1-39 御初会! そして、悪役令嬢と色欲侍女は抱擁を交わす!

 どこに案内されるのかとリリンは少しばかり不安になったが、着いたのは屋敷の離れにあるヒーサの診療所であった。



「え? ここ?」



 まさかの診療所にリリンは驚いた。てっきり、どこか屋敷の隅の方で誰かと落ち合うものかと思っていたら、見慣れた診療所に案内されたからだ。



「そうよ。リリン、もう一度確認するけど、本当に覚悟はできているのね? あの診療所の中にいる人に会うと、本当に後戻りできなくなるわよ?」



 やけに念入りに確認してくるテアに、リリンは僅かばかりの不信感を覚えた。できればこっちに来てほしくない、そう言いたげな雰囲気であった。


 しかし、それをリリンは突っぱね、扉のドアノブに手をかけ、ササッと中へと入っていった。


 中に入ると、そこには一人の女性が椅子に腰かけていた。長い金髪に澄んだ碧眼、そして、整った顔立ちをしているが、なにか陰が差している感じも漂わせていた。


 リリンは室内に視線を泳がせても他に人影もなく、ヒーサもいるものだと思っていたが、その女性一人だけであった。



「あら、あなたがリリンね。お兄様から色々と伺っているわ」


「ええっと……」



 にこやかな笑みと共に話しかけられたが、要領を得られず、視線をテアに向けて助けを求めた。



「こちらの方はヒサコ様。ヒーサ様の妹君にあらせられます」



「ヒーサ様の……、妹ぉ!?」



 説明に驚き、リリンはじっくりと目の前の女性を観察した。雰囲気はまったく別物であるが、顔立ちは確かにどことなく似ており、兄妹と言われればなるほどと納得してしまうほどであった。



「でも、セイン様以外に兄弟姉妹がいるなんて、全然聞いたことがないんですけど?」



「それは、ヒサコ様が双子だからですよ」



「ああ、それで」



 テアの説明を聞き、リリンは納得した。


 多産は畜生の証であり、特に相続の問題が絡む貴族は、双子と言う存在を嫌っていた。そのため、双子が生まれた場合は、その場で殺すか、捨てられるか、あるいは養子に出されるのが常である。



 目の前のヒサコという女性もまた、どこかに養子に出されたのだろう。



「ヒーサ様の妹君とは知らず、ご無礼いたしました。ヒーサ様の専属侍女を仰せつかっておりますリリンと申します。以後お見知りおきを」



 リリンは恭しく頭を下げ、ヒサコに対して拝礼した。普段は少々お調子者だが、礼儀作法に関してはアサの指導が行き届いており、この程度の立ち振る舞いなら普通にできた。



「でも、テア先輩が知ってたってことは、その、前々から面識があったと?」



「あたしが生まれた時からかな~」



「生まれた時から!?」



 ヒサコからの意外過ぎる言葉に、リリンは目を丸くして驚いた。


 ヒーサと同い年であるならば、ヒサコは現在十七歳。その十七歳の女性を“生まれた時から”知っているとなると、テアはいったい何歳なのか、この疑問が生み出されたのだ。


 ちなみに、ヒサコの言葉に嘘はない。女神テアニンの手によってこの世界に松永久秀が転生した姿がヒーサであり、スキル【性転換】を使って変身した姿がヒサコなのである。


 つまり、ヒサコが生まれたのはごく最近であり、その元凶である女神テアが見知っているのは当然であった。



(ややこしい誤解を生む発言は控えてよ、ったく)



 テアは心の中で悪態を付きながら平静を装い、イラっとした感情を抑え込んだ。



「質問、テア先輩、齢いくつ?」



「き、機密事項です」



 さすがに女神の実年齢を言うわけにはいかず、口を閉ざした。



「まあまあ、そういう雑談は後回しにして、さっさと本題に入りましょうか」



 ヒサコはゆっくりとした足取りでリリンに近付き、両腕をその首に回して顔に密着させてきた。口を開けば吐息がかかるほどの近距離だ。


 何事かとリリンは驚き、顔を赤くしたが、ヒサコはそれを見てニヤリと笑った。



「私はね、リリン。いわゆる“裏仕事”に従事しているのよ。今回の騒動の裏を調べるために、私の身の上を知っていたお兄様が呼び寄せたの。で、あなたにはそのお手伝いをお願いしたい。だから、ここに呼んだというわけ」



 言葉を発する度にヒサコの息が吹きかかり、リリンはますます顔を赤らめた。なんでこの人、こんなにグイグイ来るんだろうと、頭が混乱した。


 なお、同一人物ヒーサともっとすごいことをしているのだが、それはさすがに気付けなかった。



「ひ、ヒサコ様、お手伝いとは具体的に……」



「私は表に出てこれないから、表にいるお兄様との繋ぎ役ね。あと、工作時に人手がいる時があるから、それの手伝いって感じになるかしらね」



「な、なるほど」



 まだ離してもらえないので、息が再びかかった。リリンは少し体をモゾモゾさせて気恥ずかしさをアピールするが、ヒサコはお構いなしであった。



「そんなわけで、リリン、あなたには期待しているわよ。お兄様も期待していると言ってたわ。最近はあちこち忙しくて飛び回っているけど、騒動が一区切りついたら、また床を同じくしてもらおうか、だって! キャ~、このスケベメイドめ♪」



 ヒサコは笑いながらリリンの頬を指で突き、大いに茶化した。


 ちなみに、こういう際の対処法をリリンは身に着けていなかった。アサの指導も、さすがにこの状況は想定外も想定外であった。


 とはいえ、当人の口からは聞けなかったが、平穏な日々が戻ってきさえすれば、また以前のように抱き締めてもらえると知って、リリンは幸せな気分になった。



「でもまあ、今この騒動が落ち着くまでは、お兄様も忙しいし、私も忙しい。だから、あなたにも頑張ってもらいたいの。いいわね?」



「もちろんでございます、ヒサコ様! なんでもお命じください!」



「そう、それじゃあ、これからの働きに期待させてもらうわね」



 ヒサコはまだ指で小突き続け、リリンはくすぐったそうに笑っていた。


 なお、それを側から見ているテアにとっては、どうしたものかと考えさせられる一幕であった。なにしろ、ヒサコの正体はヒーサで、ちょっと前まで毎晩繰り広げられた隣人泣かせの傍迷惑行為であり、さらに言うとヒーサの中身は七十の爺である。


 正体知ったらどう思うだろうかな~、などと後輩の顔を憐れみながら眺めた。



(完全に騙されてるわね、リリン。ご愁傷様。まあ、取りあえずは元気になったのはいいにしても、こういうことを意味もなくするとは思えないんだけどな~)



 テアはいまいち掴めぬ戦国の梟雄の本心に不穏な空気を感じつつも、今は生暖かく見守ろうかと考え、悪の御令嬢と色狂いの侍女メイドの姿を眺めるのであった。

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