1-40 移動開始! 取引場所へひた走る!
夕闇が辺りを染め上げ、世界は闇に包まれようとしていた。
そんな夜の到来が間近に迫った時間に、一台の馬車がシガラ公爵の屋敷より出立しようとしていた。
二頭引きで、しかも幌まで付いているかなりしっかりとした馬車だ。
その御者台は
当然、門の兵士達に呼び止められた。
先頃、マイスとセインが毒殺される事件があったばかりで、屋敷の警護についている兵士達も今まで以上に緊張した状態で警戒に当たっており、さすがにこの時間の外出については奇妙に思ったのだ。
「お役目、ご苦労様」
「ああ、テアさんか。こんな時間にどちらまで?」
テアの顔と名前は屋敷で働く者の中では知らぬ者がいないほど有名だ。
新当主ヒーサの専属侍女であり、今は行政秘書官を実質兼ねるほどの才女であるからだ。
しかも、とびきりの美女であり、薄い緑色の髪を靡かせて歩く涼しげな顔立ちは、異性であれ同性であれ、見とれてしまうほどだ。
「薬を届けに行ってまいります」
「薬ですと?」
「はい。ヒーサ様が調合なさった物で、多忙ゆえ往診に行けないから、せめて薬だけでも届けてほしいと頼まれまして」
「なんと……」
テアからの説明を受け、門番はいたく感心した。
事件があった日から、ヒーサは当主代行として多忙を極めており、今までのような往診に出かける時間的な余裕をなくしていた。
しかし、それでも時間を見つけては診療所にこもり、何かをしているとは聞いていたが、まさか薬の調合まで手掛けていたとは、驚きの一言であった。
なにより、医者としての“仁”の精神が際立っており、主君としてではなく、一人の人間としても敬意を表するべき人物だと、ますますヒーサへの想いを兵士は強くした。
もっとも、少々
「そういうことでしたら、分かりました。すぐに門を開けます」
門番が別の門番に合図を送ると、すぐに門が解放された。
「暗くなってきましたし、あまり遅くはならないでください」
「ありがとう。なるべく早く戻って参りますわ」
テアは御者台に腰かけたまま笑顔で応対し、馬に鞭を入れた。ゆっくりと馬が前に進み始め、屋敷が徐々に遠ざかっていった。
「さて、怪しまれずに外に出られたわね」
そう述べたのは、荷台に乗っていたヒサコであった。積んであった木箱に腰かけ、向かい合って座っているリリンに話しかけたのだ。
リリンは急な仕事に少しばかり戸惑っていた。ヒサコと初めて顔を合わせたのは昼間であり、それが夕刻になって突然出かけるから同行してほしいと、テア経由で指示が飛んできたのだ。
仕事の内容は馬車への荷物の積み込みと、“裏仕事”の空気に慣れてもらうことだ。
実際、荷物はかなり重い木箱が二つ。何かの書類が入った革製の封筒。それと護身用の武器であった。
「その、ヒサコ様、これからいずこに参られるのですか?」
「報酬の支払い。あと、あなたも先方と顔を会わせておいた方がいいかなと思って」
ヒサコは立ち上がると、リリンの横に置いてあった木箱の前に立膝を突いた。
そして、懐から鍵を取り出し、カチャリという音と共に仕掛けが解除され、蓋を開けた。そこには大量の金貨銀貨が詰まっており、リリンは驚いた。
「わぁ~お」
今まで見たことがない大金に、リリンの口から思わず感嘆の声が漏れた。
「フフッ、こんな大量のお金を見たのは初めて?」
「え、あ、はい」
「まあ、それだけの働きをした方達ですからね。これくらいは当然です」
実際、これから会いに行く
毒キノコの採集と事故に見せかけた落石による暗殺、どちらも今回の策謀においては根幹をなす部分であり、手に入れた物のことを考えれば、これくらいは払っても当然であった。
「何をしていたのかは存じませんが、仕事の報酬ってことですよね。ヒサコ様の腰かけていた箱もそうなのですか?」
目の前の木箱を閉じる久子に対して、リリンが尋ねた。同じ形をした木箱であり、そちらもまた鍵で封印されている箱であった。
「こっちが“報酬”なら、あっちは“口止め料”かしらね。あまり表沙汰にしてほしくないことを依頼した時には、あの手の割り増しもいる場合があるから覚えておきなさい」
「そういうものなのですか」
「ええ、そうよ。……いいこと、リリン。利に聡い悪党は、絶対に裏切らないものよ。こちらが利権を握り、利益を供与している限りはね。だから、色を付けて報酬を渡し、こちらが太っ腹であることを見せつけるの。またおいしい仕事にありつけると思わせればよし。もっとも、あくまでちゃんと働いている奴に対してだけどね」
ヒサコはまた元の木箱に腰かけた。
「ねえ、ヒサコ様、あんまり年端もいかない少女を悪の道に落とし込まないでくださいね~」
御者台からテアの声で飛んできた。冗談半分に言っているのか、口調は軽い。
「良いも悪いもないでしょ。私の仕事はあくまでお兄様の補佐。裏方で目立たず、地味ぃ~な職場だけど、存在しないとそれはそれで困ってしまうから」
組織の規模が大きくなればなるほど、“防諜”というものが重要になってくるものだ。相手の秘密を探りつつ、相手に情報を漏らさない。目立たない、というより目立ってはならないが、最重要の仕事。
裏の仕事とは、まさにそういものなのだ。
「リリン、あなただって、ヒーサお兄様の役に立ちたいのでしょう?」
「もちろんです! ヒーサ様のためなら、私、なんだってやりますよ!」
「それは頼もしい言葉。お兄様が聞けば、さぞ喜ぶでしょう」
なお、その言葉はヒーサにしっかりと届いていた。
ヒーサとヒサコは同一人物であり、女神より授かったスキルによって、状況ごとに入れ替わっているに過ぎないからだ。
「ほらほら、御者さん、さっさと目的地へ向かってくださいな。無駄口叩く前に、鞭を叩いてくださいな」
「はいはい。お馬さん、ごめんね~」
バシィッという鞭の音と共に、馬車は少しずつ加速していった。落ち合う予定の目的地に向けて、ひたむきに馬車は進んでいった。
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