1-36 自殺幇助? いえいえ、ネクタイを巻いて差し上げただけです!

 剣で刺され、床に転がるボースンはそのままの姿勢でヒサコを睨み付けた。



「ぐぅ……。おのれ、悪魔め! 魔女め!」



「誉め言葉として受けておくわ、敗北者さん」



 そう言うと、ヒサコは不意に腰のベルトを外し、それをボースンに投げてよこした。丁度、そのベルトはボースンの首に落ちた。



「さて、あなたの最後の役目よ。その頑丈な“ネクタイ”をさっさと首に巻き付けなさいな。そうすれば、娘さんの命だけは助けてあげるわ」



「な、なんだと!?」



「当然でしょ。このまま行けば、公爵家、伯爵家の全面戦争になるわよ。そうなればどうなるかは、あなたにだって分るでしょう?」



 仮に戦争になった場合、結果は火を見るより明らかだ。


 抱えている兵の数が違うし、財の量も違う。どう考えても、伯爵家に勝ち目はない。


 表向きは“毒殺”を自分が仕掛けたことになっており、そんな奴に援軍を出すなどありえない。それどころか、公爵側に加担して、おこぼれを貰う輩の方が現れることだろう。


 つまり、戦が始まった瞬間に、伯爵領が火の海に沈むことが確定なのだ。



「ああ、残念だわ。先祖代々開墾して、育て上げてきたきれいな田園風景が、血肉と戦火によって朱に染まるなんて、とてもとても悲しいことですわね」



「お前がそう仕向けたのだろうが!」



「あれ? そうでしたっけ? うふふ」



 まるで遊び感覚だ。他人がどうなろうが知ったことではない。そう言いたげな雰囲気が、表情だけでなく全身の雰囲気からもにじみ出ていた。



「あなたの娘さん、女だてらにかなり武芸に自信がおありなようで。まあ、でも、所詮は一人。手練れと言えど、五人、十人で囲んでしまえばいいだけのこと。矢尽き、剣折れ、そして、荒くれ者達にねじ伏せられる。まあ、その後のことは口の端に滑らせるのも恥ずかしい~。キャッ♡ うん、それも戦場での“ありきたりな光景”ですし、仕方がないことですわね」



 想像するだけでも背筋が震えてきた。ボースンは娘のそうなりかねない未来を思い浮かべ、そして、涙した。


 そんな娘を案じる父に対してもヒサコは容赦せず、まだ持っていた剣をプスッと軽く頬に刺した。血がぽたりぽたりと床に流れ落ち、同時に涙もそれに加わった。



「もう一度言うわよ。娘さんがそうなりたくなかったら、さっさと首を吊りなさい。それが現状の最良手。あなたは死ぬけど、娘は、血は残る。いずれ子を成せば、公爵家の分家として復活できるかもしれない。意地張って、未来を完全に断ち切ることもないでしょう?」



「…………、娘の安全は保障するのだな?」



「ええ、もちろん。なにしろ、これから花嫁さんとしてここに来ることになるんですから、無下な扱いなんてするわけないじゃないですか。あたしにとっても初めての姉になる方なんですし、たっぷりと可愛がって差し上げますわ」



 むしろ、招き寄せてからが大変なのだ。反目するであろう伯爵領を上手くまとめ上げねばならないし、周囲の貴族や、場合によっては国王とも調整をしなくてはならなくなる。


 事が落ち着くまでは、ティース嬢は大切な客人であり、愛すべき花嫁であり、同時に伯爵家の面々に言うことを聞かせるための切り札足り得るのだ。


 丁重に扱わないわけにはいかなかった。


 そして、しばしの睨み合い。薄ら笑いを浮かべるヒサコに、怒りとも悲しみとも悔やみとも取りずらい複雑な表情のボースン。場は静かだが、様々な感情入り混じる嵐の中だ。


 数分の沈黙の後、ボースンは決心したのか、怪我をした足を引きずりながら椅子に上り、次いで机に上り、天井の梁にベルトで輪を作った。


 作った輪に自らの首をかけ、何度か深呼吸をした後、机を蹴っ飛ばして自らの体を吊り上げた。


 ぶらんぶらんと肉の塊が左右に揺れ、やがて完全に動きを止めた。


 ヒサコはそれを何の感情もなく黙って見続け、数分経過してから脈を確認した。完全に止まっていた。心臓も完全停止したのを確かめた。



「死亡確認っと。伯爵、どうか安らかにお眠りください」



 さて、すべて終わったなと確認してから扉の方へと振り向いて歩き始めた。その時にはすでに、ヒサコからヒーサへと姿を変えていた。


 ドアノブを回し、部屋を出ると、そこには仏頂面の侍女テアが立っていた。そして、無言で新しいベルトを差し出してきた。



「お、気が利くな。さすが共犯者あいぼう



「あなたって、本当に最低のクズだわ」



「うん~、いいよ、それ。美女からの罵声も乙なものだな」



 ニヤニヤ笑いながらベルトを締め直し、身なりを整えてから改めて女神と向き合った。



「さて、これでおおよそ片付いた。あとは、牢屋にいるお供の連中も“殉死”してもらう」



「あ、やっぱ、そっちもやっちゃうんだ」



「ヒサコの顔を見られているからな。なにより、ヒサコが毒キノコを渡している現場の目撃者だ。生かしておく理由は何一つない」



「これからそのうち交渉だってのに、全員消しちゃうのはマズくない?」



「余計な情報が表に出るよりかはマシだ」



 一切のブレがない。どこまでも慎重で、かつ合理的。大胆でありつつ、緻密に練られた策は、まさに戦国の梟雄たるに相応しい。


 しかし、テアにとって何よりも悩ましいのは、自分自身が目の前の男の流儀に染まり、すっかり慣らされてしまっている点だ。


 あれだけの下種な振る舞いを見聞きしたというのに、湧いてくる感情は僅かな怒りと哀れみに、大多数の無関心なのだ。


 つまり、今起こった出来事を、実質肯定しているということだ。



(ああ、私、汚されちゃったんだ。人間なんかに、人間なんかに、人間なんかに)



 魂の穢れが今後どう影響するか分からないが、やはりこのまま見守る以外の選択肢はない。説教程度で己の有様を変えるほど、目の前の男の魂は弱くない。



「さてさて、あと気がかりな点が一つある」



「どんなこと?」



「ティースという娘が好みかどうか、だ。容姿、体型、性格、どれも一級品であることを願う。まあ、結納金として伯爵領を貰い受けるし、十七の生娘が七十の爺に嫁いでくることを考えると、多少のことには目を瞑るがな」



「うん、やっぱりあなたって、本当に最低のクズだわ」



 かくして、牢屋に閉じ込められている残りのカウラ伯爵家の者達も、これとほぼ同じやり方で次から次へと“殉死”させていった。少し煮え切らない連中は、ヒサコが優しく背中を押し、勇気を後押しした。


 すべてはこれで片付いた。あとはそのうち始まる国王の仲裁をできる限り有利な形で着地させられれば、まさに一件落着である。


 戦国の梟雄、面目躍如の瞬間であった。

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