3-12 医聖の梟雄! 民の命は私が救う!(2)

「麻酔なしで帝王切開って、正気ですか!?」



 この場で、唯一手術の難易度を理解しているテアがヒーサに尋ねた。


 そもそも、帝王切開は死んだ母親から胎児を取り出すのが元々の手段である。生きた母親から胎児を取り出すやり方ではない。


 つまり、麻酔なし消毒なしの帝王切開は、母体をほぼほぼ殺すやり方なのだ。




「子供を救うか、母体を救うか、この二択だ。どちらを選択するかは、夫婦で決めろ」



 ヒーサの提案としては、これが限界であった。どちらを生かすかは、あくまで当人が決めることであって、そこに領主であっても介在するつもりはなかった。



「な、なら、子供を助けてやってください」



「お、おい」



 女房のかすれた声に、夫は思わず耳を疑った。だが、その涙ぐむ瞳にすでに覚悟は固まっていることを察し、ヒーサに頭を下げた。



「ご領主様、どうか子供を救ってやってください」



「……二人とも、本当に良いのだな?」



「「はい!」」



 どちらも覚悟を決めた。これが今生の別れとなるかもしれぬとしっかりと手を握った。そして、口付けを交わし、二人の間にある愛を確かめ合った。



「では、手術をしよう。水と奇麗な布を用意しろ。湯を沸かせ。邪魔になるから、我々以外は家から出ていってくれ」



 ヒーサの言葉に促され、名残惜しそうに夫と女房は手を放し、家から出ていった。残ったのは、ヒーサ一行と女房だけだ。


 そして、ヒーサはティースとマークの肩を掴み、部屋の隅へと移動した。



「しかしなあ、私はどうにも強欲なのだ。母子ともに救う唯一の手段をとるぞ」



 ヒソヒソと話すヒーサに、ティースもマークも目を丸くして驚いた。今までの話を聞く分には、まずどちらかの命が損なわれるとしか思えず、それをどちらも救うを目の前の男は宣言したのだ。



「そんな手段があるのですか!」



「ある。ただし、マークの術を使わせてもらうぞ」



 その一言で、ティースとマークがヒーサに捕まった理由が分かった。どう術を使うのかをマークに説明し、その使用許可を出せるのは主人であるティースであるからだ。



「……それで、どうするのですか?」



「腹を切り裂き、赤子を取り出す。こうまですれば、どれほど手早く縫合しようと、まず母体は助からん。そこで、マークの術で癒す。先程の術から、マーク、お前は地属性が得意な術士だな。大地の力を回復力に転換し、母体に流し込む。これで開腹手術にも耐えれるはずだ」



 切りながら、回復させる。確かにとんでもない方法だが、同時に合理的でもあった。おそらくは、母子両方を救おうとした場合、これが最適解ではないかと思わせるほどに説得力はあった。



「可能ではありますが、成功するかどうか」



「出来る出来ないではない。やるかやらないかだ。失敗したとて、お前の責ではない。それは保障する。難しい手術なのだし、成功すれば儲けもの、とでも思っておけ」



「……分かりました。やるだけはやりましょう。ですが」



 マークは承認しつつも、ティースに目を向けた。あくまで、最終的な決定権を持つのは、主人であるティースなのだ。


 ティースとしては救ってあげたいと思いつつも、迂闊に術を使ってもよいのかどうか、悩むことであった。ヒーサは口止めに応じてくれているが、村人もそうだとは限らないからだ。



「私は反対です」



 話に割り込んできたのは、ナルであった。鋭い視線をヒーサにぶつけ、牽制してきた。



「術はみだりに使っては、更なる身バレの危険があります。どうせ損なっておかしくない命、術なしでの開腹を提案します」



 あくまで、冷徹なナルの提案であった。ナルにとって優先すべきは主人の身の安全であり、ここで術を使う理由が何一つないのだ。



「ナル、それじゃあ、あの人、死んじゃうわよ」



「命数と思って、諦めていただく必要があります。残念ですが、人には何事にも優先順位が存在します。ティース様、何よりもご自身をご自愛くださいませ」



 人助けであろうとも、主人の身の安全を優先すれば、術の不使用が正しかった。ナルの言い分がもっともと言える。


 だが、ティースにとっては、どういうわけかそれを理解していながら、拒絶したい気持ちが出てきていた。なぜなら、ティースは“カウラ伯爵家の当主”であると同時に、“シガラ公爵の令夫人”でもあるからだ。



