3-26 朝チュン! 昨夜はお楽しみでしたね!

 チュンチュンと外から聞こえる小鳥のさえずりと、窓より差し込む朝日の煌めきに、ティースは眠りの世界より呼び起こされた。


 寝起き直後なうえに、どうにも頭がガンガンうるさく響き、体を起こすのも一苦労であった。



「ええっと……」



 上半身を起こし、眠る前に何があったかを徐々にだが思い出してきた。そして、赤面した。


 まず、自分が素っ裸であることに気付き、次いで部屋の隅にあるソファーではヒーサが横になっていることを認識した。そしてなにより、ヒサコに好き放題弄ばれたことを思い出したのだ。


 薬を飲まされ、体の自由を奪い、“身体検査”の名の下に、体の隅々まで撫で回された。這い回る指や舌先はまるで蛇が絡みつくように不快であり、同時に恐怖となった。


 だが、同時に悦楽を感じている自分も存在し、そのことが恥であり、怒りであり、無力感すら呼び起こし、顔を赤く染め上げたのだ。



「うぅ……、なんでこんなことに!」



 ティースはかけ布団を破れんばかりに強く握り、起こした上半身を更に前屈みにして、顔を埋めた。


 泣いた。鳴き声こそ上げなかったが、涙がボロボロと目から零れ落ちた。


 覚悟を決めてヒーサとの結婚初夜を迎えようとしたのに、妨害され、弄られ、辱めを受けた。


 恥ずかしさ以上に、明確な殺意が湧いてきた。義妹ヒサコをこのままでは済ませまいと。



 コンコンコンッ!



