3-13 医聖の梟雄! 民の命は私が救う!(3)

 かくして、麻酔なしでの開腹手術という、前代未聞の荒行が行われた。



「行くぞ」



 静かに、それでいて力のこもった声に、その場の全員が緊張した。


 シューっと滑らかに妊婦の腹に刃物が差し込まれ、赤い線が走った。


 血が漏れ出し、激痛が妊婦を襲う。どうにか堪えようとするも、それに耐えきれるわけもなく、叫び、泣き、暴れ回った。


 しかし、体の各所はベルトで固定され、さらにティースとナルが全力で抑え込んでいた。



「地の精霊よ、大地を巡る大いなる力をここへ。傷つきもがく者に癒しと活力を与えよ」



 暴れる妊婦に対して、マークが癒しの術式を発動させた。激痛によって削られる体力と気力をこれで補い、手術が終わるまで持たせようという、かなり強引なやり口だ。


 ヒーサの手も急ぎつつも、慎重であった。ヒーサの頭の中には外科手術の知識も入って入るが、専門はどちらかというと薬学と内科であり、知識と技術はあっても、外科はそれほど得意ではない。それでも術者が補助に入ってくれるからこそ、麻酔なしの開腹に踏み切ったのだ。


 人の腹部は何層にも分かれており、ヒーサは胎児を傷つけないように慎重に薄い層を一つずつ割いていった。その都度痛みが全身を駆け巡り、妊婦が暴れるが、ティースとナルが抑えつけた。



「よし、見えてきたぞ」



 開腹部にようやく卵膜が目視でき、その向こう側に胎児の姿を確認した。


 最後の一撃とばかりに幕を切り裂き、切開部に手を伸ばした。逆さになっていた頭部を掴み、ゆっくりと慎重に開いた腹から胎児を取り出した。


 素早く臍帯を切除し、赤ん坊の状態を確認した。


 だが、取り出した胎児の意識はすでになかった。手足がだらりと垂れさがり、生き物としての意思を感じさせなかった。肌も青紫に近く、酸欠、仮死状態に陥っていた。



「ティース、任せた! こちらはすぐに縫合に入る!」



「えっ、ええ!?」



 いきなり渡された胎児にティースは慌てふためいたが、他の誰も頼ることができなかった。


 ヒーサは大急ぎで切開した腹部を縫合しており、テアはその補助として、針と糸を次々準備していた。ナルはティースが抜けた分の抑え込みに必死で、マークはさらに術式の出力を上げ、縫合した先から傷を癒すのに必死になっていた。



「どどどどど、どうすれば!?」



「逆さ吊りにして、尻を引っぱたけ!」



「は、はいぃ!」



 ティースは言われるままに取り上げた赤ん坊の足を掴んで逆さ吊りにして、その小さな尻に平手打ちにした。


 パシンパシンと音は響くが、赤ん坊の反応はない。



「まだだ! もっと強く!」



「はいぃぃぃ!」


 パッシィィィンとここで更に音が響く。そして、赤ん坊が咳き込んだ。どこに詰まっていたのか、口から、あるいは鼻から羊水が噴き出し、この世に生れ落ちた証である産声を上げた。



「あ、泣き出しましたよ!」



「よしよし、何とかなるもんだな。こっちも終わったぞ」



 ヒーサも手早い縫合でどうにか切開部を閉じ、そこにマークが使った大地の癒しが降りかかって、通常よりも早くに血が止まり、傷口も塞がっていった。


 妊婦は産声を聞いて安心したのか、そのまま気絶してしまった。



「さすがに、この荒行はきつかっただろうしな。あとは術後の経過が良ければ完璧だが、こればかりはまだ分からん」



「そそそそ、そうですね! で、これ、どうにかして!」



 赤ん坊のあやし方など分からぬティースは、ヒーサに助けを求めたが、それを無視して、家の外で待つ村人達に顔を出した。



「手術は成功した。赤ん坊は取り出せて、母親の方も生きているぞ!」



「うおぉぉぉぉぉ!」



 集まっていた村人は一斉に歓声を上げ、特に赤ん坊の父親は大慌てで家の中へと駆けこんだ。


 取り出したばかりの地と羊膜で汚れている赤ん坊が視界に飛び込み、飛びつくように駆け寄った。



「おおおおお! 我が子よ、よくぞ生まれてきてくれた!」



「はいはい、ダメですよ。汚い手で触らないでくださいね」



 テアが興奮する父親を押しとどめつつ、赤ん坊を抱えるティースに要した産湯で洗うように促した。ティースはそっと赤ん坊を産湯につけ、体についた汚れを洗い落とした。



「……よし、こんなものですか」



 用意していた布で赤ん坊をふき取り、さらに奇麗な布を巻いて産着とし、まだかまだかと興奮しながら待つ父親に手渡した。



「なかなか威勢のいい男の子ですよ」



「そうですか! おお、息子よ、よくぞ生まれてきてくれた!」



 父親が絶叫し、赤ん坊が泣く。愛情たっぷりに頬ずりをし、一時はどうなることかと思った誕生を無事に祝うことができたことに感動した。


 そして、その騒々しい室内の雰囲気に乗せられてか、気を失っていた母親も目を覚ました。



「でかしたぞ! 元気な男の子だ!」



「そうですか。ああ、無事に生まれてきてくれてありがとう、坊や」



 まだ起き上がる力はないので、母親は抱きかかえられた我が子に手を伸ばし、その頭を撫でた。そして、ヒーサの方に視線を向けた。



「ご領主様、なんとお礼申し上げてよいやら」



「さすがに一人では無理だったがな。この場の皆が奮戦したからこそ、成し得たことだ」



 ヒーサの謙虚な姿勢に感激しつつ、その周りの面々に対しても感謝と敬意を示した。



「まあ、本来は医者として生計を立てるつもりだったのが、何の因果か領主になり、皆を率いる立場となった。だが、医者としての本分と、領主としての強欲さが、今回の手術に走らせたのだがな。何より、生きようとする者を見捨てれなかった。ただ、それだけだ」



 ヒーサは赤ん坊の顔を覗き込み、それから指で頬を突くと、むずがってまた泣き出してしまった。



「おっと、これは失礼。やれやれ嫌われたかな。退散するとしよう」



 ヒーサはテアに道具類をまとめておくように指示を出すと、家から外に出て、まだ喧騒冷めやらぬ村人からの拝礼を受けた。



「ご領主様、なんとお礼を申してよいやら」



 話しかけてきてのは村長であった。危うく母子共々損ないかねない状況であったのを、両方救うという荒業を乗り越えてくれたのだ。



「なに、領民が困っていたから助けた。ただそれだけのことだ。まあ、さすがにこんな荒業は二度と披露したくはないがな。皆が健康で暇を持て余すのが、医者として最も喜ばしいのだから」



 病気やケガがなくなり、医者と言う存在が不必要な世界こそ、究極の理想である。それがないからこそ医者が存在し、病気やケガに対処せねばならないのだ。


 だが今は素直に喜ぼう。母子ともに救う事が出来たのだから。


 松永久秀は誰よりも強欲である。零れ落ちるはずだった命さえ、拾い上げる程には。

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