2-24 むっつりすけべえ!? 女伯爵はおエロい女です!

 ティースの勘がこれは危険であると告げていた。


 目の前の貴公子は温和で優しく、気遣いのできる男である。


 だが、何かを潜ませている。


 そんな相手からの援助など、あまりにも危険過ぎる。借りは作るべきではないと、警鐘が頭の中に鳴り響いた。



「ヒーサ、心遣いは嬉しいのですけど、お断りさせていただくわ」



「必要なはずなのに、受け取らないのは非合理的だね」



「貴族のメンツは、合理性で語られるものではないわ」



 貴族は家名や体面を重んじるものだ。こうもあからさまに“施し”を受けることを、ティースはよしとしなかったのだ。


 この程度の難局を乗り越えなくては、カウラ伯爵家の名が廃る。一時消えることになろうとも、復活を果たすために、家の矜持すら失っては、成すべきも成せぬのではと強く思えばこそだ。


 だが、それを理解してか知らずか、ヒーサは箱をさらにティースの方へと押し出した。



「その理由付けで受け取りを拒否するのであれば、私のメンツのために受け取ってもらわねばならない。私は自分の花嫁を、未来の公爵夫人を、なにより気高き伯爵たる御令嬢を、みすぼらしい姿で人前に出すつもりはないよ」



 優しくもあり、そして、強い意志を感じる視線に、ティースは思わず心打たれた。自分の矜持も大事であるし、家名を汚すなど以ての外だ。


 だが、それは同時に目の前のヒーサにも当てはまるのだ。


 表面的には、ヒーサの父マイスはティースの父ボースンに毒を盛られたことになっている。無論、ティースとしては嵌められたとしか思っていないが、ヒーサの感情はまた別だ。


 少し前まで危うくすれば、戦争にすらなりかねない緊迫した情勢であったのだ。


 だが、ヒーサは堪えた。最悪の事態を避けるため、激高する家臣を宥め、軍を動かさず、話し合いでの解決を図った。


 そう考えると、自分のなんと浅慮なことかと、ティースは恥じ入った。


 なにより、伯爵家と自分への配慮も行き届いている。“妹”のこと以外は、完璧と言ってもいいほどに気を遣ってくれているのだ。



「……分かりました。謹んで受け取らせていただきます」



 ティースは頭を下げて礼をすると、箱を閉じた。これだけの額の金銭があれば、式に関しては何とかなりそうだと、ホッと一息ついた。



「返せるあてはありますが、少しばかり時間がかかるかもしれません。その辺りはどうかご容赦くださいませ」



「ああ。なんなら、体で払ってくれてもいいぞ」



 さらりと言ってのけたので、ティースにはヒーサの発した言葉の意味を理解するのに、いささか時間を要した。


 そして、言葉の意味を理解すると、顔を真っ赤にした。



「な、何を言っているのですか、あなたは! 仮にも公爵たる者が、貴婦人に対して口にしていい事と悪い事があるのですよ!」



「口にしてはいけない事だったかね?」



「当然です!」



 赤面しつつ、怒りをあらわにするティースであったが、ヒーサはそれを軽く流し、席から立ち上がると、ティースのすぐ真横に立った。


 そして、ティースの手首を掴み、軽く捻ると、そのてのひらを確認した。


 それは、貴族令嬢とは思えぬほど、ゴツゴツして硬かった。



「やはり思った通りだ。相当武芸を嗜んでいると聞いていたが、これがその証か」



 硬い手をジッと見られて、ティースは少し気恥しくなった。


 剣術、弓術、馬術と、鍛錬を怠ったことはない。貴族令嬢ならやっていそうな舞踊や音楽などには興味を示さず、野山を駆け、兵士達に混じって鍛錬するのが楽しかったのだ。


 今は国としては平和であるが、何かあった際の備えはしておきたい。野蛮な帝国の侵攻や、あるいは魔王の復活、いつかは起こるかもしれない災厄に、ティースはずっと備えてきたのだ。


 無駄になる可能性の方が、遥かに高かったが。



「私は武芸に関しては、それ程自信がなくてね。ティースに護衛にでも付いてもらおうかと考えていた」



「あ、そういう意味でしたか」



「しかし、目の前の淑女は“口にしてはいけない”事柄だと、勘違いされてしまったようだ。ああ、嘆かわしいかな」



 わざとらしい大仰な嘆きを見せつけ、ティースは茹で上がったかのように顔をさらに赤くした。



「ティースは“むっつりすけべえ”という奴だね」



「紛らわしいことを言うからですよ! そういうヒーサは何なんですか!?」



「あえて言うなら“あけすけすけべえ”かな」



 堂々と言い放つヒーサであったが、控えているテアはそろそろ限界らしく、手で口を抑えて笑いを堪えるのに必死であった。



「ああ、そちらの方も大丈夫だよ。ティースに失礼のないように、侍女で練習しておいたから、ご満足いただけるように努めさせていただくよ」



 ヒーサの一言に、とうとう限界を突破した。テアは思いっきり噴き出し、笑いながらもむせ返し、どうにか鎮まろうと、呼吸を整えて気持ちを落ち着かせようとした。


 当然、その醜態に二人の視線が突き刺さった。



「……ハッ! まさか、御前聴取でヒサコが言ってた、失神した侍女って」



「私じゃないですから! 私じゃないですからね! 他の侍女ですから!」



 テアは大慌てで否定した。危うくそうなりかけたが、寸止めで事なきを得ていた。



「あぁ~、テアにも練習台になってもらおうと思ったのだが、拒否された挙句、投げ飛ばされてしまってな。残念ながら、そいつは奇麗なままだ、多分」



「多分じゃなくて、奇麗なんです!」



「そうか、ではそのうち汚してやろう」



 あまりに“あけすけ”な会話に、ティースはついていけず、どう反応するべきか迷った。


 恋人同士でのやり取りでも、主従のそれでもない。なんとも表現しがたい何かを、二人の間に感じ取った。


 取りあえずは、咳払いをして、二人のこちらの世界に呼び戻した。



「おっと、いかんいかん。淑女の前でするべき会話ではなかったな」



「ええ。まったくもってその通りです。妻になる者の前でイチャイチャするのは感心しません」



「そうだな。ティースもようやく妻になってくれることを了承してくれたしな」



「あ……」



 いつの間にか完全に会話のペースを握られ、夫婦になることを了承している自分が、今ここにいた。つい先程までは警戒に警戒を重ねていたというのに、すっかりほぐされてしまった。



(不思議な人だわ。今までに会ったことのない……。型破り、ううん、常識はずれ、でもない、表現できる言葉がない)



 ティースはすっかり目の前の男に興味を持ってしまった。もっと知りたい、もっと深めたい、なんとも不思議な感覚に心が染め上がっていた。



「さて、あまり長居をしてはいかんな。互いに忙しい身の上だ。今日はここらで帰るとしよう」



 そう言うと、ヒーサは掴んだままだったティースの手を自らの口に寄せ、手の甲に口付けをした。


 生まれて初めての行為に、ティースは気恥ずかしさを覚えたが、同時に感じたことのない高揚感も含まれていることに気付いた。


 もうすぐ、この男と夫婦になる。優しくて、気が利いて、聡明で、申し分ない男性であることを知ることができた。


 たまにからかってきたり、好色だったりする点でさえ、御愛嬌というものであった。


 にこやかな笑みと共に去っていったヒーサの背を見送り、わずかに残る手の温もりに、思わず頬を摺り寄せた。


 幸せそうなティースには気付きようもなかった。梟雄の口から飛び出した“大徳”という猛毒が、すでに心を犯し始めていたことを。

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