「ナルが心配してくれるのは嬉しく思うけど、私も“領民”を見捨てることができない。ヒーサが死の運命から救い上げようとしているなら、私もそれに追随する」



 決意の表れか、ティースの目には迷いもなく、ただ真っすぐにマークに視線を送った。



「マーク、あなたの主人として命じます。術式の使用を許可します。手術の補助を頼みますね」



「畏まりました」



 マークは恭しくティースに頭を下げ、ティースも満足そうに頷いた。



「ヒーサ、これでよろしいでしょうか?」



「協力感謝するよ、ティース。では、早速取り掛かるとしよう」



 ヒーサの呼びかけに応じ、マークもティースも女房の方へと歩み寄った。


 その光景を見ながら、ヒーサがニヤリと笑っているのを、ナルは見逃さなかった。そして、ナルの方を振り向いてきた。



「お前も手伝ってくれないかな? 人手は多い方がいい」



 向けられた笑顔は優し気な貴公子のそれであるが、漂う気配は歪なほどにピリピリとしていた。少なくとも、ナルにはそう感じた。



(そうか……。ヒーサも術士だ。それも精神に干渉する類の術式を使っているわね。これは厄介。術士であることを暴いて、マークの件を相殺にできるかと思ったけど、使っているかどうか判別の仕様がないわね。でも、そうだとすると、早くティース様にかかっている術式を解除しないと!)



 ナルは従順にヒーサの指示に従いつつも、密偵としての思考は進めていたが、主人がすでに術中に堕ちつつあることを思い知らされた。



(まあ、精神系の術式は、術がかかっていることを認識させれれば、解除することは可能。ヒーサに関することを、念入りに調べないといけないわね。隙だらけのはずなのに、肝心の部分だけは掴ませてくれないけど、とにかくやるしかないわ)



 当面のやるべきことは定まった。ヒーサが術士であることを暴き、その上でティースの精神を犯しつつある術式を解かせることだ。


 なにしろ、公爵領に来た時にはティースの心中はヒーサへの疑念が満ちていた。しかし今は、関心、好意、恋慕と一気にヒーサの方へと寄って行っている状態だ。


 このまま術の浸食が進めば、隷属へと変わるのも時間の問題であることは疑いようもなかった。



(まさか、噂が囁かれている魔王、奴がそうなのだろうか? むしろ、この鮮やか過ぎる手管はそうとしか思えない。善人の皮を被った悪魔など、昔話ではよくある話だ。そうであるなら、『六星派シクスス』を扇動し、今回の事件を裏から操ることもできるわね。だが、証拠は何一つない。どこかに悪魔の正体を暴ける道具でもあればな~)



 ナルの思考は悪い方向へと進む。自分が主人共々、間違いなく追い詰められつつあるのを感じ取っているからこそ、最悪な状況のことを考えてしまうのだ。


 看破する手段もなく、ただ用意された道を進むしかないような感覚だ。


 しかし、今は目の前の命を救うことに集中せねばならなかった。不本意ではあるが、主人からの命令である。ナルもその点では覚悟を決めざるを得なかった。



「では、御婦人、よろしいかな?」



 ヒーサの手には刃物が握られていた。先程説明したように、腹を裂いて赤子を取り出すという、考えただけでも震え上がるほどの荒行を成そうとしているのだ。


 妊婦の女性も震えていたが、腹の中の子供を救うにはそれしかないのも認識できていた。



「よろしく……、お願いします」



 震える声を絞り出し、それが開始の合図であった。


 まず、苦痛で舌を噛み切らぬよう、綿を詰めた布を口に含ませた。それから、ティースとナルがそれぞれ肩や腕を掴み、暴れて動き回らぬよう押さえつけた。


 そして、最重要のマークは頭を掴んだ。暴れ回らないようにするのもそうだが、同時に癒しの術式を用いて回復させる必要があるため、一番魔力を送り込みやすい位置取りに立っているのだ。


 妊婦の両足はすでにベルトで固定されており、膨れた腹部の横にはヒーサが立ち、その横には各種道具を用意しているテアがいた。


 かくして、煌めく刃が腹に添えられ、手術が始まった。

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