1-26 ご注意! 知らないキノコを迂闊に食べてはいけません!(2)

「これはいけない。医者! 医者を連れてこい!」



 執事のエグスの悲痛な叫びが屋敷中に響いた。


 そして、“それ”は現れた。



「は~い、医者が到着しました!」



 エグスの叫びに連動して、まるで“計っていた”かのようにヒーサが姿を現した。


 ヒーサとしては、何かの余興か冗談話にでも興じているのかと思い、意気揚々と部屋の扉を開けて入って来たのだが、それが勘違いであることはすぐに気が付いた。


 なにしろ、父と兄が倒れ、執事に抱きかかえられている姿が飛び込んできたからだ。


 冗談めかした笑顔もどこかへ吹き飛び、すぐに真剣な顔になって二人に駆け寄った。


 無論、こうした一連のヒーサの動きは全部“お芝居”であるが。



「父上! 兄上! しっかりなさってください!」



 ヒーサが呼びかけるも返事がない。すぐに体の各部や顔色、脈や体温を測り始めた。



「これは何らかの中毒症状が出ているな。父上と兄上は何を口にされていたのだ!?」



「そ、その酒を口にされてから、急に倒れてしまわれました」



 エグスの指さす先には、先程飲んでいた酒瓶があった。ヒーサはそれを手に取ると、まずは酒瓶の口に鼻を寄せ、匂いを吸引した。


 特に変わった感じがしなかったので、少しだけ杯に酒を入れ、それを口に入れた。


 そして、すぐに吐き出し、水で口をすすいだ。



「違うな、これではない。傷んでいる様子も、毒が含まれている様子もない」



 原因が分からないと、完璧な治療を施すことはできないが、中毒症状を起こしているのは明らかであった。


 まずは毒気を抜かねばならない、そうヒーサは判断した。



「リリン、リリンはいるか!?」



「あ、はい、こちらに!」



 ヒーサは自身の専属侍女を呼ぶと、リリンは駆け足で主人の下へと駆け寄ってきた。



「すまないが、薬品庫から薬を取ってきてくれ。薬品庫に入ってすぐ左手の棚の一番上の段に、赤い札を張り付けている薬瓶がある。それを持ってきてくれ」



「分かりました!」



 リリンは主人の命に従い、大急ぎで離れにある診療所へと駆けていった。



「だが、原因の究明が必要か。アサ、厨房に行って、今日出された料理や食材を全部持ってくるように伝えてくれ。その中に必ず原因があるはずだ」



「畏まりました」



 侍女頭のアサはその命を受け、数名の侍女や召使とともに厨房へと駆けて行った。


 その間、ヒーサは水を飲ませるなどして、胃を洗浄したりしたが、いまいち効果が出ず、二人の意識は朦朧としたままであった。



「頼む、死なないでくれ。私はこんな目に合うために医者になったんじゃないんですよ」



 必死で二人に治療を施すヒーサ、その剣幕には普段の穏やかなヒーサの顔をしている面々には驚きをもって見られていた。それだけに危うい状態であることも、肌で感じていた。


 しかし、そんな雰囲気の中、ただ一人、ヒーサに対して冷ややかな視線を向ける者がいた。専属侍女のテアである。


 当然のことながら、テアはヒーサの従者としてこの仕組まれた“茶番”の裏を全部見せられており、必死な姿のヒーサがすべて“演技”であることも知っていたからだ。



(控えめに言っても、外道、クズだわ)



 それがテアの偽らざる本音であった。


 だからと言って、何かしようというわけではない。テアは女神が降臨した姿であり、地上における女神は観察者であって、奇跡の行使者ではないからだ。


 毒キノコをあえて食べ、毒キノコを“安全”だと錯覚させた上で渡し、その毒キノコを父と兄に食べさせる。まともな人間の発想ではない。


 テアが軽蔑の視線をヒーサに向けていると、そこへリリンとアサがほぼ同時に戻って来た。薬瓶、そして、食材や料理の到着であった。


 それらを机の上に並べられ、皆が固唾を呑んで見守る中、ヒーサは真剣にそれらを睨みつけた。



「どれが原因だ……」


 ヒーサはすべての料理や食材に目を配り、二人が倒れた原因を探った。


 見守る顔ぶれの中で、一番顔色が悪いのは厨房頭のベントだ。なにしろ、自分の作った料理で食中毒を出し、それで主人が危機的状況に陥ったのである。


 叱責で済むような軽い出来事ではなかった。


 そして、ヒーサの視界の中に山菜の盛られた籠が目の留まった。その中にあったキノコを取り上げ、そして、絶叫した。



「この“毒キノコ”を用意したバカは誰だ!?」



 屋敷中に響くほどの大絶叫に、全員が驚いた。なにより、その内容に驚いた。


 美味しい美味しいと食べていたキノコが、よりにもよって毒キノコであったと聞かされたからだ。


 そして、居並ぶ面々の視線は一人の男に集中する。そう、このキノコを屋敷の持ち込んだのは他でもない、客人として招かれていたボースンその人であったからだ。



「伯爵、あなたか!」



「ま、待て! 誤解だ!」



 凄まじい形相で近付くヒーサに、ボースンは抗する術を持たなかった。一歩一歩と迫られるたびに、後ろへ下がり、壁際まで追い詰められた。


 その光景を皆が見守ったが、公爵家に仕える面々の感情は禍々しくも変化していった。困惑や戸惑いが、ボースンへの敵意や殺意に切り替わっていくのに、そう時間のかかることではなかった。


 だが、これはまだこの日の騒動のほんの一幕に過ぎない。日は傾き、山の向こう側に消えた。


 この日の夜はまだ始まったばかり。皆にはことさら長く感じることとなるのであった。

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