 扉を叩く音で、ティースは怒りで我を忘れかけていた意識を、現実へと呼び戻された。



「ヒーサ様、朝にございます。御着替えをお持ちしました」



 扉の向こうから女性の声が飛んできた。声色から察するに、専属侍女のテアだということはすぐに分かった。


 とはいえ、こんな姿を晒すわけにはいかず、ティースは大いに焦った。



「あ、ああ、その声はテアかしら?」



「左様でございます。……ああ、昨夜はお楽しみでございましたね。失礼いたしました」



 一片も楽しむ余地もなかったのだが、喚いたところでどうにもならないことはティースにもよく分かっていたので、まずは身だしなみを整えねばならなかった。



「ご、ごめんなさい。まだ裸なの。もう少し後にしてもらえるかしら?」



「畏まりました。では、後ほどまた参ります」



 扉の向こう側のテアの気配が消えたのを確認してから、ティースは寝台から起き上がって、床に放り投げられていた自分の寝間着ネグリジェを着た。


 随分と皺くちゃではあったが、さすがに自分の侍女以外に裸体を晒すわけにはいかず、やむなくそれを着込んだ。


 そして、未だにソファーの上に寝入っているヒーサの所へ歩み寄った。


 目を瞑り、静かな寝息を立てている夫に、ティースは複雑な感情を向けていた。


 昨夜は夫であるヒーサと初めて一緒に過ごす夜になるはずであった。だが、待ち構えていたのはヒサコであり、ヒーサは奥のソファーで寝入っていたのだ。


 おそらくは自分同様に薬を飲まされ、眠りの世界へと誘われたのであろうが、自分が弄ばれて助けを欲するときに、スヤスヤと眠っているのはどうにも腹立たしかった。


 もっとも、あくまでヒサコの悪さであって、目の前の夫を責めるのは筋違いであったが。



「ヒーサ、起きてください。ヒーサ!」



 ティースは横になっているヒーサの体を揺さぶり、起きるようにと何度も声をかけた。


 そして、ようやく起きたのか、呻き声を上げながらゆっくりと体を起こした。



「うぁぁぁ、よく眠ったな。ああ、でも、なんだか寝すぎて、体が重いな」



 ヒーサはソファーに腰かけ、鈍い動きの体を解し、すっきりしない頭を動かそうとした。



「てか、なんでティースがここにいるんだ?」



「なんでって、昨夜、私をお呼びになったのはヒーサではありませんか?」



「……ああ、そういえばそうだ。ティースと結婚初夜を過ごすはずだったんだ。それなのに寝入ってしまうとは、手術の疲れが出たのかな?」



 どうにもしっくりこないヒーサの回答に、ティースは苛立ちを同時に覚えた。昨夜のことを何一つ覚えていないからだ。



「ヒーサ、昨夜のことは覚えていないのですか?」



「昨夜? えっと、確か夕食の後、部屋に戻る前に居間でヒサコといくつか話をして、それから部屋に戻ったな。部屋に入る前後から、眠気で記憶があいまいになっているが」



「……そのヒサコと話している時に、なにかお飲みになられましたか?」



「ヒサコの用意した葡萄酒ワインを飲んだはずだが」



 ヒーサの言葉を聞き、ティースはやはりと思った。昨夜のヒサコの話では、睡眠薬をヒーサに飲ませたと言っていたので、飲み物の中に混ぜたのだろうと推察したのだ。



「ヒーサ、今すぐヒサコを拘束してください!」



「朝から穏やかではないな。昨日のことをまだ恨んでいるのか?」



「それもありますが、それ以上に“昨夜”のことです!」



「昨夜? 昨夜、ヒサコと何かあったのか?」



 呑気に尋ねてくるヒーサは腹立たしかったが、それ以上にヒサコへの感情が勝っていた。



「きっぱりと言いますと、昨夜、この部屋で、ヒサコの待ち伏せに会いました。そして、わ、私をこれでもかというほど、……その、は、辱めました」



 屈辱的な答弁であるが、はっきり言わねば伝わらないのも承知しているので、ティースは恥を放り投げて義妹を糾弾する方を選らんだ。



「ふむ……、事実なら、由々しきことだな、それは」



 そう言うと、ヒーサは近くにあった呼び鈴を手に取り、チリンチリンと音を鳴らした。


 程なくして、隣室に控えていたテアが姿を現した。



「おはようございます、ヒーサ様、ティース様」



「ああ、おはよう、テア。それより、歩哨を呼んできてくれ」



「歩哨を? ただちに呼んで参ります」



 テアは一瞬怪訝な顔をしたが、すぐに命令を実行に移すべく、頭を下げてから部屋を出ていった。



「なんのために歩哨を?」



「以前の部屋から、警備のしやすいこの部屋に移ってな。それで、この部屋に入ろうと思ったら、歩哨が立っている地点を通らないと、ここまで来れないようになっている。だから、歩哨に聞けば、昨夜の出入りしたのは誰か、それを判断できる」



「なるほど……」



 ティースはヒーサの説明に納得した。なにより、ナルにも似たようなことを言われ、それゆえにヒーサの寝室は密かに調べることが難しいと話していたのだ。


 そうこうしているうちにテアが戻って来て、さらに歩哨二名もまた、恭しく頭を下げてから部屋に入室し、さらにヒーサとティースが座るソファーの前まで来ると立膝をついて跪いた。



「夜勤明け間近だというのに、ご苦労だった。おもてを上げよ」



 歩哨二名は今一度頭を下げてから、促されるままに顔を上げた。



「ティース、この二人に見覚えは?」



「昨夜、この部屋に来る前に会っております。この二人が昨夜からの歩哨で間違いありません」



「だよな。でだ、二人とも、昨夜から、この部屋に入った者のは誰であったか、覚えているか?」



 ヒーサの質問に、二人は一度顔を見合わせてから、口を開いた。



「我々の前を通り、この部屋へと通じる廊下を進まれたのは、公爵閣下、専属侍女のテア殿、それと奥方様の、三名でございます」



「んなぁ!?」



 予想外の回答に、ティースは目を丸くして驚いた。


 ヒサコはここへ入ってきていない、というのが歩哨達の回答だ。


 では、昨夜のヒサコはなんなのか?


 訳が分からず、ティースは混乱するだけであった。

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