3-27 夢か幻か!? そこにヒサコはいなかった!

「ちょ、ちょっと待って! ヒサコがここへ通らなかったの!?」



 凄まじい剣幕で、前のめりに尋ねてくるティースに、歩哨の二人は驚いたが、夫人に尋ねられたので、より正確に答えねばならなかった。



「はい、奥方様。昨夜は三名のみ我らの前を通られ、他の者は通っておりません」



「妹君に関してですが、さらに正確に述べますと、我々の目の前まで公爵閣下をお見送りなされ、そのまま元来た廊下を引き返されました」



 ティースの考えていた回答ではなかったため、ますます混乱に拍車がかかった。



「え? じゃあ、昨夜のナルみたいに、目の前まで見送って、そのまま引き返したと?」



「はい。その通りです。つまり、昨夜、我々が目撃したのは五名。公爵閣下、奥方様、妹君、テア殿、ナル殿で、その内の妹君とナル殿は引き返した、ということになります」


 

 念を押して尋ねても、答えは変わらなかった。


 ならば嘘か演技かと言うと、そういう風にも見えなかった。二人は明らかに落ち着かないティースに対して引いている感じがしており、これで演技なら兵士を辞めてどこかの劇場で務めた方がいいだろう、というほどの振る舞いであった。



「分かった。ありがとう、下がってよし」



 ヒーサの言葉に歩哨二人は頭を下げ、部屋を退出していった。


 残ったティースは信じられないと言わんばかりに、怯えながらヒーサを見つめた。



「おかしいです、こんなの! だって、昨夜ここに来た時、確かにヒサコがいたんですよ!?」



「しかし、歩哨の話では、ここには来ていない。引き返したと」



「そんな、そんな……!」



 ティースは怯えに怯え切っていた。昨夜のことが嘘だったなど、絶対にありえないのだ。


 薬で頭の中がぐちゃぐちゃにされていたとはいえ、あの気持ち悪いくらいの這いずる感覚を、全身くまなく覚えているのだ。


 それだけではない。組み伏せられ、締め上げられた苦痛も覚えている。幽霊だの、幻だのとは、到底思えなかった。



「……隠し通路。そう、隠し通路やなんかが」



「おいおい、ここは公爵家当主の寝室だぞ。外から侵入を許すような、間抜けな隠し通路なんぞがあるとでも?」



「そ、それは……」



 ヒーサの言はもっともであった。脱出用の隠し通路ならあるかもしれないが、その逆は安全上有り得ないはずなのだ。


 おかしいおかしいと思いながらも、明確な答えが出ない。本当に幽霊か何かなのかと、疑いたくなってきていた。


 そんな混乱するティースをヒーサは肩を掴み、優しく抱き寄せた。小刻みに震える妻の体を抱擁し、その頭を撫でた。



「あぅ……」



「本当に、薬にやられたのかもしれんな。昨夜、ちと奮発してとっておきのお香を焚いていたはずだし、それが合わなかったのかもしれん」



 ヒーサの視線の先には、香炉があった。ティースもそれについてはヒサコに説明を受けており、催淫効果のある香が焚かれていた。



「その点ではすまなかったな。合わない薬なら、何かしらの副作用が出てもおかしくはない。今少し、ティースに配慮すべきであった」



「いえ、そんな……」



 ティースの視界に入る香炉の存在が、昨夜の忌まわしい記憶を掘り起こしてくるのだが、それをヒーサは優しく撫でて落ち着かせようとした。ヒサコのそれと違い、ヒーサの愛撫は思いの外暖かく、優しく、心に染み入っていった。


 ティースは自然と頬をヒーサに摺り寄せ、その温もりを余すことなく感じた。



「ん~、しかし、これではすっきりせんな。……よし、こうしよう」



 ヒーサはティースを少しだけ離し、視線を合わせた。



「朝食のあとにでも、この部屋を家探しするといい。無論、その手の“専門家”であるナルとマークを使ってな」



「え? いいんですか?」



 さすがに、ヒーサの提案はティースにとって意外過ぎた。どこの世界に主人の部屋を家探しする家臣がいるというのか。それも、主人が進んでやれなどと。



「このままでは、ティースがこの部屋を安心して訪れることもできんからな。じっくりと何かあるのか探してみるといい」



「そ、それをご許可いただけるなら」



「よし、決まりだな!」



 ヒーサはもう一度子供をあやすかのようにティースの頭を撫でてやり、それから室内で待機していたテアに視線を向けた。



「テア、ティースを自室まで連れて行ってやれ。さすがに、この状態のティースを一人で戻らせるわけにはいかんからな」



「畏まりました」



 テアは了承した旨を会釈で表し、二人に歩み寄ると、手をティースに差し出した。


 ティースはその手を掴むと、ゆっくりと引っ張り起こされ、ソファーより立ち上がった。



「ではな、ティース。食事の後は一緒に“宝探し”としゃれこもう!」



「は、はい。では、後ほど食堂で」



「うむ、気を付けてな」



 ヒーサはソファーに座ったまま見送り、テアとティースが退出するまで姿勢も表情も崩さなかった。


 そして、二人が退出し、扉が閉まり、足音も聞こえなくなってから、ようやくニヤリと笑った。



「ククク……。まあ、“ヒサコ”の侵入経路は、堂々と真正面なのだがな。まず気付くまいて」



 この詐術トリックも、【性転換】と【投影】の合わせ技であった。


 まずヒーサ(本体)がテアとヒサコ(偽物)を伴って寝室に向かい、歩哨の前で見送ってヒサコ(偽物)は元来た道を戻る。そして、人目のないところでスキルを解除して偽物は消しておく。


 寝室に入った後は、【性転換】を使ってヒーサはヒサコの姿になり、次いで【投影】を用いて、ソファーの上にヒーサ(偽物)を用意する。


 これがヒサコ(本体)とヒーサ(偽物)が寝室にいた状況を作り出したのだ。


 このやり方なら、歩哨は絶対にヒサコが部屋にいたことなど認識できないであろうし、嘘をつかせなくてもヒサコの存在を否定するのだ。


 そして、嗅がせた薬によって、ティース自身の記憶もあいまいにし、“幻覚を見た”という可能性を残しておく。無論、肌に残る記憶からまず否定するだろうが、混乱する材料にはなるのだ。



「さて、あとはうるさく言ってきそうなナルを、自身の立ち合いの上での家探しという完璧な証拠を差し出してやれば、ククッ、どういった反応を示すであろうな」



 無論、ヒーサの頭の中には、いくつものパターンがすでに予測してあり、そのどれを選択しようと、切り抜ける自信はあった。


 あとは、先程そうしたように、混乱するティースに対して、“優しい夫”を演じていけば、ナルがどうこう言って来ようとも、【大徳の威】の浸食は止められなくなるのだ。



「あとは、適当にヒサコを旅立たせる理由をつけてやれば、これにて楽しい楽しい新婚生活も大団円となるわけだ」



 いよいよ今回の最後の盤面がやって来たとヒーサは意気込み、ソファーより立ち上がった。


 そして、テアが持ってきた着替えに袖を通し、身だしなみを整えると、部屋を出て食堂に向かって歩き始めた。


 その足取りは軽く、外でさえずる小鳥の声がなんとも小気味良く感じるのであった。

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