1-29 穏便な解決を! 軍の招集などもっての外だ!

 一時の混乱と熱気は一応冷めてきたが、それでも怒りと悲しみの入り混じった雰囲気は、シガラ公爵邸に漂っていた。


 なにしろ、歓迎の宴が来客の不用意な行動により惨劇へと変わり、当主マイスとその跡継ぎである嫡男セインを同時に亡くすこととなってしまったからだ。


 客として招いたカウラ伯爵ボースンは捕らわれの身となり、屋敷内の一室にて監禁されることとなった。また、そのお供の者達も牢屋へと押し込められた。


 これで一応の平静は取り戻したものの、当主とその後継を失った悲しみ、そして、それを成した愚か者への怒りはくすぶり続け、公爵家に仕える面々は感情を抑え込むのに必死であった。


 次男坊のヒーサが自制するよう促していなければ、怒り任せにカウラ伯爵を殺していたかもしれない。それほどまでに、皆が激高していたのだ。


 だが、一番憤り、一番悲しまねばならないヒーサが苦しげな表情をにじませながらも自制しているのである。臣下がそれに倣わずどうするのかと、皆が皆耐えたのだ。


 特にショックが大きかったのは、執事のエグスと厨房頭のベントであった。


 エグスはマイスと君臣の間柄を越えた長年の友であり、それを目の前で失ったのだ。あまりの出来事に取り乱し、とても皆の差配はできないとして、ヒーサから早々に休むようにと言い渡され、今は自室に引きこもっていた。


 また、ベントにしても、いくら献上品とはいえ、よく知らぬキノコを調理して出してしまい、それが原因で今回の騒動になってしまったのだ。悔いても悔い切れない出来事であり、こちらも自室にて自主的に謹慎してしまった。


 そのため、執事見習いのポードと侍女頭のアサが皆のまとめ役となり、どうにか表面的にとはいえ落ち着くことができた。


 そんな中、屋敷に駐留していた武官サームよりヒーサに対して提案がなされた。サームはセインの副官であり、公爵領の軍隊を統括していたセインの軍における腹心であった。



「ヒーサ様、軍に召集をかけましょう。事ここに至っては、伯爵領へ軍事介入する可能性が高まっております。ここは先手を打って、動くのが肝要かと」



 サームの提案は軍人の観点からすれば、当然の提案であった。


 当主が毒殺されたのであり、大義名分はこちらにあるから、軍を動かしたとて周辺諸侯が騒ぐ理由が薄い。どころか、その大義名分に便乗して兵を繰り出し、“おこぼれ”を掠め取ろうとする輩が出てきてもおかしくない状況だ。


 実際に動かす動かさないは別にしても、招集をかけ臨戦態勢に入っておいた方が、どういう事態になろうとも動きやすくなる。


 サームの進言はまさに戦争になるという危機感を皆に植え付けることとなった。


 だが、これに反対するものは誰もいない。なにしろ、復讐に燃えるているのは、この屋敷に仕える者ならば全員抱いていたからだ。


 たった一人の例外を除いては。



「ならん。軍の招集は許可できない」



 ヒーサはサームの提案をきっぱりと拒否した。



「しかし、ぼっちゃ……、いえ、当主代行様、それでは初動に遅れが出てしまいます」



「とにかく、ダメだ。私はあくまで話し合いでの解決を望んでいる。軍を動かすなど、もっての外だ」



 あくまで平和的に解決を。それがヒーサが皆に示した意志であった。


 一番激情にかられて動いてもおかしくないヒーサのあまりの冷静沈着ぶりに、家臣一同はますますその芯の強さに敬服した。


 同時に、その“慈悲深さ”ゆえの危うさを感じる者もいた。



「当主代行様、あえて更に進言させていただきます。初動の遅れもさることながら、これから交渉役とやらがカウラ伯爵家より派遣されてまいりましょう。整然と並ぶ軍を見せつけ、相手の肝を冷やしてやるべきです。こちらの怒りを示し、犯した愚行を知らしめるべきです。全軍招集はともかく、少なくとも部分動員だけでもかけておかれるべきかと」



 食いつくようにサームが更に進み出て、ヒーサに決断を迫った。


 だが、ヒーサは首を横に振った。



「ダメだ。そうした示威行動も認めん。軍への招集は一切なしだ。いいな?」



「……畏まりました」



 念を押しての進言も退けられた以上、サームは引き下がらざるを得なかった。


 無論、サームとしては不満、というより不安があった。目の前の新たなる主君は軍人としての気質が全く感じられなかったからだ。


 やはり医者などの学問にて生計を立てることを是とし、軍事に関する教育をやってこなかったため、その辺りが不安で仕方がないのだ。


 侮ってのことでない。才覚はあると思っている。


 現に、先頃は演習場に顔を出し、新型の銃器を難なく使いこなし、それどころか新技術の提案までやってのけたのだ。磨いていけば、間違いなく相応の軍人にはなっていくであろうと考えていた。


 だが、問題なのは“今”だ。将来の名将よりも、現在の凡将が必要なのだ。


 指揮官不在での軍などありえず、それを期待するのは無理かもしれない。


 学者肌があまりに強い。サームの不安はそこなのだ。


 だが、そんなサームの不安をよそに、ヒーサは力強く頷いて見せた。



「サームよ、お前の現状を憂う気持ちは分かる。だが、軍と言うものは一度動かしたら、そう簡単には止められないものだろう? だから、私は軍をなるべく使いたくないのだ」



「仰ることは分かります。不安なのも重々承知しております」



「……まあ、提案を全部捨てることもないか。サーム、斥候、歩哨の数を増やせ」



「は?」



 いきなりのヒーサの切り替えにサームは意味が分からず、少し呆けた声を上げてしまった。



「念のためだよ。一応、今回の騒動はまだ外に漏れていないとはいえ、いずれは外部に漏れることだろう。そうなると、シガラ公爵領、ないしカウラ伯爵領にちょっかいをかけてくる周辺領主も出てくるかもしれない。それの見張りだ」



「ああ、そういうことでございましたか」



「とにかく、軍への招集はなしだが、警戒だけはしておかねばなるまい。公爵領と他領の境界にばれない程度に歩哨、斥候を増やし、良からぬ事を企むバカがいないかを見張る。やってくれるか?」



「ご命令、謹んでお受けいたします」



 サームは深々と頭を下げて、ヒーサよりの命令を受けた。


 何事にも大胆かつ豪快なセインと違い、新たな自分の主人は万事に慎重な性格なのだと、サームは感じた。それに、随分と気の回る方だとも感じた。


 十七の若者だというのに、まるで“場慣れしている”かのような振る舞いに、サームのみならず、他の家臣達も感心した。普段は控えめだというのに、前に出るとこうも変わるのか、と。



「とはいえ、さすがに色々ありすぎて疲れた。すまないが休ませてもらうよ。皆も休めるときに休んでおきなさい。今回の問題は長引く。気張りすぎて倒れてもらっては、私が面倒見ることになるからな、医者として」



 軽く冗談を飛ばし、無理にでも場を和ませようとする姿勢に、却ってしんみりとした雰囲気に包まれたが、新しい主君の気遣いに、皆が頭を垂れて受け入れた。


 そんな姿を見ながら、ヒーサは人が集まっていた広間を後にして、自室へと戻っていった。

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