1-14 新情報! 相手の弱点、見知ったり! 

 診療所を出たヒーサは、シガラ公爵の邸宅へと戻っていた。


 すでに日も沈みかけているということで、屋敷はあちこちに照明が灯され、昼とは違った顔を見せていた。



「お帰りなさいませ、ヒーサお坊ちゃま」



「ああ、ただいま、ポード。往診の後、薬草採取に励んでいたら、すっかり遅くなってしまったよ」



「左様でございましたか。お食事のご用意をすぐにさせます」



 ポードはこの屋敷の執事見習いで、ヒーサより少し年上の男だ。


 とある伯爵家の三男坊で、家督を継ぐ立場になかったので、執事として雇われていた。


 ポードに限らず、貴族は長男が家督を継ぐことになっており、それ以外の者は、男であれば家に残って騎士や官吏として居残るか、女であれば嫁ぐかである。


 裕福な貴族であれば新たに家を創設したり、あるいは事業を始めて店を持つなどの手段もあったが、全員がそういうわけにはいかない。中にはそうしたことからあぶれてしまう者もいる。


 しかし、あぶれ者であっても貴族の家で育っているため、平民よりも余程教育が行き届いており、礼儀作法も教養も身に着けている。


 それを他家が雇うことも貴族社会ではよくあることであった。


 ポードもそんなあぶれた貴族の子弟であり、シガラ公爵家に雇われたのだ。



「いや、食事の前に父上に相談したいことがあるのだ。どこにいるだろうか?」



「旦那様でしたら、今は執務室におられるはずです。お坊ちゃまの婚儀に先立ち、カウラ伯爵がお越しになられますので、その歓迎の宴について、皆様方とお話し合いになっているはずです」



「おお、そうか。では、そちらに顔を出してから、食堂に行くよ」



 ヒーサはポードに別れを告げ、執務室に向かって廊下を進んだ。


 途中、屋敷で働く者達に何度もすれ違うが、その度に気さくに話しかけ、時には“名前”を呼んで話しかけた。


 仕える者にとっては、名前を覚えられ、それで呼ばれることを何よりも喜ぶ。顎で使える立場の人間がそっと寄り添うのだ。


 無論、立場や地位というものがあるので砕けてはいけないが、それを崩さない程度で歩み寄るのは、相手の心を揺さぶるものだ。


 それを理解しているからこそ、ヒーサは屋敷内で働く者数百人分の顔と名前を憶えており、明晰な頭脳と立場を気取らぬ振る舞いに、皆から称賛されていた。


 それでいて、父や兄に対しても敬意を示し、“良からぬ企て”がないことをアピールしていた。


 家中における評判は上々。医者として成功を収めれば、さらに遠方まで名が響くであろうことは疑いようがない。


 まさに盤石であった。



(もちろん、全部、嘘っぱちだがな)



 笑顔を崩さず話しながらも、ヒーサは“良からぬ企て”を進めていた。


 いずれ、この家のすべてを奪い取るつもりでいるので、誰を殺し、誰を生かし、誰を騙し、誰を誘うか、それを見極めねばならなかった。気さくに話しかけるのも、そうした情報などの判断材料を集めるためであった。


 そんなこんなで目的の執務室の前までやって来た。扉の前に衛兵が立ち塞がっており、父親への面会を求めた。そして、すぐに中へと通された。



「父上、お話し中に失礼いたします」



「構わん構わん。どうせお前に関わることだからな」



 シガラ公爵マイスは息子の来訪を歓迎し、そのまま自分の横へと座らせた。


 そして、ヒーサが居並ぶ面々を見渡した。

 

 マイスを除けば、三人がいた。


 まずは執事のエグス。


 何十年にわたって仕えてきた男で、主人であるマイスとは、主従を越えた友情で結ばれている。人目のないところでは、タメ口で話しているとすら噂されており、マイスからは全幅の信頼を寄せられている。


 執事として屋敷のことをすべて統括しており、その差配は隅々まで行き届いていた。真面目で実直な性格をしており、些細なミスも許さない性格で家中の者からは少し煙たがられているが、それ以上に自分に対しては完璧を求めており、他人に厳しく自分になお厳しく、これを貫いていた。


 その横にいるのが侍女頭のアサ。


 こちらも長らく屋敷で仕えてきた者で、数多いる侍女の頭として屋敷のあちこちに指示を飛ばしていた。こちらも厳しい性格ではあるが、それは仕事中のことで、ひとたび職場を離れれば優しい初老の女性ということで通っていた。


 また、マイスとは若かりし頃、何かしらのロマンスがあり、それからずっと未婚を貫いていた。


 そして、厨房頭のベント。


 厨房を預かる者であり、日々の食事も彼と彼が指揮する料理人達が手掛けた物であった。居並ぶ面々の中では二回り近く若かったが、料理の腕前は確かであり、誰もがその料理に称賛を惜しまぬほどであった。


 性格は軽く、礼儀が全然なっていないことをエグスにいつも窘められているが、一向に治る気配がないのが玉に瑕であった。



「この顔ぶれということは、宴の用意についてというわけですか」



「さようでございます、ヒーサお坊ちゃま。お越しになられますカウラ伯爵は、当家と長らく付き合いのある家で、しかもお坊ちゃまの花嫁をそちらからお迎えいたすのです。歓迎に粗相があっては公爵家の面子に関わりますゆえ、万全の用意をせねばなりません」



 エグスとしては、他家の当主を出迎える一大行事であり、決して失敗は許されないものと、襟を正して臨む姿勢が出ていた。



「そうだな。精々歓迎して、いい印象を持ってもらわなくてはな。ベント、料理は美味で豪華なのをお出しするんだぞ。あと、酒類も最高級品を用意するのだ」



「あ~、それはダメなんですわ、若様」



 ベントは両手を十字で交差して、ヒーサの要請を拒否した。



「なぜだ、ベントよ。旨い酒と料理を提供するのは、歓待の基本ではないか」



「まあ、それはそうなんですがね……」



 そう言うと、ベントは視線をマイスの方に向けた。自分じゃ説明できないんでよろしくお願いします、という感じであった。



「そうか、お前には言っていなかったな。実はな、伯爵は酒が全然飲めないのだ」



「そうなのですか?」



「ああ、ひどい下戸でな。前にとある宴席で水と間違って蒸留酒イェネーバを飲んでしまって、気を失ったことがあるのだ。だから、伯爵には酒類はご法度だ」



「なんと、それは難儀な体質ですな」



 驚きながらも、その実、いい情報が手に入ったとヒーサは喝采を上げた。



(くくく……、よもや重度の下戸とはな。始末するなら、酒以外の飲み物に仕込めばいいということか。……ああ、いかんいかん。何を殺す気でいるのだ。殺すかどうかの判断もしておらぬというのに、殺害方法だけ先んじて論ずるのはいかんな)



 取りあえず、情報はしっかりと頭の中に入れた。


 相手の体調や病に関する情報など、値千金である。


 まして、標的の一人となり得る相手の情報だ。


 新たな情報を元に、さらに企みに深みを与えていくヒーサであった。

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