2-31 ヤバい三人組!? 密偵頭はかく語りき!(前編)

 カウラ伯爵ティースはその日、結婚してシガラ公爵ヒーサと夫婦となった。


 結婚と言えば聞こえはいいが、相手は格上なうえに、『シガラ公爵毒殺事件』によって伯爵家が公爵家にもたらした損害を考えると、慰謝料代わりに“領地”と“自分自身”を差し出したに等しい状態であった。


 唯一の救いは夫となったヒーサが、“極めて誠実で温厚な人格者”であったことだ。


 自身に対しても、伯爵家に対しても、できうる限りの配慮をしてくれており、思っていたほど無碍な扱いは今のところ回避できていた。


 とはいえ、結婚初夜をいきなり別居というのは、さすがにいただけないことであったが。


 今、ティースは馬車に乗り、公爵家の上屋敷を出立して、伯爵家の上屋敷に向かっているところだ。寂しいとは思わないが、年配の侍女などから伝え聞いていた“結婚初夜”の話とは全然違うので、少しばかり困惑していた。


 だが、それ以上に困惑していたのは、目の前の女性に対してだ。


 馬車には現在、自分を含めて二名が乗り込んでおり、対面に座る形で乗っているのが、専属侍女のナルであった。


 ナルはティースの専属侍女ということになっているが、それは仮の姿であり、本来の肩書はカウラ伯爵家の“密偵頭”なのだ。伯爵家の陰に潜み、情報収集から暗殺、破壊工作まで幅広く行う、貴族社会の裏側に生きる闇そのものなのである。


 実際、多くの貴族はそうした裏仕事を専門に扱う人物を抱えている場合が多く、彼女の実家が代々カウラ伯爵家の裏仕事を引き受けてきたのだ。


 なお、実際はナルの父親が本来の密偵頭であり、彼女は跡取りではあったが、あくまで一工作員に過ぎなかった。にも拘らず、密偵頭の地位を引き継いだのは、今回の毒殺事件のせいであった。


 事件当初、ナルの父親は間の悪いことに病気で寝込んでしまい、しかもナル自身も別件の調査で伯爵家を離れている状態であった。一時的とはいえ、防諜能力が極端に低下したタイミングで、よりにもよってあの事件が起きたのである。


 自分がいれば防げた、と考えたナルの父親は気を病んでしまい、病状を悪化させてしまった。回復の見込みはとんとなく、密偵部はますます身動きが取れない状態となった。


 そのため、窮余の一策として、娘のナルにすべてを任せる意味で、密偵頭の地位を継承させ、現在に至っていた。


 そして、そのナルはティースが心配するほどに落ち込んでいた。



「ええっと、ナル、大丈夫?」



「……大丈夫ではありません」



「あ、大丈夫じゃないんだ」



 ここまで気落ちするナルも珍しいなと、ティースは思った。目の前にいる最も信頼する家臣が、ここまで屈辱と不甲斐なさに打ちひしがれている表情を浮かべるのは、少なくとも記憶にはなかった。


 ナルはティースより二つほど年上で、特に裏仕事がないときはティースの侍女として側近くにいて、時には狩猟に随伴したり、あるいは剣術や馬術の鍛錬を共に励んだりと、主従と言うより友人に近いほどに親密であった。



「ナル、今は誰も聞いてないんだし、崩してもらっていいわよ」



「では、お言葉に甘えて、愚痴ってもいいですか?」



「ええ、聞きましょう」



 どうせ先程の一幕の話であるので、ティースとしても興味があった。自分の最も信頼する家臣であり、現在の密偵頭である者の言葉なので、是非とも聞いておかねばならなかった。


 スゥ~っと深く呼吸し、ナルは大声で叫んだ。



「なんなんですか、あの“三人”は!?」



「え? 三人?」



 ナルの言葉にティースは困惑した。三人ということは、ヒーサ、ヒサコに加えて、後ろに控えていた侍女も含まれるからだ。


 ナルが時折、殺気を放って威圧していたのは知っていたが、侍女テアの方にも放っていたとは思ってもみなかった。



「……とりあえず、ヤバい方とヤバくない方、どちら順で私の人物評、聞きますか?」



 崩していいと言ったので、口調も主従のそれから友人的な立ち位置になっていた。こちらの方が話しやすいし、本音も聞けるので、一向に構わなかったが、冷や汗をかいているナルの表情は、思い切り曇っていた。


 どれだけの評が聞けるのかと逆に気になり、ティースは頷いて応じた。



「なら、ヤバくない方からで」



「ではまず、ヒサコですが」



「あ、ヒサコが一番マシなんだ」



 その順番はティースにとって意外であった。自分を散々やり込めた義理の妹が、あの中で一番マシとは、他の二人はどれほどなのかと戦慄した。



「御前聴取の時は、その機転の良さや会話の組み立て方など、相当な知恵者だという雰囲気でしたが、今日一日の動きは意志を感じさせないほど、機械的に感じました。無理やり歯車を回されているような、そういうぎこちなさですね」



「ふ~ん。なら、場所や人目によって、態度をころころ変えるってことかしら?」



「感情を殺している、というよりは感じないと言った方が近いでしょうか。強いて言えば、今日のヒサコはまるで大きな人形でも見ているような……」



「あれだけ、ペっちゃくっちゃ喋ってたのに!?」



「う~ん、私の感覚が狂っている、かもしれません。どうもあの三人に関わるようになってから、色々と乱されている感覚がひどくて……。ああ、これでは密偵頭、失格です!」


 ナルは頭を抱えて悩み、年頃の乙女が発してはいけないような呻き声を上げた。密偵頭の地位を父から継承し、多少気負っているとはいえ、こうも押しつぶされそうなナルを見るのは、ティースも初めてであった。


 普段なら、余裕で自信ある態度を取り、難題が降っかかってこようとも、そうした姿勢を崩さず、平静を保っていた。


 しかし、今はそれが完全に消え失せていた。


 いつもの凛々しい姉のような存在ではなく、見えざる何かに怯える一人の女性がそこにいるのであった。

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