3-11 医聖の梟雄! 民の命は私が救う!(1)

 ヒサコの襲撃(仕組んだのはヒーサ)が一段落すると、再び領内巡察が再開された。


 そして、目的となっていた次なる村に到着した。もちろんここでも歓迎され、村人達から公爵位の継承と結婚のことで数々の祝意を受けた。


 そんな賑やかな状況下に、別行動していたナルが荷馬車に乗って現れたのだ。


 そこでナルは訝しんだ。歓迎されるのはいいにしても、まるでつい先程到着しましたという雰囲気であり、かなり先に到着しているようには見えなかったのだ。


 そんなナルにマークが歩み寄り、つい先程あったヒサコの襲撃と、その後の顛末について説明した。



「申し訳ありません。俺が付いていながら、とんだ大失態を」



「……話を聞く分には、狙いは最初からあなただったでしょうね」



 落ち込む弟分にナルは優しく肩を叩き、その労苦を理解した。



「ヒサコはどこかの段階で、あなたが術士じゃないかと疑ったんだと思う。つまり、どうにかしてマークに術を使わせ、それを証明したかった。集団行動中なら、ティース様を狙ってあなたに術を使わせるように仕向け、単独行動中ならあなた自身を追い詰めて術を使わせた、ってところじゃないかな」



「結果として、どう転んでも弱味を握られる格好になりますか」



 術は使い方次第では百人の兵士に勝る力を発揮できる。であればこそ、秘匿して育てられたマークは伯爵家の切り札足り得たのだが、身の上がバレた今となっては、却って弱点と成りうるのだ。


 しかも、伯爵家以外の目撃者は、ヒーサ、ヒサコ、テアの三人のみとはいえ、いずれも得体のしれない力や雰囲気があり、容易には口封じができる状況でなかった。


 だが、それよりも気がかりなのは、ティースの方であった。


 別行動をする前と後で、ティースのヒーサに向ける視線が明らかに変わっていた。



(そう、あれは間違いなく、恋する乙女の視線だ。それは非常に“マズい”こと)



 男女の間では、先に惚れた方が“負け”なのである。惚れてしまえば、相手に尽くす。それは立場上、相手の“下”につくことを意味している。


 例え夫婦の間であろうとも、明確な力関係と言うものは存在する。


 現状、ただでさえ、伯爵家は苦しい立ち位置に落とし込まれている。結婚相手は公爵家という格上で、しかも事件の被害者という立場も持っている。暴かれたくない秘密や裏の事情も次々と暴露され、すでに落城寸前の城砦のような状態だ。


 その上で、なおもヒーサは力攻めには出ずに、それどころか優しく手を差し伸べてくるのだ。



(なんて男だ、ヒーサ。立場を徹底的に陥れ、弱味を握り、いつでも潰せる状態にしてから、情を揺さぶるやり方に切り替え、ティース様自らの意思で頭を垂れさせる気か! 奴の狙いは、勝利ではなく完全勝利だ。領土の併合ではなく、献上と言う形をとらせるつもりか!)



 どうにかして、主人の心が完全にヒーサに靡く前に止めねばならないと、ナルはこれまで以上に危機感を覚えた。


 そんな焦るナルをよそに、その歓迎を受ける輪がにわかに騒がしくなった。


 ナルは一旦思考を止め、騒ぎが怒っている輪の中に入っていった。



「なに、産まれそうだと?」



 声を発したのはヒーサであった。村の男性に詰め寄られ、女房を診て欲しいとのことであった。



「ああ、そう言えば、お前の女房は産み月が近いと言っていたな。産婆はどうした?」



「それが間の悪いことに、隣村の出産の手伝いに出掛けてしまっていて」



「子沢山なのは領主として嬉しい限りだが、そうも言ってられんな。やむ得まい。診よう」



 ヒーサは男に案内され、その家に向かった。他の面々もそれに続き、テアに至っては、診察道具の鞄も用意してそれに続いた。


 そして、ヒーサは家の中に入り、早速うなされる女房を目にしたが、同時に一瞬で見てはならないものも見てしまった。


 それは今まさに産まれ出ようとする胎児の“足”であった。



「まずい。逆子だ」



 出産において、いきなり最悪の状況を見せつけられ、ヒーサは思わず舌打ちをした。



「ヒーサ、逆子って何ですか?」



 珍しく焦っているヒーサに興味を覚え、ティースは思わず尋ねてしまった。



「赤子は通常、頭から出てくる。しかし、何らかの事情で足や腕から出てこようとする赤子がまれに存在する。それが逆子だ」



「それって面倒なんですか?」



「面倒などと言う話ではない。赤子は引っかかって腹から出てこれず、そのまま死ぬ。母体も損なわれる危険性もある。母子ともに、無事ではすまん」



 説明を聞き、ティースはようやくヒーサが焦っている理由を理解した。どうなろうと無事では済まない難産だというのだ。



「……それで、どうするつもりですか?」



「胎児を殺し、バラバラにしてから取り出す。それで母体は救われる」



 現状、それが現実的な手段であった。逆子である以上、胎児は文字通りの意味で切り捨てねばならなかった。このままでは母体の方も疲労でもたなくなるからだ。


 当然、今の発言は女房とその夫にも聞こえ、嘆き、涙を流した。



「ご領主様、なんとか子供を助ける方法はないんですかい!?」



 取り乱す夫がヒーサに詰め寄り、どうにかしてほしいと懇願してきた。



「あるにはあるが、それだと、母体が死ぬぞ」



「ど、どんなやり方なんですかい!?」



「腹を裂いて、そこから赤子を取り出す」



 あまりに苛烈なやり方に、夫どころか周囲の人々も引いた。確かに、腹に大穴が開けばそこから子供を取り出せるが、それでは母体の方が危ういからだ。


 そして、その難度を最も理解しているのがテアであった。



(麻酔無しの帝王切開!? 無理無理無理、絶対無理!)



 いくらヒーサがスキルによって医術レベルが上昇しているとはいえ、無茶が過ぎると言うものであった。


 どうする気なのか、テアは珍しく焦るヒーサをジッと見つめた。

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