1-32 驚天動地! 謀られたカウラ伯爵家の人々!(1)

 カウラ伯爵の屋敷は騒然となっていた。昨日までの平穏な世界が、たった一日でひっくり返ったからだ。


 カウラ伯爵当主ボースンがシガラ公爵領に向けて出発したのはつい先日のことだ。伯爵の長女ティースと、公爵の次男ヒーサは前々からの婚約話があり、その詰めの協議のため公爵領に訪問したのだ。


 特に何の問題もなく数日のうちに婚儀の日取りなどを決めて、戻ってくるはずであった。


 ところが、護衛役として随伴していた騎士のカイが大慌てで伯爵領に舞い戻り、とんでもないことを告げてきたのだ。


 曰く、自身の主君である伯爵ボースンが公爵マイス並びにその嫡男セインを毒殺した、と。



「いったい何がどうなっているのか!?」



 カイの報告を聞いて叫んだのはボースンの息子で、留守を預かっていたキッシュだ。


 キッシュが取り乱すのも無理はなかった。今回の公爵領への訪問は何の問題もなく、どころか両家の繁栄と結束を約束するはずのものであった。


 ところが、あろうことか、両家の間に決定的な亀裂を生みだし、いつ戦争が始まってもおかしくないほどの状態に陥っていたのだ。


 無論、キッシュだけではない。カウラ伯爵家に仕える主だった面々もまた、あまりに急すぎる事態の変化に、まだ頭が付いていけてない状態であった。


 現場を見てきたカイから何度も説明を受けようとも、とても納得も理解もできる内容ではなかった。



「キノコ!? キノコの毒で死んだだと?」



「伯爵様は何をどうして、訳もわからぬキノコを美物に混ぜるようなことを」



「どこか別の貴族の罠ではないか!? カウラとシガラが引っ付くのを良しとしない輩なんぞ、いくつもあるぞ」



 皆が皆、まとまりもなく言葉が飛び交った。


 本来、こういう場面では嫡男であるキッシュがまとめねばならないのであるが、キッシュ自身も混乱しており、どうしたものかと頭を抱えていたのだ。


 屋敷の一室でそのような騒ぎが起こっている中、一人の若い女性が部屋に飛び込んできた。


 薄めの茶色の髪を無造作に後ろで束ね、気の強そうな表情は逆に闊達さを見せつけていた。


 有体に言ってしまえば、威勢のいいお転婆な娘、を地で行く立ち振る舞いをしていた。



「お兄様、遅くなって申し訳ありません」



「おお、ティース、戻ったか」



 出かけていた妹が戻って来たことに安堵し、キッシュは胸を撫でおろした。なにしろ、現状、部下の意見では他の貴族の罠という意見に傾いていた。


 もし、そうであるならば、ティースまで狙われる危険があったため、とにかく無事な姿を確認出来て安心したのだ。


 なお、ティースは狩衣に身を包んでおり、相変わらず馬で駆け回っているようであった。とても、嫁入り直前の娘御には見えず、その点ではこのお転婆娘の父も兄も頭を悩ませているほどであった。


 取りあえず途中参加の妹に状況を説明し、キッシュは妹の反応を待った。


 ティースは基本的に考えることはあまりせず、感情や直感を優先する傾向があった。普段はそれに周囲が振り回されることも多いのだが、何か厄介事が起こると即行動して事態の打開に動いてきた。


 そして、その即断即決は意外なほどに精度が高く、勘の鋭さは誰もが驚くほどであった。



「……はっきり申しまして、完全に“嵌められ”ましたね」



「というと、誰かからの策謀であると?」



「そうでなければ、説明のつかない点が多すぎます。どこの誰かは知りませんが、間違いなくね。これは事故ではなく、故意に引き起こされた謀略でしょう」



 ティースは断言した。この一件で両者の間に戦争でも起これば、それを喜ぶ輩などいくらでもいる。


 便乗参戦して、領地を掠め取ろうとする他の貴族はいくつも考え付くのだ。



「しかし、それは憶測の域を出ません。なにしろ、そんな策謀などない可能性もありますし、なにより証明する術がありません」



「だよな……。となると、平身低頭で、とにかく詫びを入れるしかないか」



「現状では、それしか手がありません」



 キッシュもティースもその他家臣も渋い顔にならざるを得なかった。


 はっきり言って、状況は最低を通り越して最悪であった。


 公爵とその跡取りを殺したという事実、さらに伯爵の身柄まで押さえられており、どこをどう切り抜けようにもすでに針の穴すら開いてない状況だ。


 これをどうにかしようとすれば、公爵側にどれほどの和解金を支払わねばならないのか、それを考えただけでも頭の痛いことであった。



「相手は決定権のある人間を使者として出せと言っている以上、父の身柄を盾にどれほどの要求をしてくるか知れたものではないな。その場で無茶苦茶な要求を飲ませる気なのだろうな」



「ですが、こちらのやらかしを考えますと、やむを得ないかと。まあ、そのやらかし自体がまやかしなのではありますが」



「しかし、それを証明する手立てがない、と。くそ、私が行って直接父上をお救いするしかないか」



 迷っている時間すらなかった。いつ公爵家側が激発して、ボースンを殺してしまうか分からない状況である以上、とにかく行動するよりなかった。



「あと、僅かな希望があるとすれば、ヒーサ殿の人柄だけか。聞いたところだと、激発しそうな家臣をとにかく宥め、最悪の事態だけは回避したのだとか」



 キッシュが実際にその場面にいたカイに視線を向けると、その通りですと頷いて応じた。


 ヒーサは性格が温厚かつ控えめで、学者肌の強い理知的な性格だと聞いていた。今回のことでも自身を焦がす激情を抑え、家臣も宥め、どうにか事態の収拾にあたったのだという。


 父親を殺しておいて、その人柄に甘えるなど、虫のいい話ではあるが、それ以外にすがる者がないのも事実であった。



「兄上、そのことなのですが、もし可能であれば、私とヒーサ殿の婚姻の話、そのまま進めていただけませんか?」

 


「なんだと!?」



 キッシュのみならず、その場の全員が驚いた。ご破算になったであろう結婚話を復活させろと言ってきたからだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る