2-8 標的は花嫁! 悪役令嬢、出撃す!

 ヒーサ達が王都ウージェに滞在して五日後、いよいよ国王臨席の下、『シガラ公爵毒殺事件』の聴取が行われることとなった。


 その間、ヒーサの滞在するシガラ公爵の上屋敷には、様々な人々が来訪していた。王宮に勤める廷臣から、王都に偶然滞在していた貴族、果ては商人や旅芸人まで、身分の貴賤を問わず、公爵家新当主となるヒーサの顔繫ぎに現れたのだ。


 シガラ公爵は王国屈指の大貴族であり、新たな当主とお近づきになりたいと考える者など、それこそ掃いて捨てるほど存在する。


 ヒーサは分け隔たりなくそれらに対応し、噂通りの“温厚”で“理知的”な“気前の良い”貴公子として笑顔を振り撒いた。


 そして、王宮への出立となったその日の朝、ヒーサは突如として倒れたのだ。テアやヒサコに支えられてどうにか寝室まで戻ると、そのまま寝台に横になって動けなくなってしまった。


 これはいけないと王宮に先触れの使者を出し、ヒーサが倒れたことを告げ、代理人として妹のヒサコを聴取の席に出す旨を伝えた。


 なお、これら一連の行動はすべて“茶番”である。ここ数日の来訪者全員にヒサコを紹介し、公爵の妹としての存在感を与え、代理出席しても問題ないように宣伝していたのだ。



「これから花嫁として迎えるお嬢様を、ヒーサ自身がボコボコにするわけにはいかんからな。角が立ち過ぎては、円満な夫婦関係、明るい家族計画に支障が出かねん」



 これがヒサコを代理出席させる理由である。


 要はティースがヒーサ及びシガラ公爵家に向けている敵愾心をヒサコ個人に逸らすのが狙いだ。ヒーサ小姑ヒサコの一人二役を演じ、夫としては妻に優しく、小姑として義姉に強く当たる。


 つまり、一人芝居による飴と鞭作戦、それがヒーサの狙いであった。


 現在、本体はヒサコの方であり、ヒーサの方が分身体であった。スキル【投影】を用いた偽の体であり、テアが離れれば、勝手に自然消滅するであろう。


 もちろん、寝室には熱病が移るといけないから、専属侍女以外は立ち入らないようにと、念入りに釘を刺してから王宮へと出立した。


 その王宮に向かう馬車の中には、ヒサコとトウが乗り込んでいた。


 トウはテアの別の姿であり、普段の緑髪たわわメイドから、赤毛絶壁メイドになっていた。



「【投影】が使えるようになってから、いらなくなったかと思ったわよ、この姿」



「あたしの専属侍女だと、皆には紹介しておいたし、【投影】が使えない場面では、その姿になってもらうことが今後もあるかもしれないわ。テアはヒーサの侍女、トウはあたしの侍女だしね」



 【投影】はかなり使い勝手の良いスキルなのだが、欠点がいくつかあった。


 まず、分身体のすぐ近くに魔力源が存在していないといけないことだ。それこそ、壁一枚隔てただけで魔力供給が途切れてしまうのだ。


 たとえ、扉を閉めた程度の壁であろうとも、ものの十秒も経たないうちに魔力枯渇を起こして、分身体は消えてしまうほどにもろかった。


 分身体の喋りも難しく、意識をかなり集中させないと喋らせることができないため、本体と分身体が同時に話すことができなかった。


 なにより、分身体が傷つけば、本体の方も傷つくため、手荒な使い方も厳禁である。


 それらを加味したうえでも【投影】による分身体の生成は利用価値が高く、今後もますます使っていくことになるだろうと考えていた。



「さてさて、見えてまいりましたか、本日の戦場が」



 ヒサコの目には、車窓越しに巨大な城が移っていた。


 ウージェの王宮は川の中州に建てられた城だ。


 巨大な中州を覆う石造りの城壁が存在し、その東西にはつり橋がかけられていた。取り囲む城壁の要所には尖塔が設けられ、さらに新式の大筒までその姿を確認することができた。



「見事……。この城は力攻めでは決して落ちないわね」



 ヒサコは城の堅牢さに、率直な意見を述べた。


 ヒサコの中身である松永久秀は、戦国期の日本のおいて、城造りの名手としてその名を轟かせていた。


 戦国最大規模の山城である信貴山城、壮麗なる造りで異国の宣教師にまで絶賛された多聞山城など、数々の城造りに携わり、その技術は後世日本の城郭建築に多大な影響を残すほどであった。


 織田信長ですら久秀の築城技術には絶賛し、安土城も久秀の技術を惜しみなく使うほどに吸収していた。



(まあ、それだけに、全部学ばれ、持っていかれ、最後は出涸らしの邪魔者扱い。手札を晒し過ぎたのがかつての過ち)



 ヒサコの中にある松永久秀という男の魂が、古傷を突かれたような痛みを覚えていた。


 武将として、領主として、茶人として、久秀は魔王のぶながにすべてを奪われた。最後に残った平蜘蛛茶釜もまた、奪われそうになった。


 だからこそ、己の矜持を守るために、城も、茶器も、己自身と共に炎の中に沈めた。


 すべてを魔王のぶながに奪わせないために。



(しかし、それがこんなことになるなんて、世の中不思議なこともあるものだ)



 ヒサコの視線の先にはトウがいた。


 女神テアニンのこの世界における仮の姿であり、松永久秀をヒーサあるいはヒサコとしてこの世界に転生させた張本人だ。


 依頼された仕事の内容は、世界のどこかに潜む魔王を見つけること。


 今はその前準備として、公爵位を簒奪し、財や人手を手に入れている段階だ。


 そして、それももうすぐ決着がつく。


 この城で行われる『シガラ公爵毒殺事件』の聴取。国王自ら臨席するその会合において、できうる限り貴族や廷臣らを味方につけ、公爵位の正式な継承と、係争者であるカウラ伯爵ティースから財産、領地、そして、伯爵自身の身柄を頂く。


 前者の方は問題なく、聴取が終われば、そのまま国王承認の下、公爵位の継承が認められる。


 後者の方はまだ流動的だ。かなりの高確率で成せるとは考えているし、そのための下準備も行っていて、後は芽が出るのを待つだけであった。


 もちろん、御前聴取の席でのやりとりも重要なものとなる。いかに自分に好印象を、逆に相手に反感を、聴取の列席者から植え付けれるか、そこが勝負の鍵となる。



(幸い、ここ数日の顔繋ぎは上手くいっている。事前の調査でなるべく近付いておきたい人物との渡りはついた。マリューやスーラのように、“誠意わいろ”の通じる相手もいた。幸先はいい)



 合戦にしろ、評定にしろ、重要なのは“事前の根回し”である。


 どれだけ我意を通すのに準備を重ねたか、その帰結が“勝利”や“締結”に集約されると言ってもよい。


 そして、自分はそれを誰よりも理解し、努力を惜しまなかったとも自負していた。



「戦わずして人の兵を屈するは善の善なり、よね」



 孫子の兵法の一節をヒサコは口ずさんだ。


 何事も交渉ごとによって有利に進めるのが最良である。


 兵を使うのは人も金も消費する。


 それを知るからこそ、自分の三枚舌には黄金の価値が含まれている。そう自負しながら、ヒサコは今日の手順を再び頭の中で思考するのであった。

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