもひどい内容であった。


 ティースは手紙をくしゃくしゃに丸め、床に叩き付けた。



「なんですか、これは!?」



「なんだと言われても、困るのだがな。封書の中身は確認しておらんし」



 実際、封書には封がなされていたので、ヒーサが中身を見ていないことは明白であったので、その説明でティースは引き下がった。


 なお、ヒサコの手紙はヒーサが書いた物のため、中身を確認するまでもなく知っていたのだが。



「やっぱり我慢なりませんわ、ヒサコは!」



「気持ちは分からんでもないが、証拠がないと罪には問えんぞ。それと、周囲の目もあるということを忘れない方がいい」



 ヒーサの指摘通り、食堂には何人もの給仕がいた。怪訝な表情でティースを見ている者もおり、ここで騒ぎ立てるのは、明らかに良からぬ噂を呼ぶことになりそうであった。


 ティースは一度深呼吸をしてから気持ちを落ち着け、それから改めてヒーサを見つめた。



「ヒーサ、はっきりとお伺いしてきたいのですが、ヒサコって本当にヒーサの妹なんですか?」



「ああ。顔がそっくりだし、妹なんだろうな」



「なんだろうなって、また曖昧な……」



「父の隠し子であるし、ひっそり育てられたからな。前からの顔馴染みではあったが、妹だと知ったのはつい最近だ」



「ああ、そうでしたわね。中身の歪みがひどいものですから、とても兄妹には見えませんでしたもの」



「ひどい言い様ではあるが、的外れでもないのが辛いところだな」



 実際、ヒーサの名君としての立ち位置を強化するために、悪事をすべて引き受けてもらうために生み出したのが、“悪役令嬢”たるヒサコなのだ。


 悪役こそ、ヒサコの存在意義であり、すべてはヒーサのためだけに作り出した操り人形だ。


 むしろ、こうしてティースに恨まれ、ナルに睨まれて、その存在意義を遺憾なく発揮しているのは、ヒーサにとっては喜ばしい事でもあった。



「ヒサコはな、本来なら私の妹として、この屋敷に住み、煌びやかなドレスに身を包み、公爵家の令嬢として蝶よ花よと育てられてもおかしくはなかったのだ。だが、庶子という立場もあって、隠されて育てられたのだ。私としても、その点では負い目がある」



「気持ちは分かりますが、あまりに自由にさせ過ぎでは!? 被害が拡大してからでは遅いのですよ!」



「ところが、不思議と家中の者からは苦情が来ていないのだがな」



「ええ!? そうなんですか!?」



 ヒサコがいきなりヒーサの妹であると告げられた時は、さすがに家中で大騒ぎとなった。真面目な先代がまさか隠し子を作っていたなど、古株であればあるほど信じられないという反応だった。


 しかし、顔はヒーサによく似ているし、本当なのかもしれないということで表面上は落ち着いた。なにより、新当主であるヒーサが妹であると認めたのである。その事実の方が重要であった。


 その後は屋敷で暮らすこととなったが、どういうことか“姿が見えない”ことが多く、どこで何をしているのかが分からないため、家中の者達もその扱いやお世話という点で困惑しっぱなしであった。


 自由にさせてやれ、というヒーサの命に従い、ヒサコには付かず離れずの態度を取っていた。同じ屋敷にいるはずなのに接点がなさ過ぎたため、どう接するべきか距離感が掴めず、苦情の出しようがないのであった。


 実際、ヒサコは屋敷の人々には何もしていないため、問題にはなっていなかった。


 あくまで、ヒサコはヒーサのために動いており、その手にかけたのは、父、兄、義父、その従者達であって、仕掛ける相手と時期をしっかり選んでいるだけであった。



「ヒーサ、正直に言いますと、ヒサコと一つ屋根の下、同じ空間にいることに耐えられそうにないのですが」



「そこまで嫌か。まあ、さもありなんとしか言えないのも事実だがな」



「呑気な台詞を吐かないでください! ヒーサにとって、私とヒサコ、どっちが大事なのですか!?」



「当然、ティースだな、その選択だと」



「ふぇぇぇ……?」



 予想外過ぎる即答に、ティースは怒りの矛先を失い、思わず呆けた声を吐き出してしまった。


 こういう場面でなら、気の強い者同士の嫁と小姑の大喧嘩で、夫がその板挟み、というのが相場である。どこの世界でも起こりうる、ありふれた家庭内の風景だ。


 ところが、ヒーサは妹ヒサコよりも、妻ティースの方が大事だと“即答”で答えたのである。


 それゆえに、ティースは反応に困り、振り上げた拳の降ろし時を逸してしまった。



「ティース、私は王都の大聖堂において、五星の神々に妻を生涯愛すると誓いを立てたのだ。それからさほど月日も経っていないのに約を違えるなど、公爵家の信用に関わるというものだ。ヒサコに対しては、妹として扱うとは言ったが、それ以上のことは約束しておらんからな」



