1-37 苦悶の姫君! これからどうなるかは、もちろん分かっているわよね?

 世界がガラガラと音を立てて崩れ行くのを、ティースは確かに感じ取った。


 そう、何もかも終わりだという終末の鐘の音があちらこちらから響いて、耳から離れないのだ。


 目の前の布にくるまれているのは、ティースの兄キッシュだ。捕らわれの父ボースンを救出すべく、シガラ公爵の屋敷へと向かった。それを送り出して、まだ一日も経っていない。


 だが、現実は、世界は、ぐるりとティースにそっぽを向き、見たくもない情景を押し付けてきた。


 布に包まれたキッシュは落石に潰され、はっきりと言えばぐちゃぐちゃだ。辛うじて、顔半分が残っていたので、それで兄だと判別できたに過ぎない。



「お兄様……。お兄様!」



 ティースは愕然としながらも周囲を見渡すが、目の留まる家臣はすべて泣いているか、嘆いているか、嗚咽を漏らしているかのいずれかだ。


 自分とて、そうしたかった。半狂乱になってしまえば、どれほど楽だろうか。


 つい数日前まで平穏な日々が続いていたのに、父が捕らえられ、兄はあの世へと旅立った。状況の変化があまりにも早すぎるのだ。


 だが、嘆いてばかりもいられない。兄キッシュが死に、父ボースンが捕らわれている以上、カウラ伯爵家の責任者は自分と言うことになる。自分が判断を下さねばならない。


 そう考え、ティースは胸中で暴れ回る恐怖と不安をどうにか抑え込み、現状の打開策を考え始めた。



(考えなさい。どうすればいいか、考えなさい。私がしっかりしなくてはダメ。嘆いている家臣をどうにか落ち着かせないと、身動きが取れない)



 ティースは必至で自分に言い聞かせ、当主代行としての責務を果たそうとした。十七の娘にはあまりにも過酷な重荷であったが、それでも背負わねばならないと、自らを奮い立たせた。


 まず、兄の遺体を棺に納めさせ、略式の仮葬儀を執り行わせた。いくらなんでも遺体をそのままというわけにはいかず、ひとまずのケジメだけは付けておかねばならなかった。


 次に皆を集めて会議を開いた。議題は当然、ボースンの救出についてだ。


 公爵家側から責任者を寄こすようにと言われ、それに応じてキッシュが出掛けたのだが、無念な結果に終わってしまった。


 ならば、ティースを送り出すかどうかで、意見がまとまらなかった。


 再びティースを送り出して、キッシュの二の舞に会うのは避けたい、という意見については一致していた。つまり、もうこれは事故ではなく、“謀殺”というのが共通認識になっていた。


 では、軍を率いて厳重に警戒して行こうか、という意見もあったが、これは却下された。軍を許可なく他領を進ませるわけにはいかず、それこそ侵略行為だと糾弾されては全てが終わってしまうからだ。


 ならば、護衛は少数のままで、時間はかかっても迂回路で向かうか、という意見も出たが、これも却下された。あまりにも用意周到さを見せつけられていることから、迂回路にも手を回しているのでは、という疑念が払拭できないでいるからだ。


 ならば、いっそのこと手紙のやり取りではどうかという進言もあったが、これも不採用となった。時間がかかりすぎる上に、責任者との話し合いを求めている公爵家側の要求を突っぱねたことになり、相手の心証を悪くするだけであった。


 当然、このまま引き籠るのも論外だ。



「せっかく話し合いの場を設けようというのに、無視されるとは思わなんだ。ならば、力づくで話し合いの場を設けるとしよう」



 などと言われて攻めてこられたら、それこそおしまいである。


 結局、ティースにしても、他の家臣にしても、妙案など何一つ持ち合わせていなかったのだ。


 どちらに転んでも落とし穴が待ち構えている。考えれば考えるほど深みにはまっていく感覚に襲われた。



(打つ手がない。まるで全部先に潰されているかのように道が塞がれ、相手の思惑通りに誘導されている感覚。どうしろっていうのよ、これは)



 可愛らしい顔も今は焦燥感を塗りたくられ、やつれた感じすらあった。ティースが悩みに悩んでも結論は出ず、そうこうしているうちに数日が経過した。


 そして、それは“死”を運んでやって来た。数台の馬車からなる一団が公爵領からやって来たのだ。


 最初は動かない伯爵家側に業を煮やした公爵家側が使者でも派遣してきたのかと緊張したが、そうではなかった。馬車には十を超す棺が乗せられており、それを届けに来たのだという。


 そのうちの一つが、まさに伯爵家にとっての“死”であった。すなわち、ティースの父であり伯爵家の当主たるボースンその人であった。


 棺の中で眠る父と対面した時、ティースは絶叫した。もう、泣くことしかできなかった。



「なんで! どうして!」



 目からこぼれる涙と共に何度も何度も棺に向かって拳を振り下ろし、周囲の者が止めなければ、そのまま腕が使い物にならなくなったであろうくらいに、父の眠る棺を叩いた。


 暴れるティースを周囲が取り押さえ、棺から引き離し、落ち着くように何度も声をかけた。ティースも無様を晒したことに恥じ入ったが、それ以上に怒りが満ちており、周囲に当たり散らした。



「何が自殺したよ! 何が殉死したよ! どう考えても、嘘っぱちでしょ、それ!」



 棺を届けに来た者の説明では、キッシュの死を知ったボースンが衝撃のあまり自殺し、ボースンの自殺を知った家臣達もそれに倣って殉死したと説明された。


 当然、伯爵家の人々からすればそんな話を信じる気にはなれず、やはり謀殺されたのだと強く思った。


 だが、証拠が何一つない。騒いだところで、何一つ証拠がない以上、戯言として誰も聞き入れてくれないだろうし、事件の一部始終を見ていた者も、今は棺の中だ。


 証人も、証拠も、何もかも消された。


 絶望に打ちひしがれるティースであったが、あることに気付いた。


 もし、今回の一件が事故ではなく、事件であると仮定した場合、誰が利益を得るか、という点である。故意に引き起こされた事件であるならば、引き起こす理由があり、それによる利益を得る者が必ずいるからだ。


 そして、今回の一件で得をしたのは誰か?


 答えは明白。シガラ公爵家の家督を継ぎ、さらにはカウラ伯爵家に触手を伸ばす絶好の口実を得た、公爵家の現当主ヒーサに他ならない。


 すべての事象が、ヒーサにとって都合のいいように動かされているのだ。



「あいつが! あいつがぁ!」



 事件の裏が僅かだが見えてきた。ヒーサへの面識はないのだが、それでもあいつ呼ばわりである。怒りがもう抑えられないところにまで全身を駆け回っていたのだ。


 そこにふとした閃きが頭の中に生じた。悪い意味での気付きであった。


 だが、それは絶対に起こりうることであり、抗うのが困難な状況であった。



「みんな、伯爵家が乗っ取られる! 乗っ取られてしまうわ!」



 ティースは取り乱して叫び狂った。その姿たるや、普段の可憐でありつつも凛々しい騎士のごとき姫君の立ち振る舞いではなかった。


 当然、何事かと周囲もティースに意識が向かっていった。



「父と兄が亡くなった以上、爵位と領地は私に相続されることになる。つまり、私と結婚する相手にすべてが渡る。その相手とは、“今”のシガラ公爵に他ならないわ!」



 そう、すべてはヒーサの掌の上で誰も彼もが踊らされていたのだ。痕跡一つ残さず、次々と邪魔者を排除して、まんまと利益を独占していった。そうとしか考えられないのだ。


 何一つ証拠は残っていない。“神様”が見ていて、お告げでも降りてこない限りは、まず真相を知りえないだろう。


 だが、その神様がよりにもよって、外道の共犯者であるなど考えが及びもしないのであった。


 そして、このような状況下にあっては、今のティースにヒーサが婚姻を申し出てきた場合、断る術を持たない。


 


「両家の間に不幸があったのは事実であり、これを乗り越えていかねばならない。両者の間で婚儀を結び、平和と安寧をもたらそうではないか。これを以て両家の和解としよう」



 こう提案された場合、ティースは拒否できない。


 ボースンがマイスを毒殺したという不都合な事実が残っている以上、非は伯爵家側にある。下手に提案を断っては、和平の腹積もりなしとしてそのまま一気に戦争へと発展しかねない危うさがあった。


 仮に金銭による解決を聞き入れてくれたとしても、間違いなく支払い能力を超える金額を要求してくるだろう。そうなれば、それを口実に伯爵領へ堂々と取り立てと言う名の介入が始まるのだ。


 つまり、どっちに転んでも、伯爵領はヒーサの手の中に納まる算段というわけだ。


 何もかも終わった。ティースの目に映る家臣達の顔にはもう、諦めと絶望しか残っていなかった。


 さっさと奪われるか、絞られた上で奪われるか、その違いでしかない。もう最後の瞬間は見えているのだ。



(あと、希望があるとすれば、王の仲裁のみ。これに望みを賭けるしかない。どうにか時間を稼いでいるうちに、ヒーサが仕組んだという証拠を掴まないと!)



 望みは限りなく薄い。薄いが、それでもやらなくてはならない。でなければ、本当に伯爵家がこの世から消えてなくなってしまうからだ。


 ティースはあらん限りの知恵を絞り、徹底抗戦を決意した。


 だが、ティースが思っているほど、ヒーサと言う男は、その中身である戦国の梟雄・松永久秀は、甘い男ではないことを思い知らされることになるのであった。

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