「そ、そう言っていただけるのは嬉しいですが」



 ティースの顔は真っ赤だ。どう返すべきかの言葉が思い浮かばず、初恋の少女を思わせるなんとも歯がゆくも煮え切らない姿であった。


 目の前の夫はとても優しく温和で、自分のことを大切に思ってくれている。現に、ヒサコとの諍いにおいては、自分の方に重きを置くと即答してくれた。女として、妻として、これほど喜ばしいことはなかった。


 その一方で、長く自分に仕えてくれている侍女にして密偵頭のナルは、あれは演技だ、としつこいくらい釘を刺してくるのだ。当然、彼女の言をばっさり切り捨てることもできずにいた。


 魅力的な夫、罠だと警告する従者、この板挟みが熱量となって、ティースの頭を茹で上げている、そんな状態だ。



(本来なら、こちらの術中に堕ちてもおかしくないほどに、手練手管を尽くしているのだ。だが、崩せない。ナルがギリギリの命綱として、ティースの精神の均衡を保っている。ここを切り崩さねば、完全攻略は難しいか)



 今もヒーサの目の前で、ティースは戸惑っている。こちらに傾いてもおかしくないのに、どうにか均衡を保っている。理由は、無表情のまま警戒の姿勢を崩さないナルの存在だ。



(ここからは、“ワシ”とナルのティースからの信用獲得の奪い合いだ。ティースは頭自体は割といいが、社交性にやや欠ける部分がある。ゆえに、御前聴取の席で今少し上手く立ち回れたであろうに、ヒサコの口八丁にいいようにやられた。ナルという軍師、参謀がいるからこそ、今もどうにか保っていられるのだ。だが、その忠言が耳に入らなくなった時、果たして暗愚に堕ちずに済むかな?)



 無論、ヒーサにはそのための手札はすでに用意してある。二人の関係にひびを入れ、ナルの諫言より、自分の甘言を信じるように仕向ける。まさに、謀略、策略の真骨頂を見せる機会とも言えた。



「でだ、先程言った“宝探し”の件、どうするかね?」



 ここでヒーサはあえて視線をナルに向けた。なにしろ、できることなら家探ししたいと考えているのは、他でもないナルの方であるからだ。


 好きに探してもらってかまわない。そう宣言したからには遠慮の必要もないのだが、同時に疑念が生じているのも事実であった。普通、秘密のある場所を好き放題に探らせるなど、まず有り得ないからだ。



(そう、もし、これで何も出てこなければ、ナルの読みが外れたことを意味し、こちらの潔白を証明することになる。ティースを揺さぶる材料としては申し分ない。そして、この提案をナルは断れない。おそらくは、ティースに寝室近辺が怪しいと吹き込み、伽の際にそれとなく注意を、とでも耳打ちしていたはず。それを探る機会を棒に振ることはできない。そして、何かしらの収穫がないとなると、クク……、二人の間にほんのささやかだが間隙が生じよう)



 そここそが、二人に離間の計を仕掛ける好機となるのだ。勇んで敵地に乗り込んできた決意は称賛するが、同時にそれはヒーサにとっては蛮勇にも映る諸刃の剣となった。


 さて、どう答えるか、ヒーサはジッと相手を見つめて返答を待った。



「……ティース様、折角ですので、お受けするべきかと」



 少し悩んだ末の結論。だが、それはヒーサにとっては予定調和でしかなかった。


 読んだところで、防げない策を用いればいい。それだけなのだ。



(孫子曰く、『算多きは勝つ』だな。ナルよ、お前も優秀な奴ではあるが、手数の多さはこちらの方が圧倒している。敵の領域で戦う不利を、思い知るがいい)



 ナルの返答を満足そうに頷いて受け入れた。


 さて、ここからはヒサコを使う必要もない。最後の閉めを飾るところで出すだけで十分であった。その最後の場面こそ、今日の最大の見せ場となるだろう。


 ヒーサは勝利を確信し、そのうえでそれと悟られぬよう、ティースに笑顔を送るのであった